8月22日横須賀の記念艦「みかさ」を見に行った。
今回初めて知ったのは、戦後横須賀市から「三笠」及び周辺地の使用を委託された民間企業は、上甲板構造物を撤去した跡に、水族館、ダンスホールなどを設け、「三笠」を遊興施設に変えただけでなく、「三笠」の近くに保管されていた大砲、マストなどを売却してしまったことだ。
8月22日横須賀の記念艦「みかさ」を見に行った。
今回初めて知ったのは、戦後横須賀市から「三笠」及び周辺地の使用を委託された民間企業は、上甲板構造物を撤去した跡に、水族館、ダンスホールなどを設け、「三笠」を遊興施設に変えただけでなく、「三笠」の近くに保管されていた大砲、マストなどを売却してしまったことだ。
我が家は引き揚げて初めて「親類付き合い」を知ることになるが、当時を知る人も少なくなったので昭和20年代の我が一族の「親類付き合い」の一端を紹介したい。
●親類の寄り合い
仕出し屋も無いので妻達が本家に集まり料理を作る。
本家には足つきのお膳が保管されており、それを亭主どもが集まって食べるわけだが、全部食べてはいけない。残りはそれぞれの自宅に届けられて、家族も料理を味会うことになる。
(うちの親父は始めそれを知らず全部食べて、裏方は残りの料理を追加して届けてくれた由)
翌日はそのお膳を本家に届けて洗い、よく拭いて出来上がりを本家のおばあちゃんが検査し、あと元に戻す。
●墓掃除
お盆前になると竹筒の花入れを作り名前を墨で書いたものを準備する。
本家から日時が知らされると夏の早朝親類総出で、先ず井戸から汲んだ水を大きな樽に入れ、すべての墓を水洗い、文字は竹箆でこすって綺麗にする。
自分たちの墓の古い竹筒を抜き新しいものに変える。
今はただ懐かしさが残るのみ。