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1975年の吉田拓郎 その7

2019-05-01 22:22:00 | #1975年の吉田拓郎
ラジオ オールナイトニッポン月曜深夜 その1
 
1974 101 カルメンのオールナイトニッポン最終回にゲストで呼ばれた。
吉田拓郎。
 
ちょうどアルバム 「今はまだ人生を語らず」が発売されたばかりで
アルバムのプロモーションもあり、
シングルカットの「シンシア」がよくかかってた時期でもあった。
 
1974年 10月8日より正式に
オールナイトニッポン第一部を担当することに…
オープニングは
ライオン フォークビレッジのテーマが流れての
オールナイトニッポン第一回目だった。
 
このブログタイトルでもある
1975年の吉田拓郎
の序章になってしまう感じの
ラジオでのオールナイトニッポンなのだが
TBSパックインミュージックを辞めてから一年間のブランクがあり、久々のラジオ復帰がニッポン放送。
ちょうど 金沢事件があり、程なく落ち着きを取り戻し
ライブ73
今はまだ人生を語らず
とアルバムを出し、いよいよ
また、次の仕掛けに向かって
動きつつ期待を持ちつつ オールナイトニッポンの登場となった。
 
久々のラジオ復帰
第一声は
「はい!元気ですよ。吉田拓郎です。」だった。
 
 
74年の放送は10月8日から始まり
12回あった。
第2回放送には
南沙織さんをゲストに迎えて
かなり楽しそうに声弾ませながら
親密さをアピールしながらの2時間だった。
その後 第3回からは特集
誰も知らなかった吉田拓郎
を毎回やり、過去からの出来事を音源を交えて
語ってくれた。
 
第8回では人に作った曲の特集。
「知らない街で」
「恋の歌」
「戻ってきた恋人」
「たどり着いたらいつも雨降り」
「ルームライト」
「おはよう」
「どうしてこんなに悲しいんだろう」
「チークを踊ろう」
「君のために」
「襟裳岬」
「じゃあまたね」
などの音源をかけてコメントをしていた。
 
第10回は
ゲストに浅田美代子さん
南こうせつさんを迎え
だらだら、デレデレの放送だった。
よっぽど美代子さんが可愛かったということが
ラジオからもその雰囲気が伝わるような
こうせつさん、拓郎さんからの
はしゃぎっぷりから伝わってきた。
 
第11回は
ゲスト小室等さん
 
第12回は年内に最後
クリスマスイブの放送で
第2部の枠午前5時まで
枠を拡大してのクリスマス大会
としての放送だった。
 
ゲストは
遠藤賢司 大野真澄 加川良 かまやつひろし 小室等
高田渡 常富喜雄 ディランⅡ 中川五郎 南こうせつ
山田パンダ りりぃ 山本コータローとウィークエンド
4時間のベロベロの酔っ払いの放送となった。
 
 
そして年明け
75年より
いよいよ
怒涛と波乱の
年が幕開けしていくのであった。
 
1975年の4月から木曜第一部のオールナイトニッポンに
南こうせつさんが加わり、いよいよつま恋も決まり
番組内での告知も始まり
つま恋ムードが高まっていった。
 
僕は
リアルタイムできいてたのは
覚えがないけど
ほぼ数回程度で拓郎さんのオールナイトニッポンも多分最終回しかリアルタイムできいた覚えがないと思う。
1976年の夏 にこうせつさんのオールナイトニッポンの番組でつま恋1周年を記念して特集を組んだ回があった。
 
その番組をカセットテープに録音したものを友達から借りてつま恋の音源を聴くことが初めてだった。
こうせつさんの番組の中で
かけた曲で
覚えてるのは
 
あゝ青春
なごり雪
あの人の手紙
うちのお父さん
旅をするあなた
花一文目
幼い日に
海岸通り
22才の別れ
僕の歌はサヨナラだけ
人間なんて
 
 
確かこんな感じの曲を番組で流しながら一年前の
つま恋を回顧して話していた。
まだあったのかもしれないけど
思い出せない。
当時カセットをダビングして
手元にもって何回も何回もきいた覚えがある。
 
エポックメイキングな出来事だった
コンサートインつま恋
 
ラジオは常にその雰囲気と前からの雰囲気作りに
貢献していた。
 


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