南アルプスのある山の断崖絶壁の中腹に喫茶店があると教えてくれたのは、嘘つきで有名な旧友だった。嘘のつき方が手が込んでいて、何度も騙されたから、今度も嘘だろうと思っていたが、たどり着くまでの経路、店の窓から眺めることができる景色の美しさの詳細さに心ひかれた。
そして、一番気になったのは、「絶対に、お前、見たら腰抜かすぞ」という一言だった。「何に腰を抜かすのか」について訊ねてもあいつはにやにやするだけだった。あーあ、また騙されるのか・・・と思いながら、愛用の道具を選んでリュックに詰め、急行に乗った。
最寄りの駅で下車し、描いてくれた簡単な地図を頼りに歩いた。野仏が目印と書いてあったので、視線の先に野仏を見つけた時にはほっとした。右に曲がり、ほとんど人が歩いた跡を感じさせない細い道を歩む。なぜか、「27分後に見える」と中途半端な数字が書いてある。「30分ぐらい歩いたら」ではなく。こういうところに騙されて来たんだ。
27分歩いたら、本当に絶壁の下に来た。見上げると、丸太小屋が岸壁にへばりついている。上から吊るしてあるのか、それとも、投げ入れ堂みたいな構造なのか。丈夫な作りの梯子がぶら下がっている。小さな小屋があるから覗いてみると、中には四つのロッカーが設置されている。それぞれに小さな南京錠がついていて、「荷物はこの中に入れてください」と貼り紙がしてある。何て親切なんだ。
必要最低限のものを身につけて、梯子を上る。40m位は登った。小屋の入り口に設置されている足場にたどり着き、ドアを開けた。
カウンターがあり、席は二つだけ。カウンターの奥にマスターがいた。濃紺のダブルの背広に蝶ネクタイ、髭は、ポアロのように整えられている。
「いらっしゃいませ。」
という言葉の後に、旧友、いや悪友の名前が出てきた。
「そうなんです、今回も嘘だと思っていたんですが」というと、「本当だった」とマスターは応えてくれた。低い、暖かい声だった。
「お出しできるものは一つしかありませんが、よろしいでしょうか?」
「それで結構です」
「この水なんですよ」とマスターは、クリスタルのグラスに水を入れて持ってきてくれた。
汗をかいていたこともあったと思う。喉が渇いていたこともある。しかし、こんな水は飲んだことがなかった。するっと喉を通過していった。
窓を通して絶景を堪能しているとコーヒーの香りがした。
「どうぞ」とカップが目の前に置かれた。ラテアートだ。向かい合った男女の絵が描いてある。他の店との違いは、その男女が、コーヒーの面に対して垂直に立っているという事だ。
マスターがオーディオのスイッチを入れると、「ラ・クンパルシータ」が流れだし、二人(?)は、踊りはじめた。なるほど、これか、「腰を抜かすほど」というのは。腰は抜けなかったが、見惚れてしまった。
音楽が終わった。二人(?)は、するっとコーヒーの表面に帰って行った。
「お飲みにならないんですか?」
本当は飲めないと思った。しかし、一口すすった。水と豆、そして淹れ方その三拍子そろったコーヒーだった。
あの嘘つき。また騙された。こんなにすごいなんて思ってもいなかったよ、馬鹿野郎。
そして、一番気になったのは、「絶対に、お前、見たら腰抜かすぞ」という一言だった。「何に腰を抜かすのか」について訊ねてもあいつはにやにやするだけだった。あーあ、また騙されるのか・・・と思いながら、愛用の道具を選んでリュックに詰め、急行に乗った。
最寄りの駅で下車し、描いてくれた簡単な地図を頼りに歩いた。野仏が目印と書いてあったので、視線の先に野仏を見つけた時にはほっとした。右に曲がり、ほとんど人が歩いた跡を感じさせない細い道を歩む。なぜか、「27分後に見える」と中途半端な数字が書いてある。「30分ぐらい歩いたら」ではなく。こういうところに騙されて来たんだ。
27分歩いたら、本当に絶壁の下に来た。見上げると、丸太小屋が岸壁にへばりついている。上から吊るしてあるのか、それとも、投げ入れ堂みたいな構造なのか。丈夫な作りの梯子がぶら下がっている。小さな小屋があるから覗いてみると、中には四つのロッカーが設置されている。それぞれに小さな南京錠がついていて、「荷物はこの中に入れてください」と貼り紙がしてある。何て親切なんだ。
必要最低限のものを身につけて、梯子を上る。40m位は登った。小屋の入り口に設置されている足場にたどり着き、ドアを開けた。
カウンターがあり、席は二つだけ。カウンターの奥にマスターがいた。濃紺のダブルの背広に蝶ネクタイ、髭は、ポアロのように整えられている。
「いらっしゃいませ。」
という言葉の後に、旧友、いや悪友の名前が出てきた。
「そうなんです、今回も嘘だと思っていたんですが」というと、「本当だった」とマスターは応えてくれた。低い、暖かい声だった。
「お出しできるものは一つしかありませんが、よろしいでしょうか?」
「それで結構です」
「この水なんですよ」とマスターは、クリスタルのグラスに水を入れて持ってきてくれた。
汗をかいていたこともあったと思う。喉が渇いていたこともある。しかし、こんな水は飲んだことがなかった。するっと喉を通過していった。
窓を通して絶景を堪能しているとコーヒーの香りがした。
「どうぞ」とカップが目の前に置かれた。ラテアートだ。向かい合った男女の絵が描いてある。他の店との違いは、その男女が、コーヒーの面に対して垂直に立っているという事だ。
マスターがオーディオのスイッチを入れると、「ラ・クンパルシータ」が流れだし、二人(?)は、踊りはじめた。なるほど、これか、「腰を抜かすほど」というのは。腰は抜けなかったが、見惚れてしまった。
音楽が終わった。二人(?)は、するっとコーヒーの表面に帰って行った。
「お飲みにならないんですか?」
本当は飲めないと思った。しかし、一口すすった。水と豆、そして淹れ方その三拍子そろったコーヒーだった。
あの嘘つき。また騙された。こんなにすごいなんて思ってもいなかったよ、馬鹿野郎。