よい食事をしよう

2007年09月13日 | 08年9月までの日記
料理につける最高のスパイスは何だか知ってるか…?



















そうだね!プロテインだね!



違うわ。


空腹だと繰り返し言っているッ!



美味しくものを食べるには、腹を減らすことが必須条件であり前提条件だ。


美味いものを追求するのは至極まっとうで多くの人に共感を得られる行動だ。




ただここで自分が述べたいのは、高くて良いものを食べようとかそういうことではない。


一食万単位のディナーをとっても味が分からなければ何の意味もない。


無駄に畏まった料理は庶民(自分)の舌に合わないことも多い。


つまりそれは金の無駄であり料理の無駄でもある。









そういうことじゃなく、当たり前且つわずかな工夫を凝らすことが大事なのだ。







当たり前を無視すると





冬のメチャメチャ寒い日にカキ氷を食べる

猛暑、気温39度なんて日にアツアツの鍋焼きうどんを食べる

極上のカレーをトイレで食べる








美味しいか?美味しくねーだろう。


少なくとももっとよい食べ方があるはずだ。









わずかな工夫を凝らしてみる。





「プッチンプリン」をプッチンした上にクリームをのせる。


プッチンしないプリンにクリームをぶっかけるのと違いは分かるだろうか。





見栄えだ。









呼び方を変えてみる。





「ごはん」と表現すると普通…「ライス」と表現しても普通…







ここは「銀シャリ」と表現しておこうではないか。



銀シャリやべぇ。超うまそう。








見栄え・呼び名



この工夫が分からぬ輩はきっと

そのまま食べればいいのに何故あんな無駄なことを?と思うだろう。

無駄ではないんだ。おいしそうに見せようとしているのだ。





例えばパフェを長い器に入れず平たい皿にぶちまけたらどうなるか?

ビールをグラスではなく湯のみに注いだらどうか?




中身は変わっちゃいないがきっと受ける感じが違う。


それほど見た目ってのは大事なんだ。













そこまで理解できたらOKだ。





美味しくものを食べたければ腹を空かせるんだ。



そしてその料理にあった(料理とは呼べないものでも)時と場所を用意しよう。





テレビ見ながらカップ麺を啜るのもいいだろう

こたつでみかんを食うもいいだろう。

おしゃれなテラスでパフェを頬張るもいいだろう。










かくいう自分はデスクの上で何でも食う。


まあ別に、本人がよければ何でもいいんですよ。