3 計量経済学批判
推計学の導入からやや遅れて,1950年代後半に注目を浴びたのが計量経済学である。計量経済学の流入は,理論経済学あるいは経済政策の分野においてであった。
計量経済学は, 1920年代に生まれたアメリカの統計的経済学(H.L.ムーア,W.M.パーソンズ)の流れを継承し , その後,経済政策分野への適用という条件を加味し,方法論や統計処理の面で数学的意匠をこらし1930年代に確立した。その直接的契機は, フリッシュ, フィッシャーの提唱,呼びかけによる計量経済学会の設立である(1930年12月)。アメリカ仕込みのこの経済学は,数理統計的手法に対する絶大な信頼を基礎におく。計量経済学は固有の数理モデルを前提とし,モデルに実際の統計を充填し,政策に必要な数値の導出を目標に掲げた。しかし,この経済学は立脚する理論,モデル構築の手法,統計の使い方の諸点において多くの恣意的非現実的な仮定を前提とし,当初からその存立基盤の脆弱さが目立つ(実用主義に偏した)理論であった。社会統計学の研究者はそれらの問題点に逸早くとりあげ,理論と方法の両面から批判を加えた。
計量経済学批判に関する社会統計学者の業績は,二とおりに分けて整理することができる。ひとつはその経済学の理論としての評価である。この場合,計量経済学は理論というよりは方法であるとする見解があるので,後者も含めた科学としての計量経済学の性格づけがここでの焦点である。もうひとつは計量経済学的手法が政府による実際の経済計画に組み込まれた経緯に鑑みて,そのことの妥当性を検討した業績群である。前者と後者とが密接に関連することは言うまでもないが,論点整理としてこの区分は有効であろう。
計量経済学の日本への流入からそれほどの日をおくことなく発表され広田純・山田耕之介「計量経済学批判」(1957年)は,この理論の内容に仔細にたちいり,これを内在的に検討した先駆的業績であり,計量経済学批判のその後のひとつの型(方法論的批判)を示した。この論文は三節構成で, 第一節では「計量経済学の歴史」が論じられ, 焦点はその発展の原動力が何であったのかを示すことに主眼がおかれ, この科学の性格が浮き彫りにされている。すなわち、計量経済学は経済理論と数学, 統計学の統一に関する時間的順位(変数間の量的定式化[モデルの構成]→方程式の構成と係数の数値決定→仮説の検定)があり, それはおよそ科学と名乗る資格はなく, 経済問題の処理方法全体の総称である, ことが指摘されている。第二節は「計量経済学の理論」と題し, 計量経済学の大きなテーマとされた周期的な経済循環の研究が生み出した巨視的分析と動態理論の歴史的性格に触れている。内容は計量経済学が当初には理論に相当する体系をつくる可能性があったにもかかわらず, それを実現しえなかったことが明らかにされている。第三節「計量経済学の方法」は, 初期の量的分析の段階から方法定立の段階に入った計量経済学の批判にあてられ,数理統計学の方法を適用して, 需要曲線を統計的に測定するとか, 景気循環に関する諸理論を統計的に検証するといった試みが, その都度, 方法の当否をめぐる疑問が出され, 根強い不信が醸成されてきた事情が指摘されたこと,戦後期の計量経済学の確率論的定式化は上記の疑問や不信を背景に, 統計方法の一層の精密化をはかったが, この定式化によって問題がどのように形式的に解消されたのかが解説されている。全体として,計量経済学における統計的方法の展開では, 計量経済学がよってたつ前提(数理統計学の方法の適用)と,とらえようとする対象(経済現象)の本質にある根深いギャップが明るみにされている。
この議論の延長線上で執筆されたのは,是永純弘「計量経済学的模型分析の基本性格」(1965年) ,伊藤陽一「計量経済学におけるパラメータの確率的推定法」(1965年) である。菊地進のいくつかの論文も同じ立場で執筆されている 。
是永論文の前半では,近代経済学の内部での計量経済学的模型分析の性格と特徴が(1)模型分析の構造とその基本的特質,(2)模型分析の欠陥, (3)模型分析における統計利用上の欠陥,の順序で批判的に検討されている。後半ではO.ランゲの主張が主としてとりあげられ,旧社会主義国での計量経済学の受容の現状と動向が批判的に検討されている。伊藤論文では,計量経済学の論理手続きに確率論的な考え方がどのように取り入れられているのか, そしてそもそも確率的な考え方がどのような方法なのかが考察され,ついで確率的方法の経済分析への道を開いた攪乱項について, 攪乱項設定の個々の理由が検討されている。これらの検討をとおして, 結論として与えられているのは,計量経済学におけるパラメータが対象を方程式モデルによって認識しようとする便宜のために架空に設けられた係数で, それをもとめる確率的推定法が経済変量に確率的分布を仮定する方法であること, 経済変量が確率的に分布するとの論拠が到底容認されえないこと, 確率的推定法によって得られる推定値は現実との対応がきわめて希薄であること, などである。
こうした方法論的批判に対し, それが体制(資本主義体制)弁護的性格を見落としていると主張したのは,弁護論的イデオロギー批判論者(関恒義)である 。関によれば,計量経済学批判はそれが生み出された背景,その政策的適用が意味する資本主義経済の弁護論的性格にふみこまなければならない。関のこの見解は,一方で計量経済学の適用過程にまで批判の対象をひろげ,より体系的批判を行うという積極性を持ちながら,他方で計量経済学の理論的方法論的検討にたちいらなかったために,その一定の有効性を容認することになった。
なお,計量経済学批判をめぐる論争の紹介とそのあり方を整理した論文に𠮷田忠「計量経済学批判の方法」(1976年) ,山田耕之介「𠮷田忠『計量経済学批判』に対するコメント」(1976年) がある。前者で吉田は計量経済学に対する批判の系譜を要約し,方法論的批判, 弁護論的批判, 具体的経済計画への適用形態批判のそれぞれに対する見解を述べ, 計量経済学批判そのものの対象と方法を論じている。山田は前者の吉田論文に対するコメントで,計量経済学が「方法」であるとの明確な認識に立ち, 特有の科学方法論を基礎にした計量経済学が現実の経済分析でどのような破たんしたかという事実を対置して批判することを目指せば, 大きな説得力をもつであろうとの示唆を与えている。
経済計画分野へのその適用の問題点,および限界を論じた業績の紹介に移りたい。嚆矢となったのは,大橋隆憲『日本の統計学』(1965年) である。この著作は日本の統計学者の人物伝を内容とするが,末尾に社会統計学の課題が示されている。なかで計量経済学批判,「中期経済計画」批判に関する言及がある。他に𠮷田忠「経済計画と計量経済モデル」(1975年) ,山田貢「日本の経済計画と計量経済学」(1982年) が重要である。これらのうち吉田論文は, 経済計画の作成方法とその内容としての政策体系との関連を歴史的に追跡, 分析し, 日本の経済計画が経済自立5か年計画のコルム方式以降, 経済計画の作成方法と国民所得勘定との連携を意識的にはかり, 所得倍増計画を経て中期経済計画の中期マクロモデルに至って両者の結びつきは成熟したこと, しかしそこには計画の形式性の確保(国民所得勘定を基礎とする計画作成)と計画内容である経済政策とのズレも萌芽的にあらわれていて, その後の計画策定ではこのほころび, すなわち計画の形式と内容とのずれが拡大していったこと, 1973年の経済社会基本計画にいたってはその破綻が明確になったことを明らかにした。𠮷田のスタンスは,次のようである。「科学方法論としての誤謬という方法論的批判の延長線上になされた, という特色をもっており, 経済計画における機能と役割に関しても基本的には宣伝―粉飾効果以上のものを認めない, という帰結をともなうものであった。それは弁護論的イデオロギー批判の立場にたつ一部の論者の見解, すなわち計量経済学は国独資的政策体系の企画・推進過程において, 一定の方法論的有効性をもつはずだ, という見解を実証的に反論するものであった」と 。この分野では他に, 山田耕之介 ”Economic Planning in Japan critically examined”(1965年) ,𠮷田忠「日本の経済計画と計量経済モデル」(1971年) が計量経済モデルの経済計画分野への適用を,社会科学方法論の視点に立脚して批判を加えた。
他方,濱砂敬郎「マクロ経済的計画値の基本性格」(1982年) は,「反映=模写論」の視座から国家の行財政過程での統計利用,とりわけ経済計画における国民所得勘定と計量経済モデルの利用実践を社会科学的に考察した。濱砂の議論は𠮷田の「統計利用論における『主体』をめぐって」(1985年)で取上げられ,両者の間に計画の政策課題と計量モデルによる計画値との対応関係や統計調査論・利用論における「主体」の位置づけと評価について,見解の相違があることが浮き彫りになった 。ここでは,そのことを指摘するに留める。
ところで1970年代後半から,社会統計学者のなかに計量経済モデルに一定の有効性を期待し,政策分野でそれを利用する試みが登場した(産業連関分析についても同様)。そうした試みに理論的基礎を与えたのが,野澤正徳「数量モデル分析と統計学・蜷川理論(1)」(1976年) である。野澤はこの論文で,社会統計学の分野にみられた経済分析への数量的方法の適用への否定的見解を覆す試みを示した。具体的には代替的経済計画の作成,分析のために,計量経済モデルあるいは産業連関分析を積極的に活用することの推奨である。ここで言う代替的経済計画とは,政府が作成する経済計画を念頭に,しかし基本的前提を異にする別の代替可能な計画のことである。代替的計画の作成,分析のためには,そこに含まれる政策の測定と比較とが不可欠である。その際、需要な前提となるのは,現行の経済システムの構造と機能に関する知識である。また代替的計画の作成には,数量的方法が必要である。なぜなら(1)経済現象は数量的性格を帯びており,経済現象の諸要因の多くは経済量・経済変数として数量的規定をともなうからであり,(2)経済現象の諸要因間の個別の連関は,他の個別の連関と結びついているので,それらの相互連関の数量的関係を把握するには,その総体を反映した数量的方法が必要であるからであり,(3)政策手段の効果を分析するには,それにふさわしい数量的方法が不可欠であるからである。これらの必要性に応える数量的方法は,諸経済量の数量的相互依存関係を表現する数量(数理)経済モデル=連立方程式体系の作成である。
野澤はその具体的な数量モデルとして,企業規模別産業連関分析,社会階層別計量モデルをあげている。小川雅弘「日本経済の社会階層別計量モデルの作成」(1982年) ,同「社会階層別計量モデルのシミュレーション-階層別政策の効果分析-」(1983年) ,同「階層別計量モデルの意義と限界」(1983年) は,その具体的試みである。
【補論】
補論として,経済学における数学利用の意義と限界を論じた業績に言及したい。
山田耕之介は論稿「経済学における数学利用と経済学の数学化」で,このテーマに関して次のように指摘している 。経済学者はもとも数学利用に積極的でなく,むしろ経済学への数学利用に対して批判的見解を有していた。K.マルクス,J.M.ケインズしかり,A.マーシャル,J.S.ミル,T.R.マルサスも懐疑的であった。しかし,19世紀以降の自然科学や技術の目覚ましい発達と近年のコンピュータを中心とした情報基盤の拡充は,それを担った数学への評価を高め,いわば「外圧」として経済学者も数学利用に対する誘惑にかられた。しかし,山田によれば,その成り行きは悲惨な結末をむかえた。すなわち,経済学はそこに数学が使われれば使われるほど現実から遊離し,現実的有効性を示した例は何一つ現れなかった。
経済学における数学利用の意義と限界についての議論は,戦後における社会統計学の展開の早い時期から,検討が開始された。それは斯界の統計学が取り組んだ数理統計学の批判的検討と無関係でない。経済学における数学利用にしても数理統計学にしても,それらに共通しているのは,そこに数量なり数値が多用されるだけでなく,数学的論理に,経済学の対象認識を深めるとの期待がよせられ,つまるところ数学にその役割が託されたという点で共通の問題を孕んでいた。
以下では,経済学における数学利用の意義と限界というテーマについての主要な研究成果を示すことになるが,論点整理を予め与えておくと,概略,以下のとおりである。
まず自明のこととして,経済学に数学が利用される根拠が問われなければならない。次に数学利用という場合,数学とは何かが正確に定義されなければならない 。よく知られているのは,数学は量と空間の諸形式に関する科学(論理学の一形態)であるという定義であるが,それらの定義はどのような根拠で経済学の論理と整合するのかが問題にされなければならない。さらに,数学が社会科学とりわけ経済学に適用される場合,それが経済学の対象のどの側面の分析にいかされるのか,という問題がある。対象の量的側面(量的依存関係)とするのが通常の言い方があるが,それでは社会現象の質的側面と量的側面とは何か,両者の関連はどうであるのか,経済学でいう量(経済量)と数学でいう量とは類似したものなのか,異なるものなのか,などが論点となる。
数学利用の意義と限界という議論については,是永純弘,山田耕之介,杉森滉一が経済学における数学利用の限界の論拠を整理した論稿を公にした。とくにこのテーマに,一貫して系統的に取り組んだのは是永純弘である。是永には,上記論文の他に,数学利用に積極的だったカウフマン,カーデなどの論者の見解を仔細に検討した研究,また計量経済学,公理論的経済学に対する多くの批判論文がある。以下に,その是永による先駆的業績の要約を掲げる。「經濟學に於ける數學的方法の意義について」(1953年) ,「経済学における数学利用の意義について-西ドイツにおける最近の論争論-」(1958年) ,「経済学における数学的方法の利用について」(1959年) ,「経済理論の公理論化について」(1962年) ,「経済学研究における数学利用の基礎的諸条件に関する研究」(1962年) ,「経済研究における数学の適用条件」(1964年) ,「計量経済学的模型分析とは何か」(1965年) ,「数学的方法の意義と限界」(1969年) などである。
これらのうち是永純弘「経済学における数学的方法の利用について」(1959年)を紹介したい。その主張のポイントは,諸科学の研究に数学的方法を有効に適用するさいには譲ることのできない原則があり(個々の経験資料ないし認識材料から一般的関係を導出する研究方法[広義]は,諸科学の方法の統一的原理としての研究様式[一定の「叙述様式」]),数学的方法はこれに従属し,これを補足する科学的研究操作(解析操作)の一つにすぎないので, 数学的解析操作は,他の研究手段としての概念操作,実験,統計などと統一されて初めて「研究様式」の資格を部分的に獲得する,という言明に示されている。研究操作の一つとしての数学的方法は,概念分析操作の特殊な形態である。そのため,数学以外の諸科学への適用範囲は狭い。なぜなら,数学の固有の対象は現実の諸科学の質的規定性を捨象した量的諸関係と空間的諸形式であり,事物のより複雑な運動形態の研究に果たすその役割は制約されているからである。諸科学における数学的方法利用の一般的な意義とその限界に関する以上の指摘は,経済学研究の場合にも当てはまる。経済学の究極の課題は,歴史的存在としての社会における人間関係であり,その社会の運動法則の解明である。経済学の研究方法=「研究様式」は,この対象の複雑な運動形態によって規定されている。数学的方法は,この規定のもとで補助的に利用される。関連して,統計数字(統計操作)の活用も同様に位置づけられるが,数学的方法とはまた別個の固有の問題を含んでいる。すなわち,統計数字は,社会的経済的な諸量と同じように,数学があつかう超時間的,超空間的次元に属さず,歴史的現象を反映する。是永は社会的集団のもつこの特有の性格ゆえに,確率論や大数法則の適用が困難な事情を,物理学の事情と対比して,詳しく述べている 。
この論文の後半では,数学的経済学で数学的方法がどのような論拠で可能とされているかが批判的に考察されている。とりあげられているのは,均衡論基調の数学的経済学(ワルラス,パレート),確率論基調の計量経済学(クライン),公理主義的経済学(モルゲンシュテルン)である。
山田耕之介「経済学における数学利用について」(1963年) によれば,経済学での数学の利用形態は3つあると言う。それらは「1.叙述=表現手段としての利用形態」「2.推理=分析手段としての利用形態」「3.いわゆる『技術=経済的』関係について(の利用形態)」であり,それぞれの問題点が具体的に指摘されている。
杉森滉一は論稿「現代経済学と数学的方法」(1975年)で ,経済学の数学利用を正当化する見解について,その論拠を5つに分類し,それらを逐一批判的に検討している。5つの論拠は,①経済現象は量的であるがゆえに経済現象の科学的研究である経済学は数学的でなければならないとする見解(「数量的,ゆえに数学的」説),②経済理論は経済諸量間の相互依存関係を研究するべきであり,これらは関数関係でもっとも精密に表現されるので経済学は関数を通して数学化せざるをえないとする見解(関数関係説),③経済理論の論理構造を厳密化すればそれは数学で示されているものと同じになる,ゆえに経済学は厳密な科学たろうとすれば数学的にならざるをえないとする見解(公理主義的利用論),④数学利用の根拠を,数学が理論を厳密に進めうることに求める見解(「数学=論理」説)である。
付言すると,経済学における数学利用は計量経済学の本領であったが,1970年代の半ば以降,近代経済学に批判的な社会統計学者も,経済学への数学の適用,また数理的方法の積極的活用を唱え始めた。野澤正徳,木下滋,横倉弘行などである。池永輝之にはこれらの論者の見解を紹介し,これに是永,山田の見解を対峙させたサーヴェイ論文がある 。池永が後者の見解に立脚してこの論文を書いたことは言うまでもない。
推計学の導入からやや遅れて,1950年代後半に注目を浴びたのが計量経済学である。計量経済学の流入は,理論経済学あるいは経済政策の分野においてであった。
計量経済学は, 1920年代に生まれたアメリカの統計的経済学(H.L.ムーア,W.M.パーソンズ)の流れを継承し , その後,経済政策分野への適用という条件を加味し,方法論や統計処理の面で数学的意匠をこらし1930年代に確立した。その直接的契機は, フリッシュ, フィッシャーの提唱,呼びかけによる計量経済学会の設立である(1930年12月)。アメリカ仕込みのこの経済学は,数理統計的手法に対する絶大な信頼を基礎におく。計量経済学は固有の数理モデルを前提とし,モデルに実際の統計を充填し,政策に必要な数値の導出を目標に掲げた。しかし,この経済学は立脚する理論,モデル構築の手法,統計の使い方の諸点において多くの恣意的非現実的な仮定を前提とし,当初からその存立基盤の脆弱さが目立つ(実用主義に偏した)理論であった。社会統計学の研究者はそれらの問題点に逸早くとりあげ,理論と方法の両面から批判を加えた。
計量経済学批判に関する社会統計学者の業績は,二とおりに分けて整理することができる。ひとつはその経済学の理論としての評価である。この場合,計量経済学は理論というよりは方法であるとする見解があるので,後者も含めた科学としての計量経済学の性格づけがここでの焦点である。もうひとつは計量経済学的手法が政府による実際の経済計画に組み込まれた経緯に鑑みて,そのことの妥当性を検討した業績群である。前者と後者とが密接に関連することは言うまでもないが,論点整理としてこの区分は有効であろう。
計量経済学の日本への流入からそれほどの日をおくことなく発表され広田純・山田耕之介「計量経済学批判」(1957年)は,この理論の内容に仔細にたちいり,これを内在的に検討した先駆的業績であり,計量経済学批判のその後のひとつの型(方法論的批判)を示した。この論文は三節構成で, 第一節では「計量経済学の歴史」が論じられ, 焦点はその発展の原動力が何であったのかを示すことに主眼がおかれ, この科学の性格が浮き彫りにされている。すなわち、計量経済学は経済理論と数学, 統計学の統一に関する時間的順位(変数間の量的定式化[モデルの構成]→方程式の構成と係数の数値決定→仮説の検定)があり, それはおよそ科学と名乗る資格はなく, 経済問題の処理方法全体の総称である, ことが指摘されている。第二節は「計量経済学の理論」と題し, 計量経済学の大きなテーマとされた周期的な経済循環の研究が生み出した巨視的分析と動態理論の歴史的性格に触れている。内容は計量経済学が当初には理論に相当する体系をつくる可能性があったにもかかわらず, それを実現しえなかったことが明らかにされている。第三節「計量経済学の方法」は, 初期の量的分析の段階から方法定立の段階に入った計量経済学の批判にあてられ,数理統計学の方法を適用して, 需要曲線を統計的に測定するとか, 景気循環に関する諸理論を統計的に検証するといった試みが, その都度, 方法の当否をめぐる疑問が出され, 根強い不信が醸成されてきた事情が指摘されたこと,戦後期の計量経済学の確率論的定式化は上記の疑問や不信を背景に, 統計方法の一層の精密化をはかったが, この定式化によって問題がどのように形式的に解消されたのかが解説されている。全体として,計量経済学における統計的方法の展開では, 計量経済学がよってたつ前提(数理統計学の方法の適用)と,とらえようとする対象(経済現象)の本質にある根深いギャップが明るみにされている。
この議論の延長線上で執筆されたのは,是永純弘「計量経済学的模型分析の基本性格」(1965年) ,伊藤陽一「計量経済学におけるパラメータの確率的推定法」(1965年) である。菊地進のいくつかの論文も同じ立場で執筆されている 。
是永論文の前半では,近代経済学の内部での計量経済学的模型分析の性格と特徴が(1)模型分析の構造とその基本的特質,(2)模型分析の欠陥, (3)模型分析における統計利用上の欠陥,の順序で批判的に検討されている。後半ではO.ランゲの主張が主としてとりあげられ,旧社会主義国での計量経済学の受容の現状と動向が批判的に検討されている。伊藤論文では,計量経済学の論理手続きに確率論的な考え方がどのように取り入れられているのか, そしてそもそも確率的な考え方がどのような方法なのかが考察され,ついで確率的方法の経済分析への道を開いた攪乱項について, 攪乱項設定の個々の理由が検討されている。これらの検討をとおして, 結論として与えられているのは,計量経済学におけるパラメータが対象を方程式モデルによって認識しようとする便宜のために架空に設けられた係数で, それをもとめる確率的推定法が経済変量に確率的分布を仮定する方法であること, 経済変量が確率的に分布するとの論拠が到底容認されえないこと, 確率的推定法によって得られる推定値は現実との対応がきわめて希薄であること, などである。
こうした方法論的批判に対し, それが体制(資本主義体制)弁護的性格を見落としていると主張したのは,弁護論的イデオロギー批判論者(関恒義)である 。関によれば,計量経済学批判はそれが生み出された背景,その政策的適用が意味する資本主義経済の弁護論的性格にふみこまなければならない。関のこの見解は,一方で計量経済学の適用過程にまで批判の対象をひろげ,より体系的批判を行うという積極性を持ちながら,他方で計量経済学の理論的方法論的検討にたちいらなかったために,その一定の有効性を容認することになった。
なお,計量経済学批判をめぐる論争の紹介とそのあり方を整理した論文に𠮷田忠「計量経済学批判の方法」(1976年) ,山田耕之介「𠮷田忠『計量経済学批判』に対するコメント」(1976年) がある。前者で吉田は計量経済学に対する批判の系譜を要約し,方法論的批判, 弁護論的批判, 具体的経済計画への適用形態批判のそれぞれに対する見解を述べ, 計量経済学批判そのものの対象と方法を論じている。山田は前者の吉田論文に対するコメントで,計量経済学が「方法」であるとの明確な認識に立ち, 特有の科学方法論を基礎にした計量経済学が現実の経済分析でどのような破たんしたかという事実を対置して批判することを目指せば, 大きな説得力をもつであろうとの示唆を与えている。
経済計画分野へのその適用の問題点,および限界を論じた業績の紹介に移りたい。嚆矢となったのは,大橋隆憲『日本の統計学』(1965年) である。この著作は日本の統計学者の人物伝を内容とするが,末尾に社会統計学の課題が示されている。なかで計量経済学批判,「中期経済計画」批判に関する言及がある。他に𠮷田忠「経済計画と計量経済モデル」(1975年) ,山田貢「日本の経済計画と計量経済学」(1982年) が重要である。これらのうち吉田論文は, 経済計画の作成方法とその内容としての政策体系との関連を歴史的に追跡, 分析し, 日本の経済計画が経済自立5か年計画のコルム方式以降, 経済計画の作成方法と国民所得勘定との連携を意識的にはかり, 所得倍増計画を経て中期経済計画の中期マクロモデルに至って両者の結びつきは成熟したこと, しかしそこには計画の形式性の確保(国民所得勘定を基礎とする計画作成)と計画内容である経済政策とのズレも萌芽的にあらわれていて, その後の計画策定ではこのほころび, すなわち計画の形式と内容とのずれが拡大していったこと, 1973年の経済社会基本計画にいたってはその破綻が明確になったことを明らかにした。𠮷田のスタンスは,次のようである。「科学方法論としての誤謬という方法論的批判の延長線上になされた, という特色をもっており, 経済計画における機能と役割に関しても基本的には宣伝―粉飾効果以上のものを認めない, という帰結をともなうものであった。それは弁護論的イデオロギー批判の立場にたつ一部の論者の見解, すなわち計量経済学は国独資的政策体系の企画・推進過程において, 一定の方法論的有効性をもつはずだ, という見解を実証的に反論するものであった」と 。この分野では他に, 山田耕之介 ”Economic Planning in Japan critically examined”(1965年) ,𠮷田忠「日本の経済計画と計量経済モデル」(1971年) が計量経済モデルの経済計画分野への適用を,社会科学方法論の視点に立脚して批判を加えた。
他方,濱砂敬郎「マクロ経済的計画値の基本性格」(1982年) は,「反映=模写論」の視座から国家の行財政過程での統計利用,とりわけ経済計画における国民所得勘定と計量経済モデルの利用実践を社会科学的に考察した。濱砂の議論は𠮷田の「統計利用論における『主体』をめぐって」(1985年)で取上げられ,両者の間に計画の政策課題と計量モデルによる計画値との対応関係や統計調査論・利用論における「主体」の位置づけと評価について,見解の相違があることが浮き彫りになった 。ここでは,そのことを指摘するに留める。
ところで1970年代後半から,社会統計学者のなかに計量経済モデルに一定の有効性を期待し,政策分野でそれを利用する試みが登場した(産業連関分析についても同様)。そうした試みに理論的基礎を与えたのが,野澤正徳「数量モデル分析と統計学・蜷川理論(1)」(1976年) である。野澤はこの論文で,社会統計学の分野にみられた経済分析への数量的方法の適用への否定的見解を覆す試みを示した。具体的には代替的経済計画の作成,分析のために,計量経済モデルあるいは産業連関分析を積極的に活用することの推奨である。ここで言う代替的経済計画とは,政府が作成する経済計画を念頭に,しかし基本的前提を異にする別の代替可能な計画のことである。代替的計画の作成,分析のためには,そこに含まれる政策の測定と比較とが不可欠である。その際、需要な前提となるのは,現行の経済システムの構造と機能に関する知識である。また代替的計画の作成には,数量的方法が必要である。なぜなら(1)経済現象は数量的性格を帯びており,経済現象の諸要因の多くは経済量・経済変数として数量的規定をともなうからであり,(2)経済現象の諸要因間の個別の連関は,他の個別の連関と結びついているので,それらの相互連関の数量的関係を把握するには,その総体を反映した数量的方法が必要であるからであり,(3)政策手段の効果を分析するには,それにふさわしい数量的方法が不可欠であるからである。これらの必要性に応える数量的方法は,諸経済量の数量的相互依存関係を表現する数量(数理)経済モデル=連立方程式体系の作成である。
野澤はその具体的な数量モデルとして,企業規模別産業連関分析,社会階層別計量モデルをあげている。小川雅弘「日本経済の社会階層別計量モデルの作成」(1982年) ,同「社会階層別計量モデルのシミュレーション-階層別政策の効果分析-」(1983年) ,同「階層別計量モデルの意義と限界」(1983年) は,その具体的試みである。
【補論】
補論として,経済学における数学利用の意義と限界を論じた業績に言及したい。
山田耕之介は論稿「経済学における数学利用と経済学の数学化」で,このテーマに関して次のように指摘している 。経済学者はもとも数学利用に積極的でなく,むしろ経済学への数学利用に対して批判的見解を有していた。K.マルクス,J.M.ケインズしかり,A.マーシャル,J.S.ミル,T.R.マルサスも懐疑的であった。しかし,19世紀以降の自然科学や技術の目覚ましい発達と近年のコンピュータを中心とした情報基盤の拡充は,それを担った数学への評価を高め,いわば「外圧」として経済学者も数学利用に対する誘惑にかられた。しかし,山田によれば,その成り行きは悲惨な結末をむかえた。すなわち,経済学はそこに数学が使われれば使われるほど現実から遊離し,現実的有効性を示した例は何一つ現れなかった。
経済学における数学利用の意義と限界についての議論は,戦後における社会統計学の展開の早い時期から,検討が開始された。それは斯界の統計学が取り組んだ数理統計学の批判的検討と無関係でない。経済学における数学利用にしても数理統計学にしても,それらに共通しているのは,そこに数量なり数値が多用されるだけでなく,数学的論理に,経済学の対象認識を深めるとの期待がよせられ,つまるところ数学にその役割が託されたという点で共通の問題を孕んでいた。
以下では,経済学における数学利用の意義と限界というテーマについての主要な研究成果を示すことになるが,論点整理を予め与えておくと,概略,以下のとおりである。
まず自明のこととして,経済学に数学が利用される根拠が問われなければならない。次に数学利用という場合,数学とは何かが正確に定義されなければならない 。よく知られているのは,数学は量と空間の諸形式に関する科学(論理学の一形態)であるという定義であるが,それらの定義はどのような根拠で経済学の論理と整合するのかが問題にされなければならない。さらに,数学が社会科学とりわけ経済学に適用される場合,それが経済学の対象のどの側面の分析にいかされるのか,という問題がある。対象の量的側面(量的依存関係)とするのが通常の言い方があるが,それでは社会現象の質的側面と量的側面とは何か,両者の関連はどうであるのか,経済学でいう量(経済量)と数学でいう量とは類似したものなのか,異なるものなのか,などが論点となる。
数学利用の意義と限界という議論については,是永純弘,山田耕之介,杉森滉一が経済学における数学利用の限界の論拠を整理した論稿を公にした。とくにこのテーマに,一貫して系統的に取り組んだのは是永純弘である。是永には,上記論文の他に,数学利用に積極的だったカウフマン,カーデなどの論者の見解を仔細に検討した研究,また計量経済学,公理論的経済学に対する多くの批判論文がある。以下に,その是永による先駆的業績の要約を掲げる。「經濟學に於ける數學的方法の意義について」(1953年) ,「経済学における数学利用の意義について-西ドイツにおける最近の論争論-」(1958年) ,「経済学における数学的方法の利用について」(1959年) ,「経済理論の公理論化について」(1962年) ,「経済学研究における数学利用の基礎的諸条件に関する研究」(1962年) ,「経済研究における数学の適用条件」(1964年) ,「計量経済学的模型分析とは何か」(1965年) ,「数学的方法の意義と限界」(1969年) などである。
これらのうち是永純弘「経済学における数学的方法の利用について」(1959年)を紹介したい。その主張のポイントは,諸科学の研究に数学的方法を有効に適用するさいには譲ることのできない原則があり(個々の経験資料ないし認識材料から一般的関係を導出する研究方法[広義]は,諸科学の方法の統一的原理としての研究様式[一定の「叙述様式」]),数学的方法はこれに従属し,これを補足する科学的研究操作(解析操作)の一つにすぎないので, 数学的解析操作は,他の研究手段としての概念操作,実験,統計などと統一されて初めて「研究様式」の資格を部分的に獲得する,という言明に示されている。研究操作の一つとしての数学的方法は,概念分析操作の特殊な形態である。そのため,数学以外の諸科学への適用範囲は狭い。なぜなら,数学の固有の対象は現実の諸科学の質的規定性を捨象した量的諸関係と空間的諸形式であり,事物のより複雑な運動形態の研究に果たすその役割は制約されているからである。諸科学における数学的方法利用の一般的な意義とその限界に関する以上の指摘は,経済学研究の場合にも当てはまる。経済学の究極の課題は,歴史的存在としての社会における人間関係であり,その社会の運動法則の解明である。経済学の研究方法=「研究様式」は,この対象の複雑な運動形態によって規定されている。数学的方法は,この規定のもとで補助的に利用される。関連して,統計数字(統計操作)の活用も同様に位置づけられるが,数学的方法とはまた別個の固有の問題を含んでいる。すなわち,統計数字は,社会的経済的な諸量と同じように,数学があつかう超時間的,超空間的次元に属さず,歴史的現象を反映する。是永は社会的集団のもつこの特有の性格ゆえに,確率論や大数法則の適用が困難な事情を,物理学の事情と対比して,詳しく述べている 。
この論文の後半では,数学的経済学で数学的方法がどのような論拠で可能とされているかが批判的に考察されている。とりあげられているのは,均衡論基調の数学的経済学(ワルラス,パレート),確率論基調の計量経済学(クライン),公理主義的経済学(モルゲンシュテルン)である。
山田耕之介「経済学における数学利用について」(1963年) によれば,経済学での数学の利用形態は3つあると言う。それらは「1.叙述=表現手段としての利用形態」「2.推理=分析手段としての利用形態」「3.いわゆる『技術=経済的』関係について(の利用形態)」であり,それぞれの問題点が具体的に指摘されている。
杉森滉一は論稿「現代経済学と数学的方法」(1975年)で ,経済学の数学利用を正当化する見解について,その論拠を5つに分類し,それらを逐一批判的に検討している。5つの論拠は,①経済現象は量的であるがゆえに経済現象の科学的研究である経済学は数学的でなければならないとする見解(「数量的,ゆえに数学的」説),②経済理論は経済諸量間の相互依存関係を研究するべきであり,これらは関数関係でもっとも精密に表現されるので経済学は関数を通して数学化せざるをえないとする見解(関数関係説),③経済理論の論理構造を厳密化すればそれは数学で示されているものと同じになる,ゆえに経済学は厳密な科学たろうとすれば数学的にならざるをえないとする見解(公理主義的利用論),④数学利用の根拠を,数学が理論を厳密に進めうることに求める見解(「数学=論理」説)である。
付言すると,経済学における数学利用は計量経済学の本領であったが,1970年代の半ば以降,近代経済学に批判的な社会統計学者も,経済学への数学の適用,また数理的方法の積極的活用を唱え始めた。野澤正徳,木下滋,横倉弘行などである。池永輝之にはこれらの論者の見解を紹介し,これに是永,山田の見解を対峙させたサーヴェイ論文がある 。池永が後者の見解に立脚してこの論文を書いたことは言うまでもない。