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社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

上杉正一郎「出生性比について」(『現代の経済と統計(蜷川虎三先生古稀記念)』有斐閣, 1968年)

2016-10-09 19:59:48 | 7.統計による実証分析
上杉正一郎「出生性比について」(『現代の経済と統計(蜷川虎三先生古稀記念)』有斐閣, 1968年)

出生児の男女比(出生性比)は, どの地域でも, どの時代にもほとんど変わることがない。女子100に対し男子104~105である。この規則性, 安定性は, 政治算術のグラントによって, またその著『神の秩序』で有名なジュースミルヒによって, かなり前から明らかにされていた。そこで作用しているのは大数法則であり, 出生性比は(白黒玉を甕から取り出す実験とともに)その法則の例示にしばしば使われた。

 蜷川統計学でも, 統計値集団でありながら, しかも同時に純解析的集団でも扱われうる集団の事例として(一般的には, 統計値集団はそれ自体としては純解析的集団の性質はもたない), 出生児大量を構成因子とする集団がとりざたされている。

 出生性比は上記の特徴をもち, 基本的に自然的要因によって規定されるが, そこに社会的歴史的要因が作用する場合がある。本稿はこの点を解説することに目的がある。その一つは, 出生性比の統計が届出によることからくる問題である。届出という行為を媒介するがゆえに, この統計数値が微妙に変化する。日本の場合には, 丙午, 寅年にかかわる迷信という要因である。丙午に生まれた女子は男子を食い殺す, 寅年生まれの女子は性格がきつい, などの迷信に届出行為が影響を受け, 現にこれらの年の出生性比では通常の年にくらべ男子の比率がやや高めである。これに似た現象は外国もあり, 筆者は植民地時代の朝鮮で男児出生の割合が高いこと, 19世紀初めのロシアで「男の農奴」が「女の農奴」より年貢単位として意義をもっていたため, 男児の比率が高かった時期があったようである。

歴史的社会的要因が出生性比に影響を及ぼすもう一つのケースとしてあげられているのは, 戦争の要因である。ドイツ, フランス, イギリスの関連統計では, 第一次世界大戦直後で出生男児の明白な増大がみられた。ロシアのモスクワ。ペトログラードの関連統計で, 世界大戦, 内乱の最後の年に, 性比の上昇が観察された。

戦争はどのように出生性比の変動に作用するのであろうか。筆者はノボセリスキーの解釈を引いている。それによると, 出生性比は, 一般に胎児では出生児よりもさらに高いのが普通である。しかし, 男子の胎児死亡率は, 女子のそれよりもはるかに高い。それが出生の段階で, 104対100ほどに落ち着く。長期戦争の場合, 男子人口は長期間家族から引き離され, その結果, 受胎数が低下し, 受胎と受胎との間が長くなる。したがって胎児死亡数, 流産数が減少する。男子の出生割合は, この理由で高めにでる。これらの要因は, 女性が妊娠しないで休んでいることと関連している。

 出生性比という, もともと自然的な要因で決まるものが, 人為的な要因や社会的歴史的要因から微妙な影響を受け, 不安定なことが起きうることを示唆したのがこの啓蒙的な論稿の貢献である。

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