社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

4 推計学批判

2016-12-08 21:35:19 | 社会統計学の伝統とその継承
 
社会統計学は数理統計的手法を社会経済現象の認識に適用することに,慎重である。それは社会経済現象そのものの多様性,複雑さを考慮にいれれば当然のことである。少なくとも,この手法の無批判的な活用は行わない。本章では,数理統計的手法に対する過大評価をいさめた社会統計学の領域での批判的研究について,その成果を紹介し,その意義を確認する。とはいえ,数理統計的手法の全般を検討の対象とするのではなく,ここでは推測統計学に関わる部分に限定する。その主な中身は統計的仮説検定論と標本調査論(「母集団―標本」理論)である。ただし,標本調査論に直接かかわる議論は「調査論」の章にゆずる。

7-1 フィッシャーとネイマン・ピアソンの統計理論
(1)フィッシャーの統計理論
 数理統計学の分野では,一方で記述統計学の淵源をイギリスの政治算術にもとめ,その完成をピアソンの統計学でとらえ,他方で推計学の淵源をR.フィッシャーにもとめ,ネイマン,ピアソンにその後の展開を見るのが通説である。R.A.フィッシャーの推計理論に関する著作として,芝村良『R.A.フィッシャーの統計理論』 がある。この著作は,フィッシャーの統計理論を主として農事試験での圃場実践(実験計画法)と関連づけて考察し,その歴史的・学問的意義を跡づけたものである。全体的構成は,「序論」でフィッシャーの内外での評価,現代の数理統計学との関連でのフィッシャー理論の位置づけがなされ,以下「第1章:フィッシャーの実験計画法」「第2章:フィッシャーの有意性検定論の成立過程」「第3章:フィッシャーの統計理論とK.ピアソンの統計理論」「第4章:フィッシャーの有意性検定論とネイマン-ピアソンの統計的仮説検定論」となっている。

 芝村の著作は比較的入手しやすいものであり,ここでは社会統計学分野での黎明期の業績に重きをおいてその伝統を確認することを課題としているので,以下では是永純弘,杉森滉一の業績に依拠して論点の考察を進めたい。取り上げる論文は,是永純弘「R.A.フィッシャーの『帰納推理論』について」 ,是永純弘「R.A.フィッシャーの『帰納推理論』と統計的仮説検定論ついて」 ,杉森滉一「R.A.フィッシャーの統計的推論」 である。

 フィッシャーの学説は記述統計学から推測統計学への転換点に立つ統計学者として知られる。その理由としてあげられるのは,フィッシャーが(1)標本分布論を精密化したこと,(2)標本と母集団とを概念的に区別し,後者から前者を求める方法として統計的方法を体系化したこと,(3)記述を目的とする観察の論理から,仮説の検証を目的とする実験の論理に向かったこと,(4)現象の記述から,その分析と本質の把握に進んだこと,である。   
フィッシャーの業績を詳細に研究した杉森によれば,フィッシャーの業績は従来の標本分布論に正確化と一般化を行ったこと,そして統計量の分布を正確にもとめるというその後の研究の方向を示したことである。上記の表かは疑問の余地のないようにみえるが,(2)の指摘は,フィッシャー以前に,母集団・標本を問う概念がなかったか,あっても混同されていたかのような印象を与えると言う。むしろ,その認識は誤りで,エッジワースやピアソンの推論は,母集団・標本図式の上に成立していた。もっともフィッシャー以前には大標本が前提とされていたので,その意味では標本と母数を区別する必要性が弱かった。大標本という前提のゆえに,標本・母集団という図式は潜在化していた。フィッシャーは標本分布論の正確化と一般化により,小標本の場合の推理を可能にし,大標本の場合の推理も正確化をはかった。フィッシャー理論の意義は,統計的推論の緻密化にある。

 フィッシャーの統計的推論の意義は,従来の漠然としていた統計的推論の原理を明らかにし,それを推定量選択の諸基準や最尤法として示したことである。フィッシャーは最尤法の考え方を強調したが,獲得された最尤推定量がその分布からみて適切であることを証明し,この方法を正当化した。この意味でフィッシャーの推定論の意義は,正確な分布論にもとづいて推定法を比較する一般理論の構築である。このことは区間推定論また検定論にも言える。さらにフィッシャーは尤度的な考え方や確率概念を再解釈することによって,それまでのいくつかの推理法の論理構成を明確にし,それらを帰納推理として統一的に展開した。その直接的手続きとしては,統計的推論の論議を統計量の正確な分布の議論に帰着させ,方法論としては統計的推論を帰納法的に理解する立場から統一した。

 帰納法的理解そのものは,イギリスの統計学や論理学の世界に伝統的である。フィッシャーはそれを継承しただけでなく,特殊な方向に先鋭化させた。フィッシャーが主張したことは統計的推論を,帰納推理の一部分(一形態)ととらえ,帰納推理それ自体の具体的精密化であるとしたことである。

 フィッシャーを境に統計学が記述的なものから推測的なものへと変わったという評価に,杉森は一言している。記述統計学は標本・母集団を前提せず,データを単なる変数の度数関数と見做しその特性量を表す尺度を工夫する。推測統計学はこの図式を前提とし,データを標本とみなし,その分布の特性量から母集団の特性値をもとめる。このような理解にたてば,フィッシャー理論が記述統計学から推測統計学への移行の契機となったとは言えない。フィッシャーは彼以前の記述統計学にあった推測という契機(モーメント法,確率誤差による誤差の評価,仮説性検定など)を継承し,その発展をはかったにすぎない 。
杉森によると統計学はフィッシャー以前も以後も,手続き的には推測,認識論的には記述を行っている点で変りはないと言う。彼を境に記述統計学が推測統計学に転化したとする通説は誤解である,と断定している 。彼の学説の歴史的意義は,推測という記述の手段を精密化し,体系化したことである。

(2)ネイマン=ピアソンの仮説検定論
 以下のネイマン=ピアソンの統計的仮説検定論の内容は,木村和範「ネイマン=ピアソンの統計理論」による 。木村によれば,ネイマン=ピアソンの仮説検定論の特徴として, 母集団特性値を限定する二種類の仮説(「検定仮説」と「対立仮説」)が設定されること, 標本の大きさが決められること, 第一種過誤の確率が事前に定められること, 行動の規則があらかじめ作成され, それに従って検定仮説の採択・棄却が行われること(一回ごとの判定を確率付きで評価しない)にある。これらのことを確認しながら, 仮説検定で対立仮説が「単純仮説」の場合(母集団特性値を数直線上の一点で特定する場合)と, 「複合仮説」(母集団特性値を数直線上の任意の領域で特定する場合)の場合とに分けて例解が進められている。例解の最後に, 種々の標本の大きさに対応する検出力関数が図示されている。

 木村はネイマン=ピアソンの仮説検定論とフィッシャーの仮説検定論との相違を検討している(両者の相違は当初は目立たなかったが, 1941年以降, 対立が鮮明になる)。相違が6点に要約されている 。①ネイマン=ピアソンは検定仮説と対立仮説を設定するが, フィッシャーは検定仮説のみを設定する。②ネイマン=ピアソンにあっては標本の大きさは事前に定められるが, フィッシャーにとってそれは重要でない。③ネイマン=ピアソンは仮説の採択・棄却の判定を機械的に反復せよとなっているが, フィッシャーでは一回限りの判定でよしとされる。④ネイマン=ピアソンでは判定の基準としての第一種の過誤があらかじめ決めることになっているが, フィッシャーでは有意水準を決めておく必要はないことになっている。⑤最終判定はネイマン=ピアソンでは検定仮説の採択か棄却であるが, フィッシャーでは検定仮説の棄却か判断の留保である。⑥ネイマン=ピアソンでは過誤の確率を頻度の意味で使うが, フィッシャーの有意水準は「確信確率」である。ネイマン=ピアソンの仮説検定論とフィッシャーのそれとでは, 仮説検定論という名称は同じでも, 内容が全く異なる。
そうなった理由を木村は, ネイマン=ピアソンの仮説検定論が品質管理を前提していたのに対し, フィッシャーは圃場試験が基礎にあったことに, みている 。関連して, 木村はネイマン=ピアソンの仮説検定論が統計的品質管理の領域と密接に結びついていることを, 検定の目的, 過誤の概念, 過誤の確率, 検出力の4点にわたって確認し, その理論が統計的品質管理の領域を前提に定式化されたと結論付けている。

 最後に木村は, ネイマン=ピアソンの仮説検定の合理的核心について述べている。「そもそも確信確率(フィッシャーのいわゆる-引用者)では, 当るという判断が正しいということは当りクジが抽出されるという事象の生起と同意味であるとは考えられていない。この結果, 判断の確率が事象の確率を基礎とするが, 判断の確率は事象の確率とは相対的に独自の地位を得ている。・・・この困難性を立論のなかで回避し, 判断の確率と事象の確率を統一的に理解した点において, ネイマン=ピアソンの仮説検定論の合理的核心がある」 。「ネイマン=ピアソンの仮説検定論が教えるところによれば,仮説検定論は統計的仮説を機械的に採択か棄却にふるいわける方法にすぎない。そこに仮説検定論の意義を見たことは,ネイマン=ピアソンの功績である。仮説検定論の役割がそのようであれば,おのずと,その実践的指導性に限界がある」 。

(3)フィッシャー VS. ネイマン・ピアソン
 フィッシャーとピアソンとの対立を扱った論稿に,是永純弘「R.A.フィッシャーの『帰納推理論』と統計的仮説検定論ついて」がある 。以下は是永によるこの論点の検討である。是永はこの論文で,仮説検定論の理解をめぐって戦わされたフィッシャーとネイマン=ピアソンとの議論の相違を検討している 。

 フィッシャーは,「帰納推理(=最尤法)」を「採択手続き」と呼んでいる。「採択手続き」とは,品質管理の過程で一定の仕切り(lot)の母集団が合格品として採択される場合のような「非可逆的」手続きを指す。

 フィッシャーはこの手続を科学的研究一般における作業仮説の採択の場合にも類推適用可能なものとし,「統計的仮説検定」と明確に区別する。すなわち,「統計的仮説検定」には,(i)「同一母集団からの反復抽出」の場合の有意性検定,(ii)「『第二種』過誤」を含む有意性検定,(iii)ネイマンのいわゆる「帰納行動」という3つの手続きが含まれるが,「採択手続き」はこれらと論理的に区別される,という。

 その含意は次のようである。フッシャーによれば,ネイマン・ピアソンの「統計的仮説検定論では,通常の有意性検定が有効な場合と,それが役にたたない「採択手続き」の場合とが区別されていない。すなわち「帰納推理」としての「採択手続き」はネイマン・ピアソンの統計的仮説検定と区別され,有意性検定で問題とされるのは「統計家の想像の産物」であり,そこでは第二種過誤の度数が決定されえないのに対し(有意性検定が有効な場合),「採択手続き」は客観的に実在する母集団と関連づけられ,ここでは第二種過誤の度数が決定されうるものとする(「採択手続き」の場合)。ネイマンの「帰納行動」はこの区別を理解せず,有意性検定にのみたより,「演繹推理」によって純粋に数理的な統計的仮説検定の一般化につとめる。この限りでは,フィッシャーの見解のほうが,自然科学的研究の実際の問題を正しく考慮していると言える。

 それではフィッシャー自身の「採択手続き」という「帰納推理」の論理的性格はどうであろうか。是永によれば,フィッシャーが「帰納推理」の特徴としたもののうち,主要なものは次の3つである 。

 (i)「帰納推理」のなかにはその精度が「基準確率」で表現されるものがある。(「基準確率」は最尤法における「尤度」である。それは観測値からその仮説的諸要因を,標本から母集団を,特殊から一般を推論するための数学的用具で,「不確実性の性質と程度を秤量する」ための尺度,確率言明の確率精度を示す合理的「信頼度」である。)
 (ii)「帰納推理」はデータを解説するために一定の仮説(作業仮説)を必要とする。(このような「帰納推理」を可能ならしめるには研究における作業仮説が仮説を「枠づける」諸条件[(イ)自然の諸事実と一致し,(ロ)資料が含む観測可能な全事実の度数分布を規定し,(ハ)自然常数を母数として含み,(ニ)現実の資料と矛盾しない]に従わなければならない。)
(iii)「帰納推理」は,演繹推理よりもはるかに厳密である。(演繹推理では資料のなかのある項が無視され,公理群中の一部分から推理が行われるのに反し,帰納推理は資料の全体を考慮するからである。)

 是永は「採択手続き」と統計的仮説検定の論理的差異に関する,フィッシャーの次の結論を引用している。「連続変量の基準確率についての言明があてはまるのは情報が全部利用されている場合に限る。けだしこの言明は充足推定値を利用するのに対して,有意性検定では,常に,検定力がいかに低くても,一定の有意性水準における資料との不一致を生ずるような母数の値を含まないように,限界をきめることができるからである」と 。

 以上のフィッシャーの主張に対し,ピアソンの反論は次のようなものである。すなわち,ピアソンの見解は,フィッシャーが主張した「採択手続き」よりもはるかに一般的な検定方式を数学的に展開したということに,すなわち「統計家がそのデータを統計的に検定する場合に必要なことをできるだけ数学的に表現する方法」として「検定力関数」を展開した点にある。フィッシャーの「採択手続き」すなわち「帰納推理」は,客観的に実在する母集団(観測値の一団)以外のいかなるものをも先験的に想定しない。これに対して,ネイマン・ピアソンの統計的仮説検定(有意性検定)は「統計家の想像の産物」の想定を容認し,フィッシャー(イェーツ)の推定方式を含む一般的な仮説検定論を数学的に展開することが可能であると反論する。「帰納推理」と統計的仮説検定の論理的差異のポイントは,ここにある。

 是永はこの点に関して,次のような判断を下している。フィッシャーは「採択手続き」における母集団の客観的実在性を要求するが,この限りではフィッシャーの見解の方がピアソンのそれよりも正しい。ピアソンは仮説検定の数理的に一般化された方式の展開に対して何の疑いももたないが,こうした展開がいかに数理的に一貫しているにしても,その結果を自然科学における実験結果としての測定値の集団に,無条件に応用し得るものとは考えられない。この意味でピアソンには,誤解がある。

 それではフィッシャーの「採択手続き」の論理的性格は,彼が言明するように,帰納法一般とみなすことができるかというと,それは誤りである。すなわち,フィッシャーによる「採択手続き」は,「帰納推理」の一つにすぎず,その「帰納推理」は小標本理論における推定論上の数理手続である最尤法であり,これを「標本→母集団」推理=「個別→普遍」推理=帰納法とみなすことはできない 。

 フィッシャーの「採択手続き」の3つの論理的特徴に対しては,是永は以下の難点を指摘する 。第1に,統計的推論の確率を「基準確率」によってあらわすことは,主観的な確率概念を「信頼度」の数量的表現であるとする仮定,また客観的実在である母集団を数学的に規定された確率過程におきかえるとする仮定が成り立たない限り不可能なことで,その限りでその意図は帰納法と関係のない数理手続にすぎない。

 第2に,フィッシャーの帰納推理はその「採択手続き」における仮説に一定の枠をはめているが,その限定が意味することは,たとえこの手続が自然科学における統計的研究において利用されるとしても,社会科学の研究方法としてはほとんど無意味であるということである。すなわち社会科学では,こうした「仮説の枠づけ」は不可能であるからである。

 第3に,フィッシャーの「帰納推理」は,対象の厳しい限定の上に成り立つもので,「資料の全体を考慮する」といっても,決してこのような限定を取り除いて,資料を全体として,その質的規定性をも全面的に考慮することを意味しない。したがって,この「帰納推理」に演繹推理以上の厳密性を見いだすことは困難である。
以上,是永によるフィッシャーとネイマン=ピアソンの考え方の対立の解明は,1950年代半ばという推計学が日本に流入してきた直後の業績であり,先駆的な成果であった。

7-2 推計学の展開とその批判
(1)推計学の展開と蜷川虎三
 日本での数理的形式主義に対する批判的研究は,1940年代後半に登場した。社会科学研究に広く浸透した統計的推論(「母集団-標本」図式による確率論的な算法)を過大評価する議論に,社会統計学者は機敏に対応した。

 背景にあったのは,推計学のアメリカから日本への流入である。統計的推論そのものは欧米で1920年代から30年代にかけ,医療や統計調査の分野で急速に普及した理論である。日本へのその流入は, 戦後におけるアメリカ占領軍の要請・指導によった 。米軍によって実施された原子爆弾被害調査(広島)に参加した増山元三郎の解析作業は,W.Eデミングによって高く評価された(1945年)。

 推計学を推奨する論者が振りかざした手法は,各種の官庁統計における標本調査(農林省の作物報告調査,労働省の毎月勤労統計調査,総理府の労働力調査など)に, また市場調査, 世論調査, 品質管理に適用された。この理論はその後も勢いを失わず,形を変えて日本の統計学分野で跋扈した。

 蜷川虎三は戦後の推計学論争に直接加わることはなかったが,1947年の時点で推計学にかんして次のような見解を表明していたと内海庫一郎が伝えている 。

 「フィッシャーは,私のいう“作った集団”すなわち解析的集団のうち,特に純解析的集団をpopulationとよび,このポピュレーションを語る測度をパラメータと名付けている。このパラメータを知れば,問題の解析的集団の性質を数量的に明らかにしうる訳だが,それを満足するだけの集団の構成因子を測定することはまづ不可能である。そこで構成因子の一部を何ら作意なく選び出し(random sample),この小集団の測度を求める。たとえば平均とか,比率とか,相関家数などであるが,フィッシャーはこれをstatistic と呼んでいる。しかして,statisticを求めるのは,それ自体が目的でなく,これによって先の“もとになっている集団”(母集団といわれている)のパラメータを推算することが目的である。だから,statisticのparameter の推算値としての信頼の程度が測られなければ,科学的意味をもちえない。/スモール・サンプリングの理論,すなわち小標本の理論は選び出した構成因子すなわち標本の数が必ずしも多きを要せぬこと,この小集団の測度すなわちスタティスティックがパラメータとして,どの程度に信頼し得るか,これを測る方法とその根拠とを数学的に規定したものである。その限りにおいて従来の用語法をとれば,数理統計学に属する一課題である」と 。

(2)日本における推計学の展開
 日本での推計学の普及と展開の経緯に関しては,広田純の行き届いた整理がある 。広田はその推計学の展開を二期にわけて考察している。第一期は, 1948年頃から52・3年頃までで, 推計学の方法論に対する社会統計学からの批判と, それをめぐる論争が行われた時期である。第二期は, それ以降の, 標本調査そのものの評価をめぐる論争の時期である。

第一期の論争で論陣を張った増山元三郎 ,北川敏男 らの主張を3点に要約すると, ①従来の社会統計学は統計調査の基本は全数調査だとしていたが, これは科学的認識の段階としては現象記述的な低い次元の話であって, 科学としての統計学はこうした段階から法則定立という高次の段階へと進まなければならない, ②全数調査の結果もその背後に仮説的無限母集団を考えれば無作為標本とみなすこともできる, 標本調査はそういう観点からとらえるべきものであり, 単に推定の技術, 全数調査の代用品なのではない, ③そのようにとらえられた標本調査は記述目的で実施される全数調査より優れたより科学的な方法である, というものだった。

 広田によれば,こうした推計派の主張に対し, 社会統計学の立場にたつ論者は, おおむね次のような反論を行った。観察資料の背後に想定される仮説的無限母集団が非現実的であること, 法則定立を予定した推計学が科学的認識の理論として高次のものと考えるのは間違いで, 社会統計学にとっては記述こそ基本的であり, しかも記述には理論がそれに先立って存在し, 統計による記述は一定の理論を前提とし, この理論を原理としてなりたっている, 観察される事実を総括する原理も, またその結果を説明する原理もすべて理論によってあたえられる, 統計調査には社会的役割があり, 歴史的・社会的過程であるから, そこで生産された統計が限界をもち, 階級制をもつことは自明で, 社会的認識の材料として制約がある, したがってその批判的利用が重要である, と。

 第二期の論争は, 標本調査が「超母集団」に関する仮説検定の一環とは考えないで, 実在する集団について推定する技術とみなす技術論者の見解に端を発した(津村善郎 など)。この見解を契機に, 標本調査を統計調査としてどう位置付け, どう評価するか, さらに統計調査をどう考えるか, がこの時期の論争の主要な内容であった。広田純はここで3つの論点にしぼり, 論争を整理している。第一は全数調査と標本調査との関係で, 技術論者は統計調査の原則が全数調査であるという考え方を否定し, 調査技術的な観点からどの調査がすぐれているかは調査目的によることであるとした。この見解に対し, 広田は全数調査が統計調査の原則で, 標本調査はその代用法であると位置付けている。第二は標本誤差の考え方で, 技術論者は標本調査でランダムサンプリングにより誤差をコントロールできると主張した。これに対して,広田はサンプリングエラーの大きさを標準誤差で計算するということは, 繰り返しの抽出を前提とした理論であり,個々の抽出誤差の判断に基準を与えるものではない, また標本調査だけに現れるノン・サンプリングエラーを考慮しないわけにはいかないと,述べている。第三は典型調査をどう評価するのかという問題である。広田は統計調査といえばすべてランダムサンプリングでなければならないという主張が通念になっているが,典型調査の固有の意義をもっと考えるべきである,と主張した。

7-3 大橋隆憲の推計学批判
 体系的な推計学批判を行った論文の嚆矢は,大橋隆憲「近代統計学の社会的性格-その歴史的地位とイデオロギーの系譜-」(1949年)である 。中村隆英は,大橋のこの論文を,当時の無反省な推計学ブームにたいする警鐘として,大きな意義をもつ最初の体系的批判と評価している 。大橋はこの論文で社会統計学が対象とする集団は「存在たる集団」で有限であり,推測統計学のいわゆる集団が「純解析的集団」で,無限母集団を想定していると指摘し,「仮説検定」をそのうちに組み込まない調査を無意味とした推測統計学の主張に対して批判を加えた。

 大橋が立脚する統計学派,蜷川統計学のそれである。したがって,本稿は社会統計学を擁護する視点から書かれ,その視点からの推測統計学批判の展開である。論点はいくつかある。まず社会統計の対象は「存在たる集団」である(純解析的集団ではない)。次に科学の方法は対象に規定され,対象的内容の契機を重んじなければならない(方法が主体の観念物として客体に先立ってあるのではない)。さらに統計的方法は社会集団の合法則性を捉える社会科学の方法・理論を前提とし,この集団を数量的に研究する手段である。

 本稿の意義をここでは5点,要約したい。第1の意義は,推測統計学がどのような性格の科学であるかを論じるにあたって,この科学の対象が何かを,原理的に考察していることである。この議論を行うのは,統計に関する知識の総体である統計学が対象としている数字的「事実」とは何かを考えることが大事であるからである。いくつかの所説を整理すると,3つの分岐点がある。その一つは,集団についての事実を語る数字を「統計値」,個体についての事実を語るのが「測定値」であること。二つ目は,集団には対象的な集団(存在たる集団とも呼ぶ)と方法的な構成物としての集団があること。前者は集団の大きさが不明で,集団性の方向が多岐である。後者は集団性の方向が一つで,その安定的な強度を求めることが目的として定立される。三つ目は前者の集団には「自然集団」と「社会集団」があること。ドイツ社会統計学は「社会集団」を問題とし,「方法的な集団」への道を歩む英米数理統計学は個体(測定値)なり集団(統計値)が自然に関するものか社会に関するものかを問わない,経験的性質を除去した「純解析的集団」あるいは「純解析的集団」をその対象とする。

 第2の意義は,推測統計学の理論構造を,その科学の視点にたちかえって捉えたことである。推測統計学は「蓋然性の哲学」(=確率論的法則の世界に関する思惟)に依拠する。この科学は客観的存在を単純な直接的方法ではとらえられない,客観的存在として追及するのは本質的存在であり,それと関わる「法則」であると主張する。この客観的存在は,推測統計学にとっては,ありとあらゆる偶然さを考慮した純粋に客観的な法則である。このような対象を把握するには,変化を含み混沌としたカオスである対象を整序する独自の方法が必要である。方法の基礎は主観の側の対象構成作用にもとめられ,主観と客観の乖離を縮めるために方法をもって現実に逐次近似しなければならず,理論模型はそのために必要とされる。模型概念の適用は説明を可能な限り直感的に知るための努力の結果である。数理統計学の理論構造において,その基本になるのは母集団と試料である。経験的所与として与えられた資料は仮の現実,仮象の記述である。これに対し,母集団は数学的なケースにストックされている純解析的構成物(その限りで観念的母集団)であり,試料は母集団の一つの現実化に他ならない。母集団も試料もこの方法全体の機構のなかで解釈されるわけである。(本稿以降の研究では,推測統計学派の行っていることは法則の解明ではなく,パラメータの推計であるとされた)。

 第3の意義は,上記の推測統計学の理論構造を受けて,その技術構造を解明したことである。試料からの母集団の認識,この点がここでの問題である。具体的には確率原理,母集団仮説,仮説検定,任意抽出について,試料からの母集団推定の技法が解説されている。もちろん,その技法はすでに対象の内容と決別し,純形式的確率論的操作によって演繹されるもので,抽象的な数学的構成物にもとづく。当面の試料がある母集団と結びついているという想定から出発し(仮説母集団),この仮説の設定をふまえて仮説検定にかけるという一連の循環的操作が推測統計学の中身であるが,その試料のとりかたは任意抽出という手だてによる。任意抽出は仮説をたて,その仮説を検定する逐次近似の循環のなかで意味をもつ。(本稿以降の研究では,推計学が必ずしも仮説検定論の構成要素とみなされないことが明らかにされた)。

 第4の意義は,推測統計学が成立した背景を列挙していることである。1930年代以降のアメリカにおけるテーラー・システム,フォード・システムにおける科学的管理法,そこにおける品質管理と抜き取り検査の利用,生産資本と流通資本の関係における「生産者危険」と「消費者危険」の回避がこれである。大橋は,これらの応用の基本にある規格⇒生産⇒検査のプロセスは,仮説の設定⇒実験の遂行⇒仮説の検定のそれに符合すると指摘している。

 第5の意義は,推測統計学のイデオロギー的危うさを指摘していることである。この論文が書かれた戦後の科学界では弁証法に脚光があたっていたので,推測統計学論者もそれを援用した。しかし,多くは弁証法の勝手な解釈であった。推測統計学が唯物弁証法の利用と考えられたり,「帰無仮説」が弁証法の「否定の否定」の法則と結び付けられたりした(増山元三郎)。笑い話のようではあるが,ある意味,まじめに語られていたのである。(その後の研究では,推測統計学派の哲学的基礎は,プラグマティズムないし論理実証主義であることが明らかにされた)

7-4 その後の推計学批判
 日本での推計学の浸透は,フィシャー,ネイマン-ピアソンの統計理論の学問的輸入に他ならない。それは一方で統計学の分野で主として,標本調査論の移植と展開としてあらわれ,他方では統計学以外の分野(医学,心理学,行動科学など)での統計的仮説検定法の定着として特徴づけられる。前者の指摘そのものに関しては以下に掲げる木村の論稿に接すると,その実情をよく理解できる。この分野での議論は,「調査論」の章でより詳しく紹介する。後者に関しては,社会統計学の分野から離れるので省略するが,参考までに統計的仮説検定論がいかに誤解され,弊害をもたらしちいるかを論じた,橘敏明『医学・教育学・心理学にみられる統計的検定の誤用と弊害』(1986年)をあげたい 。木村はこの著作の書評の末尾に,(1)現在の知的難局を「有意性検定症候群」ととらえ,これから抜け出て反省的思索の復位を提起する本書の論旨には共感できる,(2)有意性検定の誤用・乱用を包括的に,しかも一人で論じた書物として初めての試みであり,当該テーマを検討しようとする人が真っ先に読まなければならない重要文献である,と書いている 。

 その木村による推計学批判の系譜の整理を以下に示す 。推計学は偶然変量に関する算法の体系であり,推計派の主張の背後にある確率論的世界観は社会が偶然性のみに支配されるとする非合理的なそれである。この世界観は推計派が主張する唯物弁証法とは関係がなく,その哲学的基礎はプラグマティズムあるいは論理実証主義である。推計学の中心にある仮説検定論(推定論)は仮説検定の体系に包摂され,留保付きパラメータの数値の推測は記述=事実の確認である。仮説検定論そのものはある種のパラメータの推計法にすぎず,普遍的科学方法論といえる代物ではない 。

 任意抽出標本理論に意義を認める論者は,標本調査による全体の推計値とセンサス結果との符号をその論拠とする。抽出の任意性がその一致の根拠とされる。木村はこの立場に対し,抽出の任意性と数値上の符号との間に必然的関係を認めない。なぜなら,任意抽出標本理論が社会統計調査に果たす役割はクジ引き式の統計調査と調査票の配布・回収の算定に限られるが(後者は社会現象が確率論の対象ではないので虚構の計算である),結局のところ任意抽出標本理論はクジ引き式の統計調査を強制することに関してのみ指導するにすぎない。この際,調査対象は任意に(無作為に,デタラメに)規定されるので,標本の代表性は保証されない。それゆえ,標本統計における推算値がセンサス結果と符合することの根拠を抽出の任意性に求めることはできない。符号の根拠は,①社会構成の変化が小さいこと,②標本数が大きいこと,③偶然的符号,にある。

 木村はここで関弥三郎の議論をとりあげている 。関の議論は母集団概念を無限母集団と有限母集団とに二分する。後者は対象集団の構成単位の全部の集合を,一つの集団性について観察した時の単位をもつ数値(統計標識の集合)である。ここでは確率的性質が仮定されないが,任意抽出という人為的操作で確率の場が創出されるとする。関はこのことによって,推計学の社会認識上の構造分析が任意抽出標本理論によって可能になるという。木村は関の目標が統計集団の構造分析(法則性の認識)にある点を評価しているが,抽出の無作為化をもって推計学的手法の統計調査への適用根拠とみなすことに疑問を呈している 。

 木村はこの他,標本統計の利用基準,判断の確率の実質的意義という重要論点を解説している 。利用基準が推定値に付された数学的条件であるとする見解によると,基準は精度あるいは信頼度であるとされる。木村はこの見解に対し,統計対象は確率論的処理を許さず,したがって推定値に付された数学的条件は実質的意味をもたないと主張する。この主張は①統計の現実歪曲性の検討と,②数学的条件の実質的意味の検討の考察によって根拠づけられる。前者では統計における誤差の原因の究明が要となる。後者に関しては,精度(precision)がとりあがられ,この概念は多数値の測定を前提とするが,単一の標本ではこの概念が成立しないと述べている。また数理派は精度の概念を単一の個別値と真値との接近度の尺度と考えるが(正確さ),この意味での精度が明確になるのは真値がわかっている場合に限られるが,社会統計調査でこれが分かるのはセンサスと標本調査がともに行われる場合である(事後的に)。したがって一般に,標本統計調査だけでは精度はわからない。

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