社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

安藤次郎「オーケストラと統計指標体系」『金沢大学経済論集』第6号,1967年3月

2016-10-04 20:25:35 | 2.統計学の対象・方法・課題
安藤次郎「オーケストラと統計指標体系」『金沢大学経済論集』第6号,1967年3月

 1966年にはカラヤンの来日公演があり,大変なブームになった。わたしはその頃,高校1年生で札幌市にいたが,記憶がある。クラッシクの来日公演で,これと同じようなセンセーションを巻き起こしたのは,この他では1986年のブーニン以外に知らない。私自身の個人的体験はともかく,筆者はそれほどクラシックに通暁していたわけではなかったが(本人の弁),テレビでカラヤンの演奏を聴き,オーケストラの楽団員がいろいろな楽器でひとつの共同作業を行っているさまが,統計の作成作業を連想させたらしい。具体的には,さまざまな種類の統計の存在を前提として,それらの各種統計を組み合わせることで実現される社会認識を連想させたというのである。オーケストラの演奏が,統計についての省察を刺激し,それがエッセイとなった。

 社会の実態を統計という手段によって描写するには,経済統計の指標だけではなく,あらゆる種類の統計指標が組み合わされた体系の構築が必要である。そのようなさまざまな統計指標によって統計交響曲の総譜を書き上げる任務,それを演奏として実現させる任務はいったい誰が担うべきなのだろうか。統計交響曲にも作曲家たるべき統計学者,指揮者である統計学者,楽員である統計技術者が居なければならない。

 統計指標体系を構築することで特定の社会の特定の時期における実態を統計で描写する仕事は,作曲家,指揮者,演奏者の三者を兼ねることが要求される。種々の白書(経済白書,通商白書,建設白書,労働白書など)を書き上げるには,指揮者と演奏者との両者を兼ねる仕事をする。経済関係の白書は多いが,他の一切の上部構造の実態を反映する諸資料を包括した立体的構造をもつ統計指標体系の構築をすること,総譜を仕上げることこそ必要なのだが,そのような役割を演じた人は日本にも諸外国にも,いまだかつて存在しない。総譜を書く担い手がいないのである。まだ統計交響曲の作曲家も指揮者も生まれていないと言う。

 統計指標体系を構築し,それをうまく社会現象と関連付けるには,統計交響楽「迷信」(関連して「ヒノエウマ」の年の出生数の減少を述べている)や「政財界の黒い霧」が作曲可能になる,と面白いことを書いている。もっとも統計指標の作曲家,オーケストラの指揮者の任務については,まだわからないことばかりであると率直に心情を吐露している。さらに,統計学をもって応用数学の一部門である英米派の数理統計学者はこのようなことを考えたことはないし,考えようともしていないと断じている。

 筆者は言う,「生きた社会を活写する統計指標体系はオーケストラの総譜のようなものとして構築されるべきであり,そこに統計および統計利用のはたす政治的意義や階級制が与えられるのだと思う」。(p.63)   

 文中,他にも,カラヤンが目を瞑ったまま演奏することに対する驚嘆,カラヤンとフルトベングラーとの対比,レーニンが不完全な統計を用いながらも『ロシアにおける資本主義の発展』を書き上げたこと,封印列車で革命渦中のロシアに帰国したレーニンがいつも手作りの統計をもっていたこと,などさまざまなエピソードを挿入している。

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