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まんが日本史 シーズン1エピソード17 - 栄える平氏-後白河法皇と平清盛-

2023年09月19日 | 映画

俊寛の墓.jpg
Wikipedia 俊寛より 俊寛の墓(喜界島)鹿児島県


1983年7月24日放送 シーズン1エピソード17 - 栄える平氏-後白河法皇と平清盛-

の13分20秒くらいから有名な(内実は複雑)鹿ヶ谷事件(読み)ししがたにじけんが始まる。もちろんアニメでは極簡単に描かれる。

日本大百科全書(ニッポニカ) 「鹿ヶ谷事件」の意味・わかりやすい解説
鹿ヶ谷事件
ししがたにじけん

1177年(治承1)5月、後白河院(ごしらかわいん)の近臣藤原成親(なりちか)・成経(なりつね)父子、藤原師光(もろみつ)(西光(さいこう))、法勝寺執行(ほっしょうじしぎょう)の俊寛(しゅんかん)、摂津(せっつ)源氏多田行綱(ゆきつな)らが、俊寛の京都・東山鹿ヶ谷山荘において平氏追討の謀議をした事件(wikipediaでは「静賢法印(信西の子)の山荘で謀議が行われた、とある)

法皇の隣に、イメージとは違って強欲で悪賢そうな顔の俊寛がいて法皇に酒を注ぐ。他に二人いて楽しそうな酒席。

絶頂期の平氏を倒そうという密談、謀議の席なのに、みな大声で酒をのみながら笑顔ではなしている。

場所は、「俊寛の別荘」。どこかで聞いたことがある倒れた徳利の首を盃で打ち割る場面へと続く。

徳利は瓶子(へいし)と言われていた。瓶子(へいし、へいじ)とは、壷の一種で、口縁部が細く窄まる比較的小型の器形のものをいい、主に酒器として用いられた。

首尾よく徳利(瓶子)の首が取れて一同高笑い。謀議参席者4人のうち三人に対する処分はナレーションだけで字幕はない。

「俊寛はきかいがしまにながされました」

ま、それだけなのだが。このあとアニメでは最終回近く幕末の西郷隆盛のところで、もう一度奄美大島のナレーションがある。

wikipedia鬼界ヶ島(きかいがしま)とは、平安時代末期の1177年(治承元年)の鹿ケ谷の陰謀により、俊寛、平康頼、藤原成経が流罪にされた島。「鬼界島」は南の遠国の島を指す一般名詞でもあり[1]、古代以降、日本の南端と西端の地として長い間認識されていた。広義には南島諸島の総称として用いられ、鎌倉時代以後は十二島として薩摩国河辺郡に属した。wikipedia

 

僧 俊寛の流刑地についてwikipedia

俊寛が流された鬼界ヶ島の場所については、鹿児島県鹿児島郡三島村の硫黄島、大島郡喜界町の喜界島など諸説ありはっきりしていない。なお、硫黄島にはかつて俊寛旧邸宅跡の碑が残されており、喜界島には俊寛の墓と銅像が、長崎県長崎市の伊王島にも墓がある。ひそかに島を脱出したという説も多く、阿久根市や出水市、佐賀県佐賀市などにも俊寛に関する言い伝えが残っている。

 


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