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社会統計学の伝統とその継承

社会統計学の論文の要約を掲載します。

岩崎俊夫「情報環境の変容と社会統計学の課題-データ・社会統計・経済理論-」杉森滉一・木村和範・金子治平・上藤一郎編著『社会の変化と統計情報』2009年,北海道大学出版会

2016-10-09 19:47:30 | 6.社会経済統計の対象・方法・課題
岩崎俊夫「情報環境の変容と社会統計学の課題-データ・社会統計・経済理論-」杉森滉一・木村和範・金子治平・上藤一郎編著『社会の変化と統計情報』2009年,北海道大学出版会(『社会統計学の可能性』法律文化社,2010年,所収)

 筆者は本稿の課題を,「数理統計学研究の体系的受容」という事態に直面していた執筆当時の社会統計学の現状について,そうした状況を招来した契機を問い,今後の方向を探ること,としている。より具体的には,環境整備が著しく進んだ高度情報化社会の実状を確認し,社会統計学の成果がそれを享受しながら積み上げられる一方で,統計指標や統計分析の基礎におかれるべき経済理論が蔑ろにされているので,それらについて例をあげて示すことである。この検討を踏まえ,社会統計学の今後の課題が試論的に列挙されている。

 筆者は最初に4点の問題点を指摘し,本論の理解の一助としている。第一に科学的方法論としての公理論,あるいは公理主義に対する検討が不十分であること,第二に統計ないし統計指標の土台とされるべき経済理論に対する関心が失われていること,第三に社会統計学を支える社会科学の理論が脆弱になったこと(社会科学の理論にもとづく既存の統計の批判的組み替え,加工の後退,国民生活を守る観点からの研究の不足),第四にそれらの対極で統計データの処理に専念する技術的研究が増加したこと,である。

 構成は次のとりである。「1.情報環境の変容と『データ』理論:(1)情報環境の変容,(2)『データ』理論の展開,(3)『データ』と社会統計学の課題」「2.経済理論への関心の後退-価格指数論を例に-:(1)価格指数論プロパーの展開,(2)デフレータ・連鎖指数・ディビジア指数」「3.経済理論とモデルの切断-連関分析を例に-:(1)CGE(Computable General Equilibrium)モデル,(2)産業連関の経済論,(3)経済理論と分析手法の切断」

 各節の内容はおおむね以下のようである。第一節では,現実の情報環境の変化の実態(「統計行政の新中・長期構想」[2003],統計法の全部改訂[2007],総務省による「統計調査等業務の最適化」)が整理,要約されている。また,ミクロデータ分析,パネルデータ分析,データマイニングに象徴される「データ」理論の新しい動きが示されている。この説では「統計」を「統計データ」としてクローズアップする風潮の問題点が指摘され,それらの同一視ないし用語の置き換えには一見些細ではあるが看過できない問題点がある,との指摘がなされている。

 第二節では,統計学の研究が「データ」にもとづく統計計算にシフトしていくとともに,経済理論への関心が弱まっていることへの懸念が表明されている。そのことの具体例として。統計プロパーの分野で議論が比較的活発な価格指数論が取り上げられ,そこでの問題の所在,背景にある理論展開が検討されている。GDPデフレータが従来の固定基準方式から連鎖方式の採用に変更(当面は併用)され,この連鎖方式による指数がディビジア指数とつながりがあること,価格指数に品質変化の要因をどのように反映するかが焦眉のテーマになっていること(ヘドニック・アプローチとの関係でも議論されてきた),こうした重要な論点が取り上げられている。筆者はまた,価格指数と連鎖方式との関係が指数論の歴史とともに古く,連鎖指数の発想をマーシャルまで遡ることができると指摘している。

 第三節では,産業連関論,産業連関分析の例を取り上げ,社会統計学によるこの経済理論と分析手法の評価の変遷が跡づけられている。産業連関論,産業連関分析に対しては,従来,社会統計学者が批判的論点を提起し,種々の視点からその意義と限界とが検討された。近年では全国,地域の産業連関表のデータを容易に入手でき,連関分析が手許のパソコンで可能になったこともあり,統計計算が優先され,その計算の理論的基礎に立ち返った批判的研究は影を潜めている。並行して,産業連関論,産業連関分析を,それらがもともと立脚していた経済理論と切り離して活用する研究がいくつかある。「民主的計画化」の波及効果分析を連関分析で計算する試み,またマルクス経済学の基本概念である剰余価値率の計算に連関分析を援用するケース(泉方式)がこれである。問題は連関論,連関分析とそれらが拠ってたつ経済学の理論とを「切断」し,研究者の姿勢,立場によって数理的分析手法そのものに意味を付与できるとする考え方である。この考え方は,手法そのものの中立性の主張に他ならない。この研究姿勢は,分析作業の焦点を専らデータ処理の計算とそのテクニカルな検討と改善に絞る方向の示唆である。現に,社会統計学の分野での連関表の利用の仕方は,その道を進んでいる。

 変容が著しい情報環境を背景に,連関論プロパーも価格指数論プロパーも自らが拠る経済理論の展開(CGE[Computable General Equilibrium]モデルなど)とともに分析と指標の構築を行っている。
本稿の結論部分で筆者は,社会統計学の発展は数理統計学研究の受容にではなく,その理論的方法論的基礎に立ち返った内在的批判とともに,独自の経済学の諸範疇の体系に照応した統計指標体系の構築を目指すことに将来の展望を定めるべきであ,と強調している。
 この方向はかつて是永純弘によって執筆された「経済学研究における数学利用の基礎的諸条件の研究」(1962年)で示されたものである。是永は絶筆となった「経済研究における統計利用の基本問題」でも「実質科学たる経済学の研究のために・・・,多種多様な統計の体系的利用と,統計以外の量的ないしは質的な諸情報との有機的連関のもとで,統計利用の固有の体系を確立することこそが今後の社会統計学の担うべき主要課題の一つになろう」と書いている。統計指標体系の構築に向けた議論は,筆者も含めた社会統計学研究者の共通の課題である。

杉森滉一「エスニシティ統計調査の二重性-測定する活動と区別する実践」杉森滉一・木村和範・金子治平・上藤一郎編『社会の変化と統計情報(現代社会と統計Ⅰ)』北海道大学出版会, 2009年

2016-10-09 19:47:13 | 6.社会経済統計の対象・方法・課題
杉森滉一「エスニシティ統計調査の二重性-測定する活動と区別する実践」杉森滉一・木村和範・金子治平・上藤一郎編『社会の変化と統計情報(現代社会と統計Ⅰ)』北海道大学出版会, 2009年

 この論文を読むまでエスニシティ統計とは何か, それが統計調査論のなかでどのような意義をもつのか, 詳細がわからなかった。

 本稿から学んだことを以下に示す。エスニシティという用語は, 1970年代から普及しはじめたようだ。統計の分野では, 人種, 民族, カストなどの婉曲語法で使われてきた。本稿でエスニシティはethnicity, ancestry, ace, nationality, indigenous/aboriginal, tribe, colour/phenotype, casteの総称として使われている。しかし, 一般にこのタームの概念的定義は難しく, 不明確というのが実状である。エスニシティ統計が何を調査するものなのか, そもそもエスニシティが調査可能なものなのか, はっきりしないという。

 筆者はそのような曖昧模糊としたエスニシティ統計の特異性を, 調査論的に解説することを思い立って, 本稿を執筆した。エスニシティ統計の独自性が統計調査論に新たな問題を提起するか, 統計調査論の新展開を刺激するか, の検討が論文の課題である。

最初に, 世界のエスニシティ統計の現状確認がある。1995­2004年までにセンサスを実施した国のうち130か国がエスニシティ統計を作成した。北・中米, 南米, オセアニアなどの新世界に作成国が多い。作成している国は, エスニシティを性別, 年齢, 国籍, 婚姻状態などと並列する重要な項目とみなしている。作成していない国は, 作成している国ではそれほど重視している情報を, ほとんど無視している。

国家の性格が市民的国民主義であるか多文化主義であるかで, その位置づけが異なる。エスニシティを個人にかかわる, 国家がふれてはならないものと考え,積極的に無関心の立場をとるか(フランスなど), 国家が少数文化の者も平等に支援するためにそれを把握しなければならないと考えるか(カナダなど), の違いである。

 エスニシティ統計は, 固有の作用がある。その調査の実施によって, 非調査者にそれを自覚させてしまう効果である。ほとんどのエスニシティ統計はセンサスであるので, この効果は大きい。エスニシティ調査で使用されたカテゴリーの実体化である。
それではエスニシティ調査の対象は何か。それはエスニシティ区別という現象である。エスニシティ統計は, 調査をとおしてエスニシティ現象とかかわる。日常的に部分的に存在するエスニシティ区別を, 公然と調査するのがエスニシティ調査である。エスニシティ調査は, 調査という測定活動でありながら, 同時にそういう活動としてエスニシティ現象の一部である。エスニシティ調査のこの独自性は, 「自己反射的」である。

筆者は, 続いてエスニシティが「自己確認」であり, 過去に形成された社会的特性によるアイデンティティであり, そこに示される帰属意識の意識性(人々の脳裏に分有されるに至った意識)と客観性(固定的で容易に変化しない属性)を確認している。

 さらにエスニシティ調査の方法(自認法:回答者に帰属意識を訊く方法), 実査段階での分類, 集計・公表用の分類の紹介と問題点が点検され, エスニシティ統計の特異性が一層浮き彫りにされる。

 「まとめ」が興味をひく。ここでは従来の統計調査論を拡大し, エスニシティ調査を一般的な統計調査, 世論調査, 学力調査, それ自体は社会の測定ではないが, その意味も担っていると考えられる総選挙, 国民投票などと比較し, それぞれで測定活動と社会活動との相互作用の仕方がどのようであるかを問うている。

 試論的性格の強い論文であるが, 整理が行き届き, 刺激的で, 今後につながる論点を豊富に開示している。

山田満「米国2000年人口センサスと公共圏-数え上げられる権利をもとめて-」杉森滉一・木村和範・金子治平・上藤一郎編『社会の変化と統計情報(現代社会と統計Ⅰ)』北海道大学出版会, 2009年

2016-10-09 19:44:56 | 6.社会経済統計の対象・方法・課題
山田満「米国2000年人口センサスと公共圏-数え上げられる権利をもとめて-」杉森滉一・木村和範・金子治平・上藤一郎編『社会の変化と統計情報(現代社会と統計Ⅰ)』北海道大学出版会, 2009年

 アメリカの2000年人口センサスの内容と意義を,その歴史も顧みながら,掘り下げた論稿。アメリカのセンサスの実査過程,調査の内容は,日本の国勢調査とかなり違う。調査期間は,8か月にも及ぶという。2000年センサスは同年4月1日午前零時現在の人口・世帯を調査する。調査は基本的に郵送配布回収の自計方式であるが,実態は訪問面接による他計方式(後者には約50万人の調査員が動員され,1月から始まり9月中旬まで続く),電話調査,インターネット利用調査を含む総力戦の「国民的祝祭」である。その歴史は,第一回人口センサス(1790年)まで遡る。筆者の整理によれば,いくつかの画期があり,それは家族レベル・センサスから個人レベル・センサスへの移行(1850年),センサス実査組織の転換(1880年),追加質問標本調査の導入(1940年),他計調査から自計式調査への切り替え(1960年)というものであるが,2000年調査も歴史的画期を示すものであった。

 アメリカのセンサスは,いろいろな意味でシビアである。筆者はそれを「ワンナンバー・センサスの問題」「数え漏れ(過小計上)問題」「人種質問にたいする複数回答導入問題」「ロングフォーム調査からアメリカン・コミュニティ・サーベイへ,そして全国マスター・アドレス・ファイルの作成・整備調査へ」で考察している。
アメリカのセンサスは,合衆国憲法第1条第2節3項にもとづき,合衆国を構成する各州に割り当てられる連邦下院議員を決め,さらに各州における選挙区の区割りを確定し,連邦政府から各州に,各州から交付される補助金の大きさを定めるための,人口数の数え上げを第一の目的とする非常に重要な調査である。

 そのゆえに,アメリカでは1950年以降,センサスの正確性を評価し,改善の方途をさぐる事後評価調査(PES)が行われている。事後調査の結果,センサス本体の実際値を補正しなければならない事態が出てくると大問題になる。そういうケースは,1980年調査に対して実際にあり,センサス局,商務省を巻き込む大きな議論となった。種々経緯があって,アメリカ科学アカデミーは,センサス本体に「事後評価調査」を一体的に組み込み,公表数値をただひとつ定めるワンナンバー・センサス(統合されたシングル・ナンバー・センサス)の実施を勧告,その後議会内での民主党と共和党の対立,議会と商務省・大統領府との対立があったため,2000年センサスに向けて,一時,従来型の調査とワンナンバー・センサスの調査を並行して準備する次第になった。1999年1月,連邦最高裁判所は,5対4の僅差でワンナンバー・センサスに違憲判決を下した。

 ワンナンバー・センサスがこれだけ政治的争点になったのは,1960年代に「アンダー・カウント(過小計上)問題」があったからである。実際に1870年センサスでは南部諸州の黒人人口の数え漏れが問題となったことがあった。その後,1880年センサスで実査組織が大幅に改善されてからは,過小計上は小さくなっていった。それが1960年代に問題化したのは,ジョンソン大統領の「偉大なる社会」構想(「平等で貧困のない社会」実現の国家プロジェクト)との関連で,そのための県境整備のひとつに連邦政府から州・地方への補助金配分システムの公正化がもとめられたからであり,ゲリマンダーによる地域間,人種間での投票の重みの差が表面化したからであり,1950年センサスにおける過小計上が公表され,特定の社会的,人種的属性をもった人々が数え上げられにくくなっていることが取沙汰さらたからである。過小計上問題を解決する調査方法の解決がこの時期に問題になった所以である。

 2000年センサスに加えられた調査項目で最大のものは,人種質問に複数選択回答方式が導入されたことである。筆者はその経緯を1870年センサスからたどり,この問題に含まれる内容の複雑さをときほぐしている。2000年センサスでの当該調査項目の内容の変更の背景には,1960年以降の人種的アイデンティティの複数性の公的承認をもとめる運動の高揚があった。1960年センサスにおける調査票の郵送配布方式の採用(自計式),ジョンソン政権のもとで準備され,共和党ニクソン政権のもとで推進されたアファーマティブ・アクション・プログラムの開始,メキシコからの移民の大量流入にともなう調査国目の変更は,その具体的あらわれである。

2000年センサスは,全世帯(住居単位)の全世帯員に回答をもとめるショートフォーム調査(質問数は6,筆頭者は8)と約6分の1の世帯員全員に対して実施されるロングフォーム調査(住居質問を含む質問数53)からなる。ロングフォーム調査は,すでに1940年センサスから部分的に実施されていたが,とくに1990年センサスでは調査拒否,回答拒否が多発し,また私的領域に踏み込む質問項目は忌避され,それが一体化して実施されるショートフォーム調査の足をひっぱっていた。そこで,センサス局はロングフォーム調査の代替としてローリング・センサス調査方式(各州で割り当てられた標本数の世帯を,調査区を変えながら抽出していく方式)を採用したACS(アメリカン・コミュニティ・サーベイ)を企画し,これをショートフォーム調査と切り離そうと考えた。くわえてACS実施の基礎作業として,10年に1回のセンサスごとに作成されていた住居住所リストファイルを逐次更新される恒久的な全国MAF(マスター・アドレス・ファイル)として再構築し,それを国土基盤計画のもとでの統計調査用地理情報システムに統合し,連邦統計活動共通の住居・人口統計調査用の恒常的フレームとする計画の実行に入った。

 以上の経緯を経て実施された2000年センサスであったが,プライバシー問題が新たな形で噴出し,また公民権運動が従来と違った様相を呈して登場した。前者は共和党を中心とした,ロングフォーム調査が国家権力の私的領域への介入であり意見であるとする「積極的」調査拒否・回答拒否の姿勢をうちだし,センサス局との間で論争を引き起こした。後者は導入された人種複数選択回答制が公民権運動に大きな打撃となると判断した諸団体が,人種に関する質問に自らのマイノリティとしてのアイデンティティを確認するために「ひとつだけチェックしよう」と呼びかけた。これは公民権運動内の分裂を意味した。

アメリカのセンサス実施と日本の国勢調査のそれとを軽々に比較はできないが,この論稿を読むと,前者が特有の難しさをもっていることがわかり,センサスというひとつの統計調査が政治,民主主義と強くかかわっていることがわかる。そのことを意識して筆者の結びの言葉を読むと,その意味もよくわかる。「対立し合い決して和解することのない様々な公共圏の重なり合いの中で,「力の分配に応じた合意形成」をその都度行いながら「統計活動」という公共圏を形成していく忍耐力と構想力が必要なのである」と(p.66)。

泉弘志「剰余価値率の実証研究をめぐる若干の論点 -東浩一郎氏の批判に答える-」『大阪経大論集』第60巻第2号,2009年

2016-10-09 18:11:47 | 6.社会経済統計の対象・方法・課題
泉弘志「剰余価値率の実証研究をめぐる若干の論点 -東浩一郎氏の批判に答える-」『大阪経大論集』第60巻第2号(大阪経大学会)2009年(『投下労働量計算と基本統計指標-新しい経済統計学の探求(第14章)』大月書店, 2014年)

 東浩一郎は, 投下労働量による剰余価値率計算(泉方式)の批判的検討を行っている(東浩一郎[2008]「投下労働量による剰余価値率分析の批判的検証とSingle System」『東京立正短期大学紀要』第36号)。泉方式に対しては, わたしも若干疑問がある。泉による本稿を紹介するにあたっても, 扱っている問題が論争問題であるので, 本来は, それに対してどちらが正論と思うのか, また両者のどちらにも与しないのであれば, わたしの見解はどうなのかを言うのが筋だが, ここはそういう場ではないので, 泉の主張のみを以下に要約する。

 東による批判の論点を掲げる(泉の整理による)。「投下労働量で計算した剰余価値率は時系列的に見ると上昇しており, 泉氏はその根拠を相対的剰余価値の生産にもとめている。しかし相対的剰余価値が生産されているのであればそれは価格で見た利潤シェアにも現れるはずであり, あえて投下労働時間に計算する意義があるとは思えない」「投下労働量分析への疑問は以下の2点である。第1には, 計測された投下労働量計算は異種労働をそのまま加算する本来不可能な方法によって産出されており, いわば計測された投下労働量は具体的労働の範疇である。したがって, そこで剰余価値率を計算することはできない。・・・第2には, 価格から逆算する形で投下労働量に戻して計測された剰余価値が, 剰余価値の部門配分前の, いわば生産された剰余価値を正しく示しているのか, という疑問である。・・・これが計算できるのは, 価値から生産価格への転形において, 可変資本から賃金への乖離率と, 消費財の価値から価格への乖離率が一致する場合だけである・・・」。東はこの種の計算に関して欧米で主流であるSingle System(価格による計算)に依拠すべきとして, その観点から上記のような泉方式批判を行っている。

 筆者は論文全体で, 反批判している。反批判のポイントは, 東が投下労働量計算の意義を正確につかんでいないこと, 抽象的労働・具体的労働, 簡単労働・複雑労働, 高強度労働・低強度労働の概念の理解が不明確であり, 当然それらと投下労働量計算との関係の理解が曖昧であること, 泉方式の計算のプロセスに登場する, 現実市場価格単位量当りの投下労働量が各産品の物量を表示するための単位(円価値単位の物量表示)であることの理解がないこと, などであるが, 「おわりに」で要約して結論を述べている。その部分を引用する。

1.Single System では, 「労働者から搾取した剰余価値額」と「自営業との不等価交換で得た収奪額」が区別できない。「自営業との不等価交換で得た収奪額」の問題を別にしても, 価値価格から生産価格, 市場価格が乖離することを考慮すると, 価格による剰余価値率は正しい値を示さないが, その場合でも投下労働量にもとづく剰余価値率は正しい結果を示すことができる。 

2.東は抽象的労働や複雑労働などについて, 理論的な分析をすることなく, 投下労働量計算を批判している。複雑労働の簡単労働への還元や高強度労働の標準的強度労働への換算の問題は難しい問題であるが, それらを理論的に考え, 換算方法とデータの開発に地道にとりくむことが重要である。産業別に労働の複雑度や労働の強度に相違が無いという仮定, つまり労働時間がそのまま労働量・価値量を表すという計算は, 賃金率の相違が労働複雑度・強度を表すという仮定や, 価値価格から市場価格への産業別乖離度に相違がないという仮定にもとづいてなすのがよいとする東の主張より, 現実的であり, 有意義である。

3.東による「投下労働量に遡って計算する剰余価値率は, 特殊な場合を除けば正しい値を示さない」という主張は, 投下労働量計算の基本(「物量単位当たりの投下労働」という概念)と価値から生産価格への転化問題に関する不十分な理解にもとづくものであり, 誤りである。(以上, pp325-26)

金子治平「英国における国勢調査の成立・確立過程」『近代統計形成過程の研究』法律文化社,1998年3月

2016-10-09 18:08:50 | 6.社会経済統計の対象・方法・課題
金子治平「英国における国勢調査の成立・確立過程」『近代統計形成過程の研究』法律文化社,1998年3月

 本稿の目的は,その研究が手薄な英国における国勢調査の成立と確立の過程を解明することである。構成は,以下のとおりである。最初に,統計調査という統計作成方法は,国家による統計情報需要の増大と統計調査期間の整備とが一要因であることが示される。これを受けて,国勢調査法が成立するまでの経過,その要因が述べられる。次に1801年国勢調査法の各条項を紹介し,地方自治組織を利用した統計調査・報告過程の特徴が説明される。さらに近代的国勢調査といわれる1841年国勢調査の確立に影響を与えたロンドン統計協会の報告書が紹介され,1831年までの国勢調査とは異なる情報需要や調査方法への言及が成される。最後に,1841年国勢調査の特徴(地方行政機構の利用,自計式の統計調査)の指摘がある。

「第2節 統計調査の成立要因」では,統計調査の歴史的な成立要因とその基盤に関する吉田忠と木村太郎の見解が批判的に検討されている。筆者は吉田が近代的統計調査の基礎に被調査者である国民の存在形態(個人の自立の程度)があったと述べたことの意義を認めながら,しかし国民の自主性と統計調査項目―統計情報需要との関連をみる視点が弱いと指摘する。筆者はまた木村にあっては資本主義社会になると封建時代の推算にみられた地域的支配力が回復し個人を対象とする統計調査が可能になるのかが不明で,この疑問を解消するには近代国家における地方行政機構の整備過程がどのように進展したのかを明らかにし,統計調査組織の変化と関連させて考察しなければならない,としている。この地方行政機構の整備過程は,統計情報需要の拡大と密接に結びつき,国家が国民の統一的支配のための要となるのである。

 「第3節 1800年国勢調査法の成立」は,文字通り,同法が成立するに至る経緯の解説である。英国での最初の国勢調査実施は,チャールズ・アボットが1800年11月に「英国内の人口総数を算出し,それによって人口増減を明らかにするための法律」案を議会に提出したことで実現した。この案は議会を通過し,同年12月31日に王の勅裁を受け,第一回の国勢調査は翌1801年3月10日に実施された。国勢調査が英国でこの時点で,直接的契機となったのは何だったのだろうか。筆者は幾つかの所説を検討したうえで,この時期(1700年代後半),人口論争などを契機とする国家による人口の動向に対する関心の高まり,対仏戦争の影響や小麦小売価格の高騰による食料一揆の影響などで,国民の状態の把握が要求されるようになったこと(徴兵や食糧需給状況の把握)を挙げている。人口数の把握が至上命令であった。

筆者は関連して,人口数の把握というのなら,この頃,各国に身分登録制度があったと述べている。英国のそれは,1538年に成立した教区登録である。しかし,教区登録では非国教徒は排他されていたし,その他の理由もあって現住者数の確定には不十分であった。また,社会福祉行政が未成熟な時代の近代国家では,身分登録制度は厳格に帰納していなかった。人口把握のために国勢調査の実施が期待された所以である。

 筆者は次に「1801年の国勢調査」(第4節)の調査過程と報告過程を明らかにするために,1800年国勢調査法(12条構成)を概観している。要するに1801年国勢調査は,その目的が人口総数の確定におかれ,末端地方行政組織である教区を調査単位とし,教区内の貧民監督官に調査の権限を付与し,調査の責任を負わせ,教区委員を実査補助者として,他計主義で実施された。また名目的にせよ,検査・報告過程に地方支配の中心人物である治安判事にも関与をさせている。調査・報告過程の報酬は少額で,実査過程で中央政府からの世帯票の提示はなく,地方自治行政組織の裁量にゆだねていた。虚偽の申告や報告には高い罰金が付されていた。

 「第5節 ロンドン統計協会報告書」。以上1801年の最初の国勢調査から31年のそれまでは,調査項目は,男女の性別や簡単な職業などの調査項目しかなく,国家の主たる関心は人口数の把握であった。国家による多方面にわたる統計情報への関心が増大するのは,1841年国勢調査以降である。後者に大きな影響を与えたのが1840年ロンドン統計協会への委員会報告であった(1840年4月8日提出)。報告書が強調したのは,次の3点であった。第一は,実査過程とそれの監督規定が曖昧だったそれまでの国勢調査を批判し,中央集権的な新しい地方行政機関(1834年救貧法,1836年出生・死亡・婚姻登録法による)を採用した国勢調査の実施を提案したことである。第二は,単に人口数確認のための国勢調査から社会問題に対応する統計収集のためのそれと位置づけ,多くの調査項目を取り入れる提案を行ったことである。第三は,調査方法として自計式を推奨したことである。

1841年国勢調査は,1840年8月10日に定められた法律と1841年4月6日に定められたその修正法に規定されて実施された。「第6節 1841年の国勢調査」は,その内容である。
調査の実施に当たっては,行政機構の変化に対応し,政府機関である登録吏の指名によって実査を担当する国勢調査員が任命され,旧来の貧民監督官がこれにあたることはなくなった。この措置によって調査委員の質が担保され,中央政府による統計組織の確立が制度的に保証されることになった。もっとも中央政府の官吏は監督業務を担うにすぎず,地方自治組織の協力なしには不可能であったけれども。調査方法は被調査者が世帯票に記入する自計式が採られ,従来と一線を画す詳細な調査項目の設定が可能になった(報告書にあった宗派と健康状態に関する項目の採用は見送られた)。