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もうひとつの土曜日 浜田省吾

2018-02-22 12:09:41 | 僕の音楽日記


学生の頃
T君の家に入り浸り、
自宅に帰るのより
まずT君の家に寄って
タバコ吸ったり
レコード聞いたり
漫画読んだり
ビール飲んだり

そんなやりたい放題を
やらしてくれたT君の家の人達
暖かく迎えてくれて
僕も勝手に二階に上がってT君が居ようがいまいが
何か逃げ場の様な場所になっていた。

その頃の僕は家にいる事は居心地が悪く
特別不平不満があるわけじゃないが
反抗期というほどの反抗期でもなくて、
ただ ほんとに
自宅に自分の居場所というか
居心地が悪いと、感じてしまっていた。

今思うと
単なる甘えに過ぎなかったのだろうけど
家を出る事に魅力を感じていた。
T君の家が自分の家と比べて
自由に見えたし、
姉さんは優しいし、
自分と違う環境が疎ましかったし、
色々 T君から得るものが多かった。

人と人との関わりの中で
僕はどちらかといえば世間知らず的だった
から、社交的なT君に教えられた事が多かった。

こんな時 こうした方がいいぞ
とか
そんな風に行動したら
周りが迷惑するぞ
とか
つどつど教えてくれた。
同い年なのに
兄さんの様なところもあったり、

もう一人B君って奴もいて
僕ら三人がそのT君の家の人達からすると
三兄弟として扱われていた。
T君のおふくろさんやオヤジさん
姉さん達からすると
僕ら三人は
T君が長男で
B君は次男
そして僕は末っ子となってたわけだ。

みんな同年だったけど、何故か僕は頼りない幼い感じだったんだね。

まだ大人になりきれてない僕は
アルバイトの手配とかも
T君から斡旋してもらったりしていた。

社会人になってから少しずつみんな会える時間がズレてきて、それぞれのフィールドで活躍することになると、
義兄弟の力関係は変わっていった。

でも
序列というか
順番というか
そんな暗黙の了解は何にしてもあったのかもしれない。

スナックで
行きつけのレコード店のマスターとT君と僕で呑んで歌っていた。
T君の結婚がなかなか進まない膠着状況の時
だった。
僕が浜田省吾さんの
「もうひとつの土曜日」をカラオケで歌おうとしたら、
レコード店のマスターに止められた。
「ダメだよ
これはT君に歌わせてよ T君が歌いたいんだから」って
遮られた。
その時の気分 優先して譲ったり
譲られたり
僕はその時も
T君の気持ちを察する事ができてなかった。
あれだけ 色々人の気持ちや察して行動する事を身近に教えてくれてたT君のそばにいて
社会人になったとしても
まだ、成長できてなかった、T君の気持ちを察してあげれなかった自分の不甲斐なさを思った。

何気ない カラオケでの選曲での出来事
だったわけだけど、

この
「もうひとつの土曜日」を、聞くたび歌うたびに
その時の光景と状況が蘇る。
あの時。
いつもより落ち込んでいたT君
の表情を見ていた自分
何も気づかなかった自分。
友達として配慮が足りなかったのもあるし
義兄弟としての
序列。
そこに しみじみ思うところはあったのだ。

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