名勝負として必ず取り上げられる1996年の阪神大賞典。そう、ナリタブライアンとマヤノトップガンのマッチレースとなった、あのレースです。伝説のレースとか、世紀の名勝負とか言われますが、私にとっては全く逆の思いです。あんなの名勝負でも何でもないと…。
いいですか、ナリタブライアンが普通に走れば、マヤノトップガンと叩き合うまでもなく突き放して勝っているはずです。一年前の阪神大賞典を圧勝した後に発症した股関節炎により、全力で走ることを恐れるようになったナリタブライアンは、その後のレースではMaxの力を発揮していません。そんな中で、マヤノトップガンと叩き合った阪神大賞典。そのどこが名勝負なのでしょうか。あれがナリタブライアンの力ではないのです。まるで、死力を尽くしてマヤノトップガンに競り勝ったように語り継がれるのが、どうも個人的には納得いきません。あのレース、土曜日でしたが、友達の家でテレビに噛り付くように見ていました。リアルタイムで見たその時から、あれが素晴らしいレースだったと言われることに抵抗があるのです。
誤解のないように言いますが、マヤノトップガンも素晴らしい馬ですし、私も好きな1頭です。間違いなくトップレベルの能力を持った馬でしたし、翌年の天皇賞(春)での追い込みには感動しました。しかし、ナリタブライアンは何十年に1頭のスーパーホースです。マヤノトップガンも凄いですが、ナリタブライアンはそのまた一つ上のランクの馬なのです。
ナリタブライアンの阪神大賞典、私は1995年のレースが好きです。圧倒的な力で4歳4冠を達成し、古馬となったナリタブライアンが天皇賞(春)のステップレースに選んだレース。白いシャドーロールを揺らしながら、余裕たっぷりにマクっていき、4コーナーで早くも先頭に並びかけ、直線では馬ナリで突き放すというナリタブライアンらしいレースぶり。レース後のインタビューで、「天皇賞に向けての課題は?」と聞かれた南井騎手は、「この馬に課題なんてありません。とにかく無事に、それだけです。」とコメントしていました。結局、その「無事に」が叶わなかった。ナリタブライアンの圧倒的なパフォーマンスは、このレースが最後でした。その意味で、私の好きなナリタブライアンの阪神大賞典は、1995年です。
いいですか、ナリタブライアンが普通に走れば、マヤノトップガンと叩き合うまでもなく突き放して勝っているはずです。一年前の阪神大賞典を圧勝した後に発症した股関節炎により、全力で走ることを恐れるようになったナリタブライアンは、その後のレースではMaxの力を発揮していません。そんな中で、マヤノトップガンと叩き合った阪神大賞典。そのどこが名勝負なのでしょうか。あれがナリタブライアンの力ではないのです。まるで、死力を尽くしてマヤノトップガンに競り勝ったように語り継がれるのが、どうも個人的には納得いきません。あのレース、土曜日でしたが、友達の家でテレビに噛り付くように見ていました。リアルタイムで見たその時から、あれが素晴らしいレースだったと言われることに抵抗があるのです。
誤解のないように言いますが、マヤノトップガンも素晴らしい馬ですし、私も好きな1頭です。間違いなくトップレベルの能力を持った馬でしたし、翌年の天皇賞(春)での追い込みには感動しました。しかし、ナリタブライアンは何十年に1頭のスーパーホースです。マヤノトップガンも凄いですが、ナリタブライアンはそのまた一つ上のランクの馬なのです。
ナリタブライアンの阪神大賞典、私は1995年のレースが好きです。圧倒的な力で4歳4冠を達成し、古馬となったナリタブライアンが天皇賞(春)のステップレースに選んだレース。白いシャドーロールを揺らしながら、余裕たっぷりにマクっていき、4コーナーで早くも先頭に並びかけ、直線では馬ナリで突き放すというナリタブライアンらしいレースぶり。レース後のインタビューで、「天皇賞に向けての課題は?」と聞かれた南井騎手は、「この馬に課題なんてありません。とにかく無事に、それだけです。」とコメントしていました。結局、その「無事に」が叶わなかった。ナリタブライアンの圧倒的なパフォーマンスは、このレースが最後でした。その意味で、私の好きなナリタブライアンの阪神大賞典は、1995年です。
たしかにトップガンとの叩きあいは、私も死闘だとは思いませんでしたが、かと言ってブライアンが順調に怪我無く一年過ごした後どうだったかも解らないのが実際のとこです。もしかしたら2歳から酷使した分、燃え尽きるのも早かったかもしれませんし。競馬の世界は強豪同士がベストコンディションで戦うのが本当に難しいですね。
個人的には有馬記念での兄弟対決をすっごい期待してました。前年のトウカイテイオーみたいにブライアンが突っ込んでくるのを妄想してましたね。