竹に雀

上杉家中心・戦国まったりブログ

信夫山

2013-09-21 11:13:21 | インポート

次に、信夫山へ。

信夫山は「松川の戦」で伊達政宗が陣を張った場所です。

黒沼神社の場所に陣を張ったと言われているのですが、愛宕山公園の場所からの方が福島城を見ることができるのでそちらに本陣を張ったのではないかとのことでした。

松川の戦で敗れた政宗は、信夫山伏の党首羽黒山別当慶陰らに守られ、羽黒山の別当寺寂光院にかくまわれ夜半に茂庭を通って、仙台に帰ったといわれています。この戦で信夫山の社寺・山伏村・民家がすべて焼き払われ、羽黒山を奉じて山伏や宮人も政宗と一緒に仙台に移り住んだそうです。その後、政宗は仙台城の前身地に青葉山寂光院・羽黒大権現を移しました。
伊達政宗の築城した青葉城の名前は信夫山の古名である青葉山からつけられたものといわれているそうです。

ちなみに、今の愛宕山公園からは木の枝が邪魔をして福島城あたりを望むことができませんでした。

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現在、信夫山は除染中で、3.11はまだ終わっていないことを感じました。

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舟戸十騎の墓地

2013-09-21 10:51:23 | 上杉家

しばらく間が空いての更新ですみません。

実は、今回の400年祭は村上で発足された「本庄繁長公の会」の皆様とのツアーに参加させていただいていました。

一泊ツアーの方に参加させていただいていたため、14日は飯坂温泉で一泊した後、15日長楽寺御住職の妹さんのガイドで福島市内の繁長ゆかりの場所を巡りました。

バスの中でも、降りてからもかなり重要な情報を教えていただいたのですが、福島市の土地勘がないため、今バスがどこを通っているのか、この場所がどこにあるのかが分からず、東京に帰ってから地図で調べて確かめるありさまでした。

また、記憶を基に書いているため、間違っていたらすみません。

15日の早朝(朝風呂していた5時頃)は晴れていたのですが、出発時間の8時30分には雨が降り出しました。

バスは飯坂温泉を出て「舟戸十騎」の墓地がある舟戸地区へ。

舟戸地区は長楽寺を守るために繁長の家臣十家が移り住んだ地区です。

場所は阿武隈川と八反田側に挟まれた陸羽街道側にある地区です。

長楽寺からは北に方角にあり、伊達を警戒してこの地区に移り住まわせたことは、容易に想像できます。

ガイドさんのお話によると米沢街道沿いにも繁長の家臣の子孫が住んでいるのだとか。

墓地で、舟戸十騎の御子孫の方のお話を聞き、黙とうしました。