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社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

3 計量経済学批判

2016-12-04 21:33:30 | 社会統計学の伝統とその継承
3 計量経済学批判

推計学の導入からやや遅れて,1950年代後半に注目を浴びたのが計量経済学である。計量経済学の流入は,理論経済学あるいは経済政策の分野においてであった。

計量経済学は, 1920年代に生まれたアメリカの統計的経済学(H.L.ムーア,W.M.パーソンズ)の流れを継承し , その後,経済政策分野への適用という条件を加味し,方法論や統計処理の面で数学的意匠をこらし1930年代に確立した。その直接的契機は, フリッシュ, フィッシャーの提唱,呼びかけによる計量経済学会の設立である(1930年12月)。アメリカ仕込みのこの経済学は,数理統計的手法に対する絶大な信頼を基礎におく。計量経済学は固有の数理モデルを前提とし,モデルに実際の統計を充填し,政策に必要な数値の導出を目標に掲げた。しかし,この経済学は立脚する理論,モデル構築の手法,統計の使い方の諸点において多くの恣意的非現実的な仮定を前提とし,当初からその存立基盤の脆弱さが目立つ(実用主義に偏した)理論であった。社会統計学の研究者はそれらの問題点に逸早くとりあげ,理論と方法の両面から批判を加えた。

 計量経済学批判に関する社会統計学者の業績は,二とおりに分けて整理することができる。ひとつはその経済学の理論としての評価である。この場合,計量経済学は理論というよりは方法であるとする見解があるので,後者も含めた科学としての計量経済学の性格づけがここでの焦点である。もうひとつは計量経済学的手法が政府による実際の経済計画に組み込まれた経緯に鑑みて,そのことの妥当性を検討した業績群である。前者と後者とが密接に関連することは言うまでもないが,論点整理としてこの区分は有効であろう。

計量経済学の日本への流入からそれほどの日をおくことなく発表され広田純・山田耕之介「計量経済学批判」(1957年)は,この理論の内容に仔細にたちいり,これを内在的に検討した先駆的業績であり,計量経済学批判のその後のひとつの型(方法論的批判)を示した。この論文は三節構成で, 第一節では「計量経済学の歴史」が論じられ, 焦点はその発展の原動力が何であったのかを示すことに主眼がおかれ, この科学の性格が浮き彫りにされている。すなわち、計量経済学は経済理論と数学, 統計学の統一に関する時間的順位(変数間の量的定式化[モデルの構成]→方程式の構成と係数の数値決定→仮説の検定)があり, それはおよそ科学と名乗る資格はなく, 経済問題の処理方法全体の総称である, ことが指摘されている。第二節は「計量経済学の理論」と題し, 計量経済学の大きなテーマとされた周期的な経済循環の研究が生み出した巨視的分析と動態理論の歴史的性格に触れている。内容は計量経済学が当初には理論に相当する体系をつくる可能性があったにもかかわらず, それを実現しえなかったことが明らかにされている。第三節「計量経済学の方法」は, 初期の量的分析の段階から方法定立の段階に入った計量経済学の批判にあてられ,数理統計学の方法を適用して, 需要曲線を統計的に測定するとか, 景気循環に関する諸理論を統計的に検証するといった試みが, その都度, 方法の当否をめぐる疑問が出され, 根強い不信が醸成されてきた事情が指摘されたこと,戦後期の計量経済学の確率論的定式化は上記の疑問や不信を背景に, 統計方法の一層の精密化をはかったが, この定式化によって問題がどのように形式的に解消されたのかが解説されている。全体として,計量経済学における統計的方法の展開では, 計量経済学がよってたつ前提(数理統計学の方法の適用)と,とらえようとする対象(経済現象)の本質にある根深いギャップが明るみにされている。

この議論の延長線上で執筆されたのは,是永純弘「計量経済学的模型分析の基本性格」(1965年) ,伊藤陽一「計量経済学におけるパラメータの確率的推定法」(1965年) である。菊地進のいくつかの論文も同じ立場で執筆されている 。

 是永論文の前半では,近代経済学の内部での計量経済学的模型分析の性格と特徴が(1)模型分析の構造とその基本的特質,(2)模型分析の欠陥, (3)模型分析における統計利用上の欠陥,の順序で批判的に検討されている。後半ではO.ランゲの主張が主としてとりあげられ,旧社会主義国での計量経済学の受容の現状と動向が批判的に検討されている。伊藤論文では,計量経済学の論理手続きに確率論的な考え方がどのように取り入れられているのか, そしてそもそも確率的な考え方がどのような方法なのかが考察され,ついで確率的方法の経済分析への道を開いた攪乱項について, 攪乱項設定の個々の理由が検討されている。これらの検討をとおして, 結論として与えられているのは,計量経済学におけるパラメータが対象を方程式モデルによって認識しようとする便宜のために架空に設けられた係数で, それをもとめる確率的推定法が経済変量に確率的分布を仮定する方法であること, 経済変量が確率的に分布するとの論拠が到底容認されえないこと, 確率的推定法によって得られる推定値は現実との対応がきわめて希薄であること, などである。

 こうした方法論的批判に対し, それが体制(資本主義体制)弁護的性格を見落としていると主張したのは,弁護論的イデオロギー批判論者(関恒義)である 。関によれば,計量経済学批判はそれが生み出された背景,その政策的適用が意味する資本主義経済の弁護論的性格にふみこまなければならない。関のこの見解は,一方で計量経済学の適用過程にまで批判の対象をひろげ,より体系的批判を行うという積極性を持ちながら,他方で計量経済学の理論的方法論的検討にたちいらなかったために,その一定の有効性を容認することになった。
なお,計量経済学批判をめぐる論争の紹介とそのあり方を整理した論文に𠮷田忠「計量経済学批判の方法」(1976年) ,山田耕之介「𠮷田忠『計量経済学批判』に対するコメント」(1976年) がある。前者で吉田は計量経済学に対する批判の系譜を要約し,方法論的批判, 弁護論的批判, 具体的経済計画への適用形態批判のそれぞれに対する見解を述べ, 計量経済学批判そのものの対象と方法を論じている。山田は前者の吉田論文に対するコメントで,計量経済学が「方法」であるとの明確な認識に立ち, 特有の科学方法論を基礎にした計量経済学が現実の経済分析でどのような破たんしたかという事実を対置して批判することを目指せば, 大きな説得力をもつであろうとの示唆を与えている。

 経済計画分野へのその適用の問題点,および限界を論じた業績の紹介に移りたい。嚆矢となったのは,大橋隆憲『日本の統計学』(1965年) である。この著作は日本の統計学者の人物伝を内容とするが,末尾に社会統計学の課題が示されている。なかで計量経済学批判,「中期経済計画」批判に関する言及がある。他に𠮷田忠「経済計画と計量経済モデル」(1975年) ,山田貢「日本の経済計画と計量経済学」(1982年) が重要である。これらのうち吉田論文は, 経済計画の作成方法とその内容としての政策体系との関連を歴史的に追跡, 分析し, 日本の経済計画が経済自立5か年計画のコルム方式以降, 経済計画の作成方法と国民所得勘定との連携を意識的にはかり, 所得倍増計画を経て中期経済計画の中期マクロモデルに至って両者の結びつきは成熟したこと, しかしそこには計画の形式性の確保(国民所得勘定を基礎とする計画作成)と計画内容である経済政策とのズレも萌芽的にあらわれていて, その後の計画策定ではこのほころび, すなわち計画の形式と内容とのずれが拡大していったこと, 1973年の経済社会基本計画にいたってはその破綻が明確になったことを明らかにした。𠮷田のスタンスは,次のようである。「科学方法論としての誤謬という方法論的批判の延長線上になされた, という特色をもっており, 経済計画における機能と役割に関しても基本的には宣伝―粉飾効果以上のものを認めない, という帰結をともなうものであった。それは弁護論的イデオロギー批判の立場にたつ一部の論者の見解, すなわち計量経済学は国独資的政策体系の企画・推進過程において, 一定の方法論的有効性をもつはずだ, という見解を実証的に反論するものであった」と 。この分野では他に, 山田耕之介 ”Economic Planning in Japan critically examined”(1965年) ,𠮷田忠「日本の経済計画と計量経済モデル」(1971年) が計量経済モデルの経済計画分野への適用を,社会科学方法論の視点に立脚して批判を加えた。

 他方,濱砂敬郎「マクロ経済的計画値の基本性格」(1982年) は,「反映=模写論」の視座から国家の行財政過程での統計利用,とりわけ経済計画における国民所得勘定と計量経済モデルの利用実践を社会科学的に考察した。濱砂の議論は𠮷田の「統計利用論における『主体』をめぐって」(1985年)で取上げられ,両者の間に計画の政策課題と計量モデルによる計画値との対応関係や統計調査論・利用論における「主体」の位置づけと評価について,見解の相違があることが浮き彫りになった 。ここでは,そのことを指摘するに留める。

 ところで1970年代後半から,社会統計学者のなかに計量経済モデルに一定の有効性を期待し,政策分野でそれを利用する試みが登場した(産業連関分析についても同様)。そうした試みに理論的基礎を与えたのが,野澤正徳「数量モデル分析と統計学・蜷川理論(1)」(1976年) である。野澤はこの論文で,社会統計学の分野にみられた経済分析への数量的方法の適用への否定的見解を覆す試みを示した。具体的には代替的経済計画の作成,分析のために,計量経済モデルあるいは産業連関分析を積極的に活用することの推奨である。ここで言う代替的経済計画とは,政府が作成する経済計画を念頭に,しかし基本的前提を異にする別の代替可能な計画のことである。代替的計画の作成,分析のためには,そこに含まれる政策の測定と比較とが不可欠である。その際、需要な前提となるのは,現行の経済システムの構造と機能に関する知識である。また代替的計画の作成には,数量的方法が必要である。なぜなら(1)経済現象は数量的性格を帯びており,経済現象の諸要因の多くは経済量・経済変数として数量的規定をともなうからであり,(2)経済現象の諸要因間の個別の連関は,他の個別の連関と結びついているので,それらの相互連関の数量的関係を把握するには,その総体を反映した数量的方法が必要であるからであり,(3)政策手段の効果を分析するには,それにふさわしい数量的方法が不可欠であるからである。これらの必要性に応える数量的方法は,諸経済量の数量的相互依存関係を表現する数量(数理)経済モデル=連立方程式体系の作成である。

野澤はその具体的な数量モデルとして,企業規模別産業連関分析,社会階層別計量モデルをあげている。小川雅弘「日本経済の社会階層別計量モデルの作成」(1982年) ,同「社会階層別計量モデルのシミュレーション-階層別政策の効果分析-」(1983年) ,同「階層別計量モデルの意義と限界」(1983年) は,その具体的試みである。


【補論】
 補論として,経済学における数学利用の意義と限界を論じた業績に言及したい。
山田耕之介は論稿「経済学における数学利用と経済学の数学化」で,このテーマに関して次のように指摘している 。経済学者はもとも数学利用に積極的でなく,むしろ経済学への数学利用に対して批判的見解を有していた。K.マルクス,J.M.ケインズしかり,A.マーシャル,J.S.ミル,T.R.マルサスも懐疑的であった。しかし,19世紀以降の自然科学や技術の目覚ましい発達と近年のコンピュータを中心とした情報基盤の拡充は,それを担った数学への評価を高め,いわば「外圧」として経済学者も数学利用に対する誘惑にかられた。しかし,山田によれば,その成り行きは悲惨な結末をむかえた。すなわち,経済学はそこに数学が使われれば使われるほど現実から遊離し,現実的有効性を示した例は何一つ現れなかった。

経済学における数学利用の意義と限界についての議論は,戦後における社会統計学の展開の早い時期から,検討が開始された。それは斯界の統計学が取り組んだ数理統計学の批判的検討と無関係でない。経済学における数学利用にしても数理統計学にしても,それらに共通しているのは,そこに数量なり数値が多用されるだけでなく,数学的論理に,経済学の対象認識を深めるとの期待がよせられ,つまるところ数学にその役割が託されたという点で共通の問題を孕んでいた。

 以下では,経済学における数学利用の意義と限界というテーマについての主要な研究成果を示すことになるが,論点整理を予め与えておくと,概略,以下のとおりである。

 まず自明のこととして,経済学に数学が利用される根拠が問われなければならない。次に数学利用という場合,数学とは何かが正確に定義されなければならない 。よく知られているのは,数学は量と空間の諸形式に関する科学(論理学の一形態)であるという定義であるが,それらの定義はどのような根拠で経済学の論理と整合するのかが問題にされなければならない。さらに,数学が社会科学とりわけ経済学に適用される場合,それが経済学の対象のどの側面の分析にいかされるのか,という問題がある。対象の量的側面(量的依存関係)とするのが通常の言い方があるが,それでは社会現象の質的側面と量的側面とは何か,両者の関連はどうであるのか,経済学でいう量(経済量)と数学でいう量とは類似したものなのか,異なるものなのか,などが論点となる。

数学利用の意義と限界という議論については,是永純弘,山田耕之介,杉森滉一が経済学における数学利用の限界の論拠を整理した論稿を公にした。とくにこのテーマに,一貫して系統的に取り組んだのは是永純弘である。是永には,上記論文の他に,数学利用に積極的だったカウフマン,カーデなどの論者の見解を仔細に検討した研究,また計量経済学,公理論的経済学に対する多くの批判論文がある。以下に,その是永による先駆的業績の要約を掲げる。「經濟學に於ける數學的方法の意義について」(1953年) ,「経済学における数学利用の意義について-西ドイツにおける最近の論争論-」(1958年) ,「経済学における数学的方法の利用について」(1959年) ,「経済理論の公理論化について」(1962年) ,「経済学研究における数学利用の基礎的諸条件に関する研究」(1962年) ,「経済研究における数学の適用条件」(1964年) ,「計量経済学的模型分析とは何か」(1965年) ,「数学的方法の意義と限界」(1969年) などである。

これらのうち是永純弘「経済学における数学的方法の利用について」(1959年)を紹介したい。その主張のポイントは,諸科学の研究に数学的方法を有効に適用するさいには譲ることのできない原則があり(個々の経験資料ないし認識材料から一般的関係を導出する研究方法[広義]は,諸科学の方法の統一的原理としての研究様式[一定の「叙述様式」]),数学的方法はこれに従属し,これを補足する科学的研究操作(解析操作)の一つにすぎないので, 数学的解析操作は,他の研究手段としての概念操作,実験,統計などと統一されて初めて「研究様式」の資格を部分的に獲得する,という言明に示されている。研究操作の一つとしての数学的方法は,概念分析操作の特殊な形態である。そのため,数学以外の諸科学への適用範囲は狭い。なぜなら,数学の固有の対象は現実の諸科学の質的規定性を捨象した量的諸関係と空間的諸形式であり,事物のより複雑な運動形態の研究に果たすその役割は制約されているからである。諸科学における数学的方法利用の一般的な意義とその限界に関する以上の指摘は,経済学研究の場合にも当てはまる。経済学の究極の課題は,歴史的存在としての社会における人間関係であり,その社会の運動法則の解明である。経済学の研究方法=「研究様式」は,この対象の複雑な運動形態によって規定されている。数学的方法は,この規定のもとで補助的に利用される。関連して,統計数字(統計操作)の活用も同様に位置づけられるが,数学的方法とはまた別個の固有の問題を含んでいる。すなわち,統計数字は,社会的経済的な諸量と同じように,数学があつかう超時間的,超空間的次元に属さず,歴史的現象を反映する。是永は社会的集団のもつこの特有の性格ゆえに,確率論や大数法則の適用が困難な事情を,物理学の事情と対比して,詳しく述べている 。
この論文の後半では,数学的経済学で数学的方法がどのような論拠で可能とされているかが批判的に考察されている。とりあげられているのは,均衡論基調の数学的経済学(ワルラス,パレート),確率論基調の計量経済学(クライン),公理主義的経済学(モルゲンシュテルン)である。

 山田耕之介「経済学における数学利用について」(1963年) によれば,経済学での数学の利用形態は3つあると言う。それらは「1.叙述=表現手段としての利用形態」「2.推理=分析手段としての利用形態」「3.いわゆる『技術=経済的』関係について(の利用形態)」であり,それぞれの問題点が具体的に指摘されている。

 杉森滉一は論稿「現代経済学と数学的方法」(1975年)で ,経済学の数学利用を正当化する見解について,その論拠を5つに分類し,それらを逐一批判的に検討している。5つの論拠は,①経済現象は量的であるがゆえに経済現象の科学的研究である経済学は数学的でなければならないとする見解(「数量的,ゆえに数学的」説),②経済理論は経済諸量間の相互依存関係を研究するべきであり,これらは関数関係でもっとも精密に表現されるので経済学は関数を通して数学化せざるをえないとする見解(関数関係説),③経済理論の論理構造を厳密化すればそれは数学で示されているものと同じになる,ゆえに経済学は厳密な科学たろうとすれば数学的にならざるをえないとする見解(公理主義的利用論),④数学利用の根拠を,数学が理論を厳密に進めうることに求める見解(「数学=論理」説)である。
付言すると,経済学における数学利用は計量経済学の本領であったが,1970年代の半ば以降,近代経済学に批判的な社会統計学者も,経済学への数学の適用,また数理的方法の積極的活用を唱え始めた。野澤正徳,木下滋,横倉弘行などである。池永輝之にはこれらの論者の見解を紹介し,これに是永,山田の見解を対峙させたサーヴェイ論文がある 。池永が後者の見解に立脚してこの論文を書いたことは言うまでもない。

2 調査論

2016-11-06 21:04:29 | 社会統計学の伝統とその継承
Ⅱ 調査論

社会統計学による調査論の展開は,調査論は統計利用者が統計を読み,分析するさいに点検しなければならない統計の真実性(正確性,信頼性)の検証に必要なかぎりで論じられ,その手続きは蜷川統計学によって提示された 。また,ドイツ社会統計学の系譜にあるG. v. マイヤー,F.チチェック(=F.ジージェク)のそれの紹介と検討という形で,高岡周夫 ,有田正三 ,大屋祐雪 によって行われた。

 統計調査論に関する議論は,次の主要な6点に集約できる。 (1)標本調査論(ランダム・サンプリング)批判,(2)社会統計学における調査論の展開,(3)典型調査論,(4)大屋統計論による調査論の発展的展開,(5)種々の社会調査と統計調査との関連,以上である 。
 
(1)標本調査論(ランダム・サンプリング)批判
 社会統計学の大きな成果は,標本調査法をめぐる戦後の論争を経て構築された標本調査論批判として紹介できる。この論争は推計学に関する部分と,調査技術に関する部分とに大別できる。両者は密接に関係するが,ここでは主として後者に重点をおいて解説する。前者については別稿を用意する。

 戦後の標本調査法をめぐる論争は規模が大きく,論点は多岐にわたった。推計学内部でも推計派と技術派との見解の相違があり,議論は錯綜の様相を示した 。論争の基調は推計学の理論に関わるものと,調査技術に関わるものとに大別できる 。

 この論争は北川敏男,増山元三郎が主導した推測統計学(推計派)に対する大橋隆憲の批判を契機とする。この論点に直接関係する大橋「近代統計学の社会的性格」(1949年) の意義は,推測統計学の対象が何かを,原理的に考察したこと,社会統計学が対象とする集団が「存在たる集団」で有限であり,推測統計学のいわゆる「純解析的集団」が無限母集団であると指摘したこと,である。

 次いで森下二次也は「統計調査論序説」(1951年) で,社会現象には推計学的母集団の想定も,母集団と標本との関係における確率論的図式の想定も是認しえないとして,推計学的方法の一部分としての標本理論を批判した。広田純「統計論争によせて」(1955年) ,内海庫一郎「ランダム・サンプリングに関する疑問」(1959年)も標本調査論のいくつかの問題点を列挙している 。

 社会統計学からの以上の批判を受け,坂元平八,津村善郎が「標本調査=技術論」を展開した(技術派)。坂元はストカスティック成立の場を,無作為抽出法における有限母集団と標本との間に成立する場合と,標本と無限母集団をつないで成立する場合とに分けられるとし,分析の出発点が有限母集団にあると主張した。津村は現実に実施されている標本調査にのっとって,標本調査における確率の場が抽出操作にあること,標本調査の目的は有意差検定にあるのではないこと,標本調査の母集団は調査対象として定義されたもの全部の集まりのことであると指摘した。津村は標本調査法を一つの調査技術であると性格づけた。

 「技術派」への反論は,上杉正一郎「統計調査の社会性」(1957年) によって代表される。上杉はこの論文で標本調査の論理と統計調査の社会性の対立・矛盾という面から母集団概念,回答誤差,統計の平板さの3点にわたって批判を加えている。批判のポイントは,津村が統計調査を集団測定(実測調査)と定義し,自然現象の実測で有効とされる標本調査を社会現象の認識のためにも活用できるとした点についてである。津村の認識は,統計調査・集団測定は社会の調査・測定にも,自然のそれにも共通に利用可能とする。上杉はこの見解に対し,実測調査(実測主義がとられている調査)は,自然を測定する自然科学的方法であるとした。実測と調査は,異なる。違いはデータを獲得する手段の相違(実測器具と調査票),また実測による誤差(測定誤差)と調査における誤差(回答誤差)の性質の差にあらわれる。津村調査論には,以上の認識が不足している。調査対象の社会性が問題とされれば,標本調査の適用に制約条件が加わるのは当然である。標本調査はこの制約に対応する形で,その数学的条件を後景におしやり,現実主義的観点から対象の社会性に適合しようとした。いわゆるサンプル・センサスは,標本調査の数学的条件と対象の社会性との妥協の一形態として,社会認識上一定の役割を果たしたが,難点を完全に払拭したわけではないと,上杉は結論づけている

 これらの議論を一歩進めた注目すべき論文は,吉田忠「標本調査による構造的変化の把握」(1962年) である。この論文は標本調査論の意義と限界を現実的な視点で,批判的に考察している。その視点とは社会統計学の側から標本論批判の上記の到達点を確認しつつ,しかし現実の各種の社会調査に適用された標本調査の結果からその有効性を一概に否定できない事実をおさえた議論展開になっていることである。
𠮷田による標本調査の評価は,以下のとおりである 。

(イ)実在の社会集団に関して,全数調査をもとにした母集団リストがあるとき,ランダムに抽出されたサンプルの標本平均値で構成される純解析的集団の確率的安定性を利用して,その社会集団の特性値の平均を推定することは可能である。
(ロ)しかし,それは確率的操作にもとづいてくみ立てた純解析的集団を媒介するという迂回的把握であるから,直接的把握である全数調査に比して種々の制約があり,その制約が社会集団の認識には致命的な場合もある。
𠮷田が当該論文の第一の課題としたのは,(ロ)でいう制約を明確にすることである。従来その論点はほぼ出尽くしていたが,(イ)の否定と連動させた議論が多く,混乱した状況があるので,整理が必要という。第二の課題は,この整理を踏まえ,農林省農家経済調査を例に標本調査の問題点を検討することである。論文のなかで吉田は標本調査のメリットについて,その技術的なメリット(迅速性,経済性,誤差の縮小)とともに,本質的メリットとして(1)標本誤差を確率的にではあるが,定量的に定めうること,(2)標本誤差をある範囲内に確率的におさめるのに必要な標本数を前もって定めることができることにみている 。詳しくは,この論文を直接参照されたい。

(2)社会統計学における調査論の展開
 統計調査論のもうひとつの成果として見逃せないのは,木村太郎の一連の論文,すなわち「一部調査論考」(1981年) ,「統計調査法の諸概念について」(1985年) 。「社会調査と統計調査」(1992年) ,「統計調査論」(1992年) をあげることができる。その意図は完全に成功したかどうかは別として,蜷川虎三以来の社会統計学の伝統的統計調査論を具体的に展開しようとしたことにある 。
木村(太)は論文「統計調査論」で統計の生産方法である統計調査の対象を社会集団(数量的観察を行うことに意味がある社会集団)であると規定し,次いでその構成要素である単位が観察に値する社会的属性を保持していなければならないとする。さらに木村は統計調査の対象である社会集団は相互に独立した単位からなる,いわゆる数えるべき集団(計数集団)であると,述べている。

 統計調査は,自明のことであるが,統計の生産方法である。それは対象である社会集団の全数を補足,観察する悉皆大量観察=全数調査が基本形態である。同時に,統計調査は量的社会経済調査をも課題としている。その課題は,これらの社会経済の活動主体が相互にどのように結合し,分解し,全体としての社会集団を構成しているかを数量的に観察することである。統計調査が量的社会経済調査でもあるということの意味は,その対象が社会経済の担い手である人間や家計あるいは事業体という社会経済活動の集団であることにある。

 社会統計学の研究者は従来,統計調査のこの二つの課題のうち,社会統計調査的側面を強調しながら,統計生産的側面に言及することが少なかった。統計調査を統計の生産という側面から見ると,社会集団の大きさや性質に関する統計だけでなく,例えば工場の集団の場合,その生産高,在庫高,生産諸設備,雇用労働者数,原料使用高などの統計がある(標識和の統計)。統計調査の重要な統計生産的課題は,こうした多様な諸統計を,統一した総体として生産することにある。

 木村(太)はさらに,統計の対象である存在は時点的観察と時間的観察の2つの観察形式をとることを確認している。時点的な観察の結果が静態量で,時間的なそれが動態量である(この場合,対象が集団か量かは問わない)。静態統計調査にせよ,動態統計調査にせよその対象が観察単位集団であることに変わりはないが,違いは前者が静態的観察単位集団を,後者が動態的観察集団を扱う点にある。統計調査の結果が,静態量であるか動態量であるかとは別の問題である。静態的統計調査の対象である集団は,単位自体が客観的存在であり,これによって構成される社会集団も空間的大きさをもった存在である。これに対し,動態統計調査の対象である社会集団は社会経済過程の現象形態を,現象の発現の契機として観察単位とする一定の期間内でとらえた集団である(後者は客観的存在ではない)。

(3)典型調査論
 社会統計学による統計調査論の論点のなかに,典型調査論がある。佐藤博「典型調査の意義について」(1967年) ,木村太郎「一部調査論考」「典型調査論考」 が,典型調査を論じた論文である。
佐藤論文は,戦後,標本調査論(任意標本抽出調査法)がはなやかだった頃,むしろ典型調査にこそ社会学的統計調査の意義があることを主張したものである。この論文のなかで,佐藤は当時,標本調査の推奨者だった津村善郎が典型調査を質的調査であるとして,統計調査から除外する考え方をもっていたことを紹介し,この見解に批判をくわえている。論文の課題として設定されているのは,社会科学における典型認識の意義を明らかにし,これを受けて調査論における典型調査の役割を規定し,さらに典型調査と統計調査の関連を明らかにすることである。全体をとおして,統計学における典型調査の意義を明らかにする内容である。

 佐藤によれば,典型調査は大量観察代用法のひとつである。大量観察代用法は,大量観察の実施が困難か不可能な場合,また必要でない場合に実施される一部調査で,そのなかのひとつの形態が典型調査というわけであう。典型調査がそのように規定されるのは,調査が社会科学の理論によって典型的とみなされた集団を調査するからである。典型を選択し,その一般性を保証するのは,大数法則や確率論ではなく,社会科学の理論である。したがって,典型調査の信頼性を保証するものは,理論規定の正当性である。

 木村(太)は,一部調査には(1)直接的一部調査,(2)間接的一部調査,(3)地域的一部調査(間接的一部調査であるが複雑な集団性そのものが観察課題となる場合),(4)典型調査,があるという 。このうち,典型調査でいうところの「典型」という概念は諸種の型(類型)の存在を前提とし,この型として模範的なもの,代表的なものを指す。したがって,典型という概念は,社会現象にも自然現象にも存在する。典型が特定の類型について模範的か代表的であるかどうかはその単位の類型としてもつべき特定の諸性質あるいは代表的に備えているかどうかにかかっている。統計生産において典型的な単位を抽出するのは抽出される単位が類型を代表する単位すなわち典型であるからであるが,この単位について観察・測定すべき具体的な対象は基本的にこの単位を典型的なものたらしめている諸属性ではなく,それ以外の特定の諸性質である。木村によれば,重要なのはこの点の了解である 。

(4)大屋統計論による調査論の発展的展開
 社会統計学の系譜で,調査論の新たな展開は大屋佑雪の反映=模写論によって示唆された。大屋理論の内容の紹介は別途行う予定であるが,調査論に限って一言述べると,この理論は統計の作成と利用のプロセスを客観的に遂行される対象とし,その視点から統計調査論の構築が試みられた。その要点は、大屋祐雪「統計調査論における蜷川虎三」(1967年) に示されている。大屋が提起した視点は,従来の蜷川理論の統計利用者の立場からの,あるいはその系譜上にあった社会科学方法論説に立脚した調査論の方法と異なる。

 大屋のこの議論は方法論の提示に留まらず,自身による戦後日本の統計制度の確立過程をあとづける実証研究と並行して行われたところに特徴がある。なお濱砂敬郎の一連の研究、すなわち調査員問題(濱砂敬郎「統計調査の現状」,1980年) ,統計環境の悪化に関する研究(濱砂敬郎「統計環境の地域分析」,1979,1981年) ,プライバシー問題(濱砂敬郎「統計調査におけるプライバシー問題の新局面」,1984年) は,大屋理論による方法論的な後押しがあって取り組まれ,有益な成果を生んだ。

 蜷川統計学に始まる「統計学=社会科学方法論説」に比較的早い時期から異を唱えたのは,大屋祐雪である 。大屋理論に関しては節を改めてとりあげるが,この理論は,要約すれば,統計実践(統計調査と統計利用)を社会現象ととらえ, これを「客観の視座」から研究対象とするのが社会科学としての統計学の使命とする見地である。社会現象としての統計調査, 統計利用は, 一般的には調査主体, 利用主体の主観のもとに統計方法を使って実践されるが, 社会科学としての統計学はこの調査, 利用のプロセスを客観的に遂行されるプロセスと捉え, 統計学の研究対象はここにもとめられる(反映=模写論),とする。大屋による蜷川統計学の評価は下記のようである 。

 蜷川は基本概念としての「大量」を統計調査論の基礎にすえ,その大量の観察に「理論的過程」と「技術的過程」とがあるとした。また,この大量観察が一定の社会関係(調査者と被調査者)のもとで成立することを強調すると同時に,大量観察の両過程が統計の「信頼性」と「正確性」に関わるものとされる。
大量観察の「理論的過程」は大量の4要素(時,場所,単位,標識)が大量観察の4要素として規定されるところまで,この過程で統計の信頼性の検討が行われる。大量観察の理論的過程に続く技術的過程の考察は,調査票自体の問題と調査票の運用の問題として取り上げられる。特徴的なのは,蜷川にあっては以上の問題意識から調査票の考察が実体論と形式論に分けて考察されていることである。実体論とは,調査票の構成に関わる問題であり,形式論は調査者関係事項と被調査者関係事項とを峻別した問題である。

 大屋の蜷川統計学の評価は、次のようである。蜷川統計調査論では、目標定立の過程が歴史的側面からのみ特徴づけられ,もう一つの側面,すなわち統計調査における抽象的一般的方法行程としての特徴づけがなされていない。すなわち,蜷川理論では統計が必然的におびる事物認識の経験批判論的性格が統計の一般的な論理として定式化されていない。また,蜷川理論では大量観察の理論的過程では,部分集団の構成に関係する「群」および「統計の表示形態」に関する「決定」がその過程の基本要素として論じられていない。実際の作業行程を考えれば明らかなように,「群の確定」は「分類」と「集計」のための論理的決定であり,その組織的・技術的決定とともに「整理計画」の骨子なので,統計調査論における「理論的過程」の問題として定式化されてしかるべき性質をもつ要素であるが,それがない。「統計の表示形態」にも同様のことが言える。そうなってしまったのは,蜷川理論が統計から大量を追及するという統計利用者の立場にたっているので,「群」は部分集団として,「統計の表示形態」は統計値として統計表そのもののなかに具現し,それらは吟味・批判の素材となっても,4要素に加えられる性質のものとならないからである。

 蜷川理論は調査手続きとしての反映=模写の過程が,反映=模写の世界観(認識論)にもとづいて理論構成されている。大屋は蜷川の大量観察法が統計的反映=模写論であると特徴づける(p.178)が,それは蜷川が世界観としての反映=模写論を統計方法そのもののなかにもちこんで統計調査法を構想したからである。大屋はこのような一面的な反映=模写論の統計学への適用に疑問を呈している。要するに蜷川にあっては,統計の吟味・批判の見地に対応する側面,すなわち統計調査の歴史的社会的側面の少なからぬ部分の考察が成功的に理論化されているが,一般的方法行程論の側面の考察は軽視されている。両者が統一され,相互に補完されてこそ,正しい統計調査論になる。

 先の論点である標本調査論の理解で,大屋は技術派の見解をとる(大屋祐雪「標本調査法の技術性について」1957年 ;同「大屋祐雪「標本調査の論理」1964年 ) 。大屋によれば,標本調査法は応用数学であり,その数理の組み立ては「出現の確からしさ」という確率の判断形式がそこに含まれていることを容認するならば,問題となる論点は全くない。問題は標本調査法の適用をめぐる理解の仕方である。この点での検討課題が3点示されている。第1は,標本調査法の論理は社会調査に適用できるかである。第2は,それが適用された場合,統計活動の過程でいかなる役割を果たすか,である。第3は,その役割が自然科学的に合理的なものか,それとも社会的適合性か,である。第1の設問に関する筆者の回答は,標本調査の論理は抽出集計の論理と原理的に同じだが,標本設計の実際には固有の制約があるということ。第2の設問に関しては,技術派は標本調査法をもって社会調査の技術と規定している。第3の設問に関しては2つの解釈があり,一つは標本調査法の役割を物質的生産における労働手段の役割に擬して理解する数理統計学者の間に一般的に見られる見解であり,他の一つは津村善郎に代表される指導的地位にある統計の専門家の考え方である。

(5)種々の社会調査と統計調査との関連
 社会経済現象の量的側面を計測する調査には,統計調査(全数調査),標本調査,事例調査,実態調査,などがある。これらの関係をどのように理解するかという問題を,直接に取り扱った論文に,吉田忠「統計調査論ノート」(1977年) ,木村太郎「社会調査と統計調査」(1992年) がある。

 吉田はこの論文の最後の節「事実資料の利用過程における統計資料と実態調査」で,非統計的資料としての実態調査(事例的ないし典型的実態調査)の問題を,統計資料を含む事実資料の社会的組織的な利用形態との関連で検討している。𠮷田の主張は,社会科学研究で統計資料が一定の意義をもつとはいえ,それだけでは十分でなく,この限界を克服するには種々の事実資料と結合させて統計資料を整理加工しなければならないこと,そのことによって統計の正確性,信頼性をたかめうること,ときには事例的典型調査の結果を尊重しなければならないことが必要である,と述べている。𠮷田には実際に農業分野でのこれらの諸資料の使い方を論じた「農業統計資料と農業・農村の実態調査」(1987年) があり,非常に参考になる。

 他方,木村(太)は上掲論文の末尾で,このテーマの結論を次のように要約し,社会科学的社会調査論体系のあるべき基本的方向を示唆している。すなわち,社会科学的社会調査は,社会全体の全数(悉皆)調査によって行われるべきである。社会のこの全体的調査は,数量的観察によって果たされる。ここから脱落する質的側面に関する観察は部分的な観察や調査(実態調査)によって補完されなければならない。この部分調査は一部調査(事例調査)と混同されてはならない。この種の調査は社会の構成要素の個別的な観察にすぎず,本来的意味における社会の部分的調査の代わりにはならない。統計に対する補完的認識資料として必要なのは,本来的部分調査=実態調査である。この部分的実態調査の多くは,個人的研究家や研究者集団の調査能力に依存せざるをえないが,政府行政諸機関が積極的に実施してもよい。戦前には現にこの種の部分的実態調査が,行政機関によってしばしば行われ,価値ある実績を残したが,戦後その関心は専ら標本調査だけに限られてしまった。アメリカ的社会調査論の悪影響のひとつである,と。


1.蜷川統計学と社会科学方法論説

2016-11-05 17:45:06 | 社会統計学の伝統とその継承
Ⅰ 蜷川統計学と社会科学方法論説

■はじめに
 蜷川虎三が体系化した統計学は,戦後の社会統計学の展開の源に位置する。蜷川統計学と称されるこの統計学は,その体系の堅固さの点で,また統計学界に及ぼした影響力の点で,日本の社会統計学の発展の礎石となった。蜷川は戦前に3冊の代表的な著作を刊行した。『統計学研究Ⅰ』(1931年),『統計利用に於ける基本問題』(1932年),『統計学概論』(1934年)である 。蜷川統計学の体系と構成さらには内容を整理した論稿には,次のものがある。大橋隆憲「統計理論の定式化と形式主義化」(1963年) ,野澤正徳「経済統計論の対象と性質-序説-」(1975年) ,内海庫一郎「蜷川の統計学説について」(1988年) ,中江幸雄「蜷川統計学と真実性批判-序論-」(1981年) ,横本宏「蜷川における集団論」(1984年) などである。また,蜷川執筆の A Study of the Nature of the Social Mass の翻訳を掲載した蜷川統計学研究所『研究所報No.2』には,詳細な「蜷川統計理論概要(一覧表)」が付録としてあり,蜷川統計学の全容を知ることができる 。

 統計方法を対象とする蜷川統計学は, 4つの特色をもつ 。第1に, それは統計利用者の立場にたった統計学である。第2に, 統計方法を「大量」の数量的研究方法とすることで, 統計方法の端初を「大量」におき, 大量の性質, 特質から統計方法の一切の規定を導き出す統計学である。第3に統計による現実の社会経済現象の測定と関わる統計誤差に, 統計利用者の側からみて二種の誤差が存在することを明らかにし, これらを統計の信頼性の吟味, 統計の正確性の吟味として位置付けた。第4に, 統計の数学的処理が, 統計の反映する対象の性質の相違によって異なる意味, 異なる結果をもたらすことを明らかにした。

 以下では統計学の対象を大量,すなわち社会的集団とした点に焦点を絞り,その体系をめぐる社会統計学分野での議論を紹介し,検討する。

 ドイツ社会統計学の成果を批判的に継承した蜷川は統計学体系の構築には,統計とは何かという問いから出発しなければならないとし,統計が社会集団を反映した数字であるとした 。従来,統計学の学問的対象として十分に理論的に基礎づけられなかった社会的集団(=「大量」)を統計学の原点に措定したところに蜷川の炯眼がある。

蜷川にあっては,統計的「集団」は2とおりに規定される。一つは, 統計調査を予定した「存在たる集団」であり, もう一つは数理的統計法が適用される「意識的に構成された集団(解析的集団)」である。前者は, 意識から客観的に独立して存在する対象的集団である。後者は研究者が統計的法則=安定的数値をもとめるために, 方法的に構成された集団である。「大量」は大量観察法で具体的,数量的にとらえられる。その実現過程が統計調査過程である。この過程は統計が客観的存在を正しく反映しているかどうかを検討する基準にてらし,理論的過程(大量の4要素を大量観察の4要素として規定する過程)と技術的過程(統計調査,統計加工,統計実務の過程)とにわけて考察することができる。前者にかかわる統計の真偽性の問題が信頼性という論点,後者のそれが統計の正確性という論点である。

社会統計学の系譜をその淵源まで遡ると,戦前の日本の統計学の諸研究があり,蜷川統計学はそれらと無関係でない。したがって,時間と紙幅の余裕があれば,それらと蜷川統計学との関連を究明しなければならない。ここではそのことの指摘だけをしておきたい。ただし,蜷川統計学がドイツ社会統計学の成果から強い影響を受けていたことだけは,特筆に値する。このことの意味は重要である。なぜなら,蜷川統計学を出発点とする戦前の社会統計学の展開,すなわち統計学史研究,統計的認識の可能性をめぐる論争,数理統計学の批判的研究,ソ連統計学論争,物価指数論の評価は,蜷川統計学がバックボーンにあり,その統計学の学問的性格の理解は,これら諸論点の理解に欠かせないからである。

 蜷川統計学体系の特徴は,別の角度からみると,統計的認識の在り方を問うていることにある。蜷川にあっては,統計学の主要な対象は統計方法であるが,その方法は現実の社会的経済的諸現象に規定されるとする。この考え方は「統計学=社会科学方法論説」と呼ばれる。大橋は後に社会科学方法論説を,次のように簡明に特徴づけている 。
 (1) 統計学の研究対象は統計方法である。/(2) 統計方法とは,社会認識の目的の下に,統計対象を統計結果として捉える過程の方法的諸規定の特殊な結合形態である。統計方法は統計対象と統計目的によって規定される。/(3) 統計対象(統計方法の成立基盤である統計方法の適用対象)は社会集団の運動過程(社会集団過程または社会集団現象と略称)である。(4) 統計目的(統計方法の適用目的)は,社会の具体的・数量的目的という以上に,一般的に規定することは困難である。けだし,統計主体のおかれている立場と条件によってその課題は異なるからである。/(5) 統計結果(統計方法の適用結果)は一般に統計と呼ばれる。統計はその生産過程たる統計方法過程の段階経過によって加工度と性格を異にする。しかし,社会集団過程を数量的に反映するかぎりにおいて,いずれも統計である。統計は社会認識の手段・用具である。しかし,統計結果は統計対象と無関係に,単なる数値として,ひとり歩きしうる必然性があり,社会認識を誤らせることになりかねない。

■内海,足利による蜷川統計学批判
 内海庫一郎,足利末男は蜷川集団論に論点を絞って,その統計学に疑義を呈した。『統計学』創刊号(1955年6月刊)で,内海庫一郎「弁証法と蜷川統計学」 と足利末男「集団について」 は,蜷川統計学について批判的に論じている。まず内海は蜷川統計学に対し,弁証法なき統計学として,また足利末男は二元論的統計学として,その批判的克服を提唱した。これらが契機となり統計学の対象をめぐる議論が繰り広げられた 。

 議論の直接の発端は,内海の問題提起である 。内海によれば,統計の対象は必ずしも蜷川が規定した「集団」でなければならないのではなく,「個体」であってもよい。統計対象=「大量」は「その存在が社会的に規定された集団」ではなく,社会的存在がその一面において集団なる性質をもつ,と規定すべきものである。統計対象は,社会的存在の数量的側面という規定だけで十分である。統計対象を必ずしも集団としない主要な理由は,次のように説明された。すなわち,人間集団は人と人との交互作用からなる社会関係=生産関係からなり,この交互作用自身が「集団」化され,反復・安定・固定化すれば,社会科学の研究対象である社会制度,社会構成体となる。そうなると,特定の交互作用を営む人間集団がそれ自身「個体」化し,かつその個体独自の質的,構造的,および量的規定性をもつ。企業,国営企業,中央銀行などは,個体=構成体である。企業の会計組織,権力機構の収支(すなわち財政),あるいは日銀の兌換券発行高などは,これら個体の数量的属性である(集団とは言えない)。それらは,個体=構成体の単一な数量的規定であることにその本質的意義がある。この内海見解に対して,支持を表明したのは木村太郎 であり,集団説の視点から異議を唱えたのは大橋隆憲 である。

 内海は「解析的集団」にも矛先を向ける。その結論は,統計の利用・加工あるいは「統計解析」の目的は「安定的結果」の追求,「統計法則」の発見にあるのではない。社会科学の目的は「統計的法則」の発見にではなく,客観的な社会法則の発見,およびそれらの諸法則の組み合わせによる諸規定の総合としての具体物とその運動の観念的再現である。「統計法則」はその過程における一つの段階,いわゆる「経験的法則」ないし「実験式」を意味するにすぎない。内海はまた,蜷川の「単なる解析的集団」の概念にも首肯しない。時系列に反映される「集団」は「単なる解析的集団」ではなく,まさに「大量」の発展変化そのものである。それは目的によって構成された人工的産物ではなく,「大量」の発展変化の反映,すなわち客観的運動変化の反映そのものである。時系列が「単なる解析的集団」であるのはむしろ例外で,一般には「大量」の運動変化そのものの反映であり,その分析は安定的結果の発見ではない。

 他方,足利による蜷川統計学の評価は,次のようである。蜷川の「集団」論の特徴は, それまで曖昧なまま取り扱われていたこの概念の中身を明確にしたことである。足利はこのように, 蜷川「集団」論を評価しながらも, それが二元論的構造をもっていることを指摘した。蜷川にあっては, 統計学は統計方法を研究する学問であり, この場合の統計方法とは大量観察法と統計解析法である。両者は一体であるが, 大量観察法は社会的にその存在を規定された集団である大量を把握する方法であり, 統計解析法は大量観察法を出発点とするが, 独自の制約のもとにある方法である。統計学は大量観察を基礎とするが, 大数法則の解明もそこに存在根拠を有する。統計方法による研究の目的は集団のもつ安定性, あるいは他の集団との安定的依存関係である。要するに, 蜷川統計学の体系は, 社会科学に理論的基礎をおく大量観察の方法的規定としての大量観察法と, 数理的方法としての統計解析法とからなる。この点が足利のいう蜷川統計学の二元論的構成である。

 蜷川理論の積極的遺産(更に展開されるべき方向)と消極的遺産(克服されるべきもの)とは明確である。すなわち, 前者は統計学を社会科学に属する一個の学問と規定し, 統計学の研究対象が社会科学の一研究方法であるとし, その根拠を明らかにしたこと, 統計を唯物論的に解釈したこと(統計の本質・実体を実在する集団としたこと)である。後者は集団の二元論的把握, その延長での統計学の二元論的性格として克服されるべきものである。以上をふまえたうえで,足利は社会統計学の課題を2点にまとめている。一つは, 社会科学の理論によって, 統計学の体系を一元的に構成すること, もう一つは社会的集団と他の社会科学の対象である社会現象との関係を明らかにし, とりわけ社会現象の量的把握が社会科学的認識に対してもつ役割を明確にすることである。

■木村統計論をめぐって
 統計学の端緒を社会的集団概念におくことに反対した木村によれば ,集団概念は統計学の成立以降,統計学の内部で形成された概念であり,数字資料としての統計はそれ以前から歴史的に存在していた。したがって統計学の存在以前に既にあった統計の概念を,統計学によって形成された概念である社会的集団から説明するのは矛盾する。統計=社会的集団という統計の規定は,統計学の内容である統計方法によって与えられたものである。統計を統計学の枠内における統計方法と関連させてとらえるのでは,歴史的存在としての統計を正確に理解できず,ひいては統計学のより発展的展開を阻む結果に陥る,と言う。木村はこのような理解にたって,統計を「社会経済過程の諸局面を総量的にあるいは代表的に反映する数字的資料」と定義づける。

 統計の生産過程は(木村は統計調査に基づく統計の作成よりも広義の概念として,統計の「生産」という用語を多用する),社会経済過程の諸局面の数量的認識を獲得するための直接的観察過程であり,方法としては調査過程である。この調査は,運動する諸過程の静態的側面と動態的側面とに対応して,静態的観察と動態的観察とに区分できる。いずれにしても観察によって数量的に捕捉する対象は,観察単位である。統計的方法で重要になるのは,観察単位の設定と観察単位集団の補足である。静態的観察過程で直接観察の契機となる観察単位は,人間,農家,工場といった時間的空間的存在である。これに対して動態的観察過程で観察の契機となる観察単位は,人間の出生,死亡,火災,交通事故など現象の発現を根拠にして捉えたもので,存在そのものではない。従来の統計学(社会統計学も含む)では,こうした点が曖昧で,二つの観察形式の基本的差異性は大量観察法の対象である社会的集団の種類(静態的集団と動態的集団)の問題として説明されるにすぎなかった。

 静態的集団を対象とする観察単位集団は,客観的に存在する社会的(歴史的)集団である。観察対象は存在たる社会的集団であり,厳密に言えば社会経済関係を前提とした構造的総量(構造と関連性をもった代表値)である。したがって,ここでは観察単位や標識の規定が重要になる。木村はこの議論との関わりで,大量観察法が資本主義の初期段階の集団を観察する方法として最も適したものであると,述べている。資本主義が発達して独占が登場すると,統計の生産方法としての大量観察法の意義は後退する,というのが木村の見解である。大量観察法は観察対象である社会経済過程における諸属性がどのような方法で生産されるかを問題としない。これに対し,独占の登場は,統計生産の問題を属性自体の記録方法に転化する。観察単位における属性,特に量的属性の記録方法の問題は大量観察方法を固有の統計方法とする限り,その枠外の問題とせざるをえなかったが,統計生産一般として捉えると,重要な論点となる。

 動態的集団観察法を構成する観察単位は,現象の発現そのもので,それ自体が存在ではなく,意識的に構成された集団である。それゆえ,事象の発現をもれなく捕捉するための組織,すなわち系統的な調査単位の設定が重要な意味をもつ。こうした事情から動態的集団の観察の多くは,行政機関や経済機関を通じ,これらの末端機関を調査単位として業務上の必要から行われる。

 動態的集団の観察過程では,静態的集団のそれにみられるような,第一義統計と第二義統計の区別は困難である。そこでの観察単位の補足は多くの場合,申請,許可などを含む届出によるので,いかなる調査単位を通じていかなる方法で観察単位を漏れなく,重複なく捕捉するかが重要なポイントになる。またそこでの観察単位の問題は重要でないわけではないが,静態的集団のそれにおけるほどの決定的意義をもたない。標識は発言した事象そのものの属性について,動態的観察単位集団の分類の基準として設定される。分類した結果表は客観的存在の構造を反映するものではなく,発現した事象の現象としての傾向を示すにすぎない。

 木村にあっては,統計は「社会経済過程の諸局面を総量的にあるいは代表的に反映する数字的資料」と定義づけられるので,対象が社会的集団でなくとも,一個の観察単位がありその属性が社会経済過程の特定局面で,総量的かまたは代表的な数字であれば,統計としての資格をもつ。換言すれば,一個の観察単位の属性であっても,それが社会経済過程の総体を語る資料であれば,それは統計である(日本銀行の日銀券発行高など)。

 木村はその著『統計・統計方法・統計学』 で,蜷川以来の従来の社会統計学の誤りの根源が上記に示したように統計=社会集団説にあると唱え,統計学の「首座」に統計をおく真の統計の学の再構築を提唱した。この著の批判的考察を行った広田純によれば,木村の見解は次のように要約できる,とする 。(1)観察単位の量的属性に関する総和の統計は標識和であり,集団ではない。しかし,社会集団説は,この標識和の統計にも社会集団を想定する。(2)静態的観察単位の標識和としてとらえられる動態量は動態集団とはいえない。動態集団とは,動態的観察単位集団である。(3)社会集団説は標識和の統計にも社会集団を想定し,不連続集団と連続集団,「数えるべき集団」と「測るべき集団」とを区別するが,連続集団とか「測るべき集団」という概念は形容矛盾である。

 広田はこの木村見解に対し,統計を標識和として規定すれば,それが集団でないのは自明であるが,問題の所在は統計自体ではなく,統計対象が集団であるかどうかという点にあり,木村は統計そのものと統計対象の意義の違いを理解していない。関連して,木村は「測るべき集団」と連続集団を同一視し,フラスケンパーと蜷川虎三をなで切りにするが,「数えるべき集団」と「測るべき集団」の区別は,集団の構成単位が同じ大きさの単位であるか,異なる大きさの単位であるかの区別であり,統計対象の区別である。これに対し不連続集団と連続集団の区別は,統計が連続量か不連続量かの区別である。したがって,連続集団という概念が形容矛盾であるという指摘は当たっているが(フラスケンパー批判),蜷川の所謂「測るべき集団」まで否定するのは妥当でない(論理の飛躍)。いずれにしても,木村の社会集団説批判は統計対象が社会集団であることの部分的否定の立場をとりながら,実際には「統計と統計対象とを区別し,前者を後者の数量的表現とみる立場」に対する批判である。

 広田は続けて述べる。木村によれば,集団説は統計を集団観察の結果たる数字と捉える見解であり,これは統計方法によって統計を規定し,統計の範囲から集団観察の結果でない数字資料を排除することになると言う。木村のこの解釈は誤解であり,集団説は統計方法によって統計を規定するとは言っていない。広田によれば,社会集団説は,統計対象を社会集団と規定したうえで,この社会集団を統計として捉える方法が集団観察であると規定する。統計は社会集団を語る数字であると同時に,集団観察の結果たる数字である。社会集団説の立場は,根本的には,統計を統計対象によって規定するというものである。したがって,木村の集団観察の捉え方こそ問題がある。木村は社会集団説で言う集団観察を集団(・・)に(・)よる(・・)観察の意味と捉えるが,そうではなく集団観察は社会(・・)集団(・・)を統計として捉える方法という意味である。社会集団説が統計方法で統計を規定しているとすると批判する木村見解は,自前で解釈した社会集団説の批判である,と。
 広田はこの後,木村の統計利用論にコメントを与えているが,その部分は本節のテーマからやや離れるので省略する。

■大屋統計論をめぐって
 蜷川統計学に始まる「統計学=社会科学方法論説」に比較的早い時期から異を唱えたのは,大屋祐雪である 。その批判は集団論にとどまらず,統計学の枠組み全体に関わる内容で本節のテーマを超える部分を含むが,無視できない議論なのでここで取り上げる。

 大屋は1964年に開催された経済統計研究会第8回総会で,反映・模写論に立脚する独自の統計学の構想を試論として発表した 。この理論の内容は,大屋自身の説明によれば,次のようである。(1)統計とりわけ政府統計は社会的労働の特別の形態として歴史的にも, 社会的にも恒常性があり, 統計的研究から相対的に独立した地位, 性格, 役割をもつ。(2)経済分析, 経済計画は官庁エコノミストの役割であり, 行財政の一環として制度化されている。(3)政府は最大の統計生産者であり, 最大の利用者でもあるので, 国家と統計, 国家と統計作成の関係の究明は社会統計学の課題とならざるをえない。社会統計学としての統計学の成立基盤は, そこにある。(4)統計利用は,特殊歴史的な形態と性格がある。(5)種々の統計利用も社会現象として, 特殊歴史的な社会過程として考察されなければならない。(6)統計学=社会科学方法論説では, こうした点が理論化も体系化もされていない。(7)どういう視座にたてば, この種の問題が統計学の直接的な研究対象となり, 上記の課題を解明する統計学になるのだろうか。視座が問題にされる所以である。(8)「反映=模写論」は,その視座である。この視座は資本主義社会の統計, 統計作成, 統計利用を特殊歴史的な過程としてとらえ, その発展を歴史的・論理的に追及するために構築される。(9)この思考様式にしたがって, 現代統計をめぐる諸実践の特殊歴史的な社会的性格とそれらの理論的技術的構造を明らかにしなければならない 。

大屋理論に対しては,社会科学方法論説の側からの反論がただちになされた。その反論が急であったのは,社会現象としての統計調査,統計利用における研究の立ち遅れを指摘した大屋の立論がその原因を,蜷川統計学の体系(あるいは社会科学方法論説)を支える原理そのものにもとめたからである。大屋理論に対して,その問題点を積極的に取り上げ,批判したのは近昭夫である 。近による「反映・模写論」の批判の論点は,概略,以下のとおりである。大屋の反映・模写論では,統計の対象反映性,統計の利用方法の科学性は問題とされなくなる。なぜなら,この理論では統計,統計調査,統計利用は所与の客観的事象であり,統計学の研究対象は客観的事象それ自体の歴史的社会的性格となるからである。独立の実質的科学としての統計学は,それらを客観的視座から反映・模写すればよい。大屋理論を継承する世利利夫はより直截に,統計の対象反映性や利用方法に関わる成果を,社会科学的知識の理論にもとづく統計利用の心得あるいは注意書きととらえ,統計学の対象が統計活動に内在する統計技術の論理の社会体制への「適合性」「適応性」の考察でなければならないと提唱する 。

 近はこのような論理では,統計によって客観的対象である経済社会現象をどのように,どの程度認識できるかという課題,すなわち現行の政府統計の信頼性,正確性がどのように理論的方法論的に保証されているかという問題の検討が統計学の視野から抜け落ちる。なぜなら,反映・模写論では,たとえば国民所得統計や産業連関表も計量マクロモデルも数理的手法も,それらの存在が大前提として所与の現象となり,統計学はこれらを客観的現象としていわば外在的に眺めることになり,これでは結果的にそれら諸統計,諸方法の無批判的是認につながるからである。

 もっとも,近は従来の社会科学方法論説的立場にたった統計学に問題がなかったとしているのではない。大屋が指摘した社会科学方法論説的統計学が政府の統計活動あるいは統計制度それ自体の研究を十分に検討していなかったこと,統計利用者の立場を強調する蜷川統計学における調査論が指導的統計家による目標設定の意義を軽視し,統計的労働工程の考察を欠落させていたことについては同意している。

 伊藤陽一は, 「統計調査の社会現象的側面, 統計制度を研究対象にどう組み込むか」という問題を大屋理論の積極面と評価し, また「統計利用論の実質的内容の獲得」について, 見解を述べている。「統計調査の社会現象的側面, 統計制度を研究対象にどう組み込むか」については,「統計環境の悪化」, 情報の独占と独占的利用, 情報の公開とプライバシー保護, 統計法のあり方の是非など, 従来社会統計学によって十分に検討されなかった問題を, 社会科学方法論説の成果に立脚しながら, 大屋の所説を発展させなければならないと伊藤は書く 。

 岩井浩は大屋理論に若干の疑問を呈しながら次のような評価を与えている。「大屋の統計,統計調査の歴史的資本主義的特質の把握,統計と国家の関係の解明は,蜷川以来の社会科学方法論説が,統計方法を主たる研究対象とするがゆえに,統計調査の客観的過程,その歴史的,社会的要因の把握をその対象のかたわらにおいてきたことに対する正当な批判であり,かつ大きな意義をもつものであった」と 。

 以上,本稿では蜷川統計学の体系と方法に関わる諸論点の展開をまとめた。最初に蜷川統計学の特徴を示し,次いでこれに対する内海庫一郎,足利末男による批判的論点を紹介する。さらに,木村太郎,大屋祐雪によって論じられた蜷川統計学の批判的克服の試みとそれらに対する社会科学方法論説からの反論と同意を示す。以上は,およそ1980年中頃までの議論の展開である。ところで蜷川の集団論の位置づけをめぐる認識論次元の議論はその後,大西広が統計的認識の本質を構成説の視点から再検討する形で再燃した。これについては,ここで詳しく取り上げる余裕はないが一言付け加えると,大西の議論は蜷川のいわゆる大量をいかにとらえるかをめぐる大橋と内海の論争,野澤の統計認識論,山田満の蜷川批判をふまえ,ソ連統計学論争の構成説的観点からの批判的受容をとおして打ち出されたことに特色がある 。大西による内海理論の誤解を指摘し,その見解の全体に批判を行ったものに,是永純弘「[書評]大西広『「政策科学」と統計的認識論』」がある 。