奄美 海風blog

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西郷どん第25回「生かされた命」の平均視聴率は12.7% 今週の2場面

2018年07月03日 | 歴史 民俗
7/1放送「西郷(せご)どん」第25回「生かされた命」の平均視聴率は12.7%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)だった。前回「地の果てにて」より0.5pアップ。
英国の軍艦が鹿児島に来るっち聞いて、先輩流人の川口雪篷(石橋蓮司さん)が島抜けを図り
浜で役人に制止され、そこへ西郷が駆け付ける。
雪篷「国がどげんなろうと、侍がどげんなろうとわしゃ知らん。じゃっとん、犠牲になる民は放っておけん。ある人は言うておられた。『今は異国の強さを学び、日本を異国に負けぬ国にするとき。決して異国と戦こうてはならぬ』と。
敬天愛民みたいだ。
西郷はある人とは斉彬のことだと気づく。
立ち上がる雪篷の袴ズボンの尻がすすきれていた。
10年も「絶海の孤島」に居て、酒飲みじいさんの雪篷が、にっぽんの誰よりも攘夷の不可能をナゼ知ることができたのか。
西郷「おいも同じでごわす」と言って再び、ともに牢へ押し込められる。
逆に鹿児島の大久保は英国との一戦を自分の政治的立場を強化する手段としていた。
なかなか意味深だ。
生麦事件、薩英戦争は、パパッとスルーされた。
半年後、沖永良部の西郷に召喚命令が下り、その夜の祝宴のシーン。
縁側で一人飲んでいた雪篷のそばに西郷が無言で腰を下ろす。
その前に、雪篷は黒※じょかに入っている酒をいつもの瓢箪に少し移しリザーブする。
10年の島暮らしの酒飲みの知恵なのだろう。きっと、あとで一人で飲むためのものだ。
※(wiki 千代香、茶家(ちょか)とは、鹿児島県の薩隅方言で扁平で、注ぎ口の付いた陶磁器の土瓶、銚子のことである。現在は主に焼酎を温めるために用いる)
「わしの負けじゃ、薩摩に帰っるっとじゃろ・・・わいには、ほんのこて、良か友がおっとじゃのう」茶をすする西郷に黒じょかをすすめるが、すぐに当然のように「あ、わいは飲まんじゃったなあ」
残りの茶を飲みほした西郷は、「うにっゃ、今日だけは」といって受ける。「うぉん」といって注ぐ間合いが絶妙だ。
喉を鳴らし乾杯し、矢継ぎ早に自分のちょこに手酌する雪篷「薩摩に帰ったらわしを赦免する運動などおこすなよ、わいの気性ならやりかねん・・じゃっどん、わしゃー、こん島の連中と、やっと馴染みになったんじゃぁ、・・よけいなことはすんなっ、ははっは」と笑って西郷の膝を軽くたたく。音楽もなく、長い沈黙から雪篷の複雑な矛盾した心境が覗える。ほんとうは帰りたい気持ちもあるはずだ。島人に成りきることはできるわけはないのだ。
西郷もまた、奄美大島を去る時とは違った去りがたさがあったはずだ。ここまで奄美と徳之島、沖永良部での5年の間に見聞きし体験したことは、人間西郷に大きな影響を与えたはずだ。
民を絞るだけ絞るやり方に、それまで絶対だった藩への見方も相対化し、中央での政治活動にも違う視点が生まれたに違いない。つまり西郷はここでの涙は「生かされた命」への感謝の気持ちをかみしめているのだった。明治維新まであと4年しかない。
沈黙のあと雪篷は西郷に「餞別」と一言いって、一冊の書を渡す。陽明学の革命に関する本だろうか。(後で西郷が、開けてみるシーンがあるのだが、表紙には「那波列翁伝」(ナポレオンデン) とある。田原裕岡氏 清風館 (タハラ : セイフウカン)活字阪とかあって、これは検索で中身を読める)
 
ここで音楽があって、忘れずにひょうたんを持って立ち上って奥へ消える雪篷はふらついている。だいぶ飲んでいたのだ。うまい演技だった。それを見送る西郷は目に涙をためて深々と一礼する。
川口雪篷の流罪の理由は諸説あるが、種子島の生まれで出世したのが差別的に疎まれた、という説もある。
ドラマの登場人物としては、なかなか味のでる人物ではある。
西郷は5年で島を去るが、島尾敏雄は、奄美で20年暮らし、指宿への転居が決まったころ、雑誌の対談で次のように述べている。
「僕はまあ、西郷はやりませんけど、西郷を書くとしたら、西郷と島との問題をやります。彼が島から受けた開眼というか、島でなにをみたか、ということですね。もう明らかに、本土とは違うんですから。生活、風習、言葉・・・すべてがね。西郷はそこからきっとなにかを学んでいると思います」
島もそれぞれ特性があって興味深い。歴史もまったく同じなのではない。音楽もちがう。地形もちがう。
山がちな奄美大島と違って平坦で小さい沖永良部。薩摩による砂糖収奪の期間も他の北3島と比べると短い。
あけっぴろげな気風の人々、琉球に近く世界が見渡せる。
丘に登れば海から上がり海に沈む太陽があって宇宙を身近に感じることができる沖の永良部(行ったことないのだが)。
自由奔放で陽明学にも通じていた雪篷との交わりが西郷の思想に与えた影響は小さくない。これまで島での西郷は「絶海の孤島」の一言でアリバイ的にしか語れなかった、これまでの西郷論に比べれば、生麦事件、薩英戦争がパパッとスルーされたとしてもそうおこることもないだろう。
沖永良部は2週にわたって描かれ、奄美大島での西郷のロケ地も多くは沖永良部で撮影されたという。
何週間にわたって島での西郷を描いたというだけでこのドラマは画期的といえる。
ということで、雪篷と西郷の2つの会話を今週の場面にえらんだ。
島での西郷はいったんこれで終わるようだが、なんらかの形でまた島が登場するのかもしれない。
川口雪篷は沖永良部島から帰島後は亡くなるまで西郷家に寄寓して、西郷家の留守居役を果たし、また西郷の子弟の教育にも当たったという。
今回はいろいろ場面があったが、この本の表紙と同じようなシーンもあって驚いた。↓
手の甲の針突きもクローズアップされた。
 
愛加那は針突によって自らを島に縛り付け、西郷を追わず、
結局はしあわせに西郷の理想の実現を追うことができたのかもしれない。
愛加那は自分の手の甲を見、西郷のはヤマトを見ている
 
針突きは、かつて、奄美の女たちが初潮をみた証に右手の甲に刺青をほり、婚約が調った段階で左手にほるという風習で、この本のものがたりでは、本土の「お歯黒」と対比されている。
互いに見慣れない人々にとっては奇異で醜悪なものであり遅れた奇習と見なされ、
西郷も初めてあった愛加那の針突きをみて忌避感情をあらわにする。
だが、愛加那は、鹿児島にやった菊草にはそれを許さなかったのだ。