流れ

2009年07月05日 | Weblog
こう、人生というスパンで見ても1年というスパンで見ても1週間、1日というスパンで見ても、流れってのがあって、気持ちの浮き沈みってのがあって。



1週間でいうと金曜の夜が一番上で日曜の夜が一番下なわけだ。



楽しいことが先に控えてるとそれを希望にやってける。

憂鬱なことが先に控えてると、もうそのこと考えただけで憂鬱な日が終わるまでずっと沈んだ状態になる。

憂鬱なことが終われば、それはそれで晴れやかな気持ちになれるんだけど

まあ世の中楽しいことより憂鬱なことの方が遥かに多くって。

浮き沈みはずっと続いてく。時には大きな浮き沈みもあると思う。






その浮き沈みを長い目で見て楽しめる人は素晴らしいと思う。

でも、その浮き沈み(特に沈み)がイヤで、できるだけ浮き沈みのない生活(引きこもり)を選ぶ人もいるわけだ。

自分はその気持ちがよくわかる。





結局ずっと浮きっぱなしってのはあり得ないわけだから。

浮いてる最中も「ああいつかまた沈むんだな」って考えがどこかにいつもある。

楽しいときも楽しい時間が終わった後のことを考えてしまう。





簡単に言えばマイナス思考なんだが、これが高校時代の頃から治らない。

これから先もずっと治らないならホント生きててもつらいだろうなと思う。





生きる理由がなきゃ死ぬ理由もない。死ぬ理由もなきゃ生きる理由もない。

自分はそこそこ人生楽しめたと思うし、別にもう死んでも構わないんだが




死んだ理由を勝手に推測されるのがイヤで。

今仮に死んだら、多分周りの人みんな「仕事で悩んでたんだな」と考えると思う。それは癪だ。



仕事は確かに相当イヤだが、それでも死ぬ理由の2%にもならない。

遺書とか残さず死んだ人って、周りが死んだ理由を勝手に推測するけど、死んだ理由なんて結局本人しか分からないと思うんだ。





だから自分は敢えて死ぬなら順風満帆全てが上手くいってるときに死にたい。

まあいつまでたっても順風満帆なときがないんで死ぬ機会ないんだけど。

事故死ならいつでも歓迎だ。かなり酷い死に方しても誰も何も恨んだりせず過ぎてくれればいいと思う。