明日の葉っぱ(8×8)=69

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無縁坂 グレープ

2019-06-01 18:52:43 | 僕の音楽日記
精霊流し
縁切寺
無縁坂
 
グレープの歌の
悲しい感じと暗い感じが
どうも馴染めず
グレープの世界は敬遠していた
若い頃
 
最近では
♪母がまだ若い頃〜
 
囁くように口ずさんでいる。
歳を重ねて
過去を思い出す事や
巡ってきた
いくつもの季節を辿り、
遠い過去の記憶を懐かしむ。
 
もう、僕の母親も父親もいい歳に
なっているが
まだ、おかげさまで健在で
嬉しい限りなのだが
親孝行という類いは自分で
大人になったら
やろうと
心に誓ったことすら
まだ、実現されてない
自分の不甲斐なさを思うのだ。
 
 
「無縁坂」
の歌詞にもあるように、
 
母がまだ若い頃
なのだ
僕も小学校あがったばかり、の頃
出かける事があったりした時
 
この歌と似た場面を体験していた。
 
母親のため息。
 
それを聞き逃さない僕。
 
大人には色々あるんだな、
としか思わないで
幼子のように
「どうしたの?」
なんて、聞くのは野暮なことなんだ
と思うくらい
その辺は子供ながら尋ねることはしなかった。
 
思うようにならない
日々、
遠く故郷はなれ
誰も頼るところのない土地での生活。
ご近所で仲良くなった人たちは
たくさんいるけれど
 
どこか心の穴が埋まらない
そんな感じのため息なのだろうか?
 
そんな事や
家の近所の懇意にしてくれる
仲のいいおばさんとよく庭先の縁側で話しをしていた。
その傍に大人の会話を聞いていた僕。
縁側に腰掛けて
遊びながら
母親たちの
話に時折
耳を傾けていた。
 
そのおばさんはよく自慢をする人で、
息子にこんなものを買ってもらったとか、
高価なものを見せて自慢じゃないが
嫌味な人ではないが
嬉しいことを伝えることのついでに
自慢のように見せびらかして
いるように
見えて
うちの母親の
そんな自慢話を聞いている横顔の
寂しい感じを見てしまった
幼かった僕は
 
いつか大きくなって
大人になったら
母親に人様に自慢できる物を買ってあげよう
と思ったものだ。
 
 
物じゃないことくらい
わかっているし、わかっていたが
 
思いやりと優しさの証が物であって
それは喜ぶものならなんだって
いいと思っていた。
 
 
そう思いながら
大人に成長したけれど
とんとそんなことすら
無縁で
逆に、坂を転がるように
無縁な生活で、違う意味での
無縁坂
になってしまって、
幼い頃からのあの心の違いはどこへやら
 
気持ちだけは
あるけれど、何か母親が喜ぶような
物を買ってあげた
ことが
まだ、実現されてない
この昨今。
 
なんとかしなければと
思うのだが
 
 
この歌を聞くたびにそんなある意味
親不孝な自分を認識するのだ。
 
 
母親からすると
期待はしてないものの
他人と比べてないけれど
 
人は皆
どこかで他人と比べる
そんなところを持っているのだから
 
その差に落胆している心はどこかにあるだろう。
期待してないけど
どこか心の隅に
期待しているそんな心があるはずだ。
 
 
ささやかな 母の人生。
 
あまりにも
寂しい、人生だったと
言わせたくない、
何か派手なことを
思うけれど
派手ではなく、質素でも
当たり前の幸せをかみしめられれば
それなりに
満足してしまうのだろうが
 
 
運がいいのか、
悪いのか
 
それすらも
人生のアヤで
 
特に戦争体験者であれば
運はよくないと思う。
 
1番大変な時を過ごしてきたわけだから
 
 
そんな昭和の遠い昔も
ふた昔と呼ばれるくらいになってきてる。
 
年老いた母に
まだ元気でいられるときに
今できることを
と思うのだが
 

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