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漁夫の利を得たソビエト☆DEMO崩壊しちゃったけれど

2020-04-11 22:28:18 | 諜略国家:ソ連~ロシア

昔、学校の歴史の授業では、縄文・石器時代のあたりから始まって、弥生・飛鳥・平安・鎌倉時代などを経て室町・安土桃山・戦国時代そして江戸時代、さらに江戸後期に攘夷・討幕運動の末に明治維新を迎え、日本は近代化しまではじっくりと習いますが、大正・昭和のあたりから先の近代史は、駆け足で進んでいきました。

 

第二次世界大戦(太平洋戦争/大東亜戦争)のあたりは、列強国の覇権争いの末、日本による周辺国への侵略により緊張が高まり、日本の真珠湾への先制攻撃の末、戦争の火ぶたが切られたということになっています。現在も学校では、こんな感じで教えているのでしょう。

 

近代史には、今の現在の日本を知る重要な出来事がたくさんあるのに、それらを飛ばして教えなかったり、ある方向からの見え方に配分を置いて教えるのも、日本のことをきちんと教えていないのと同じことです。

 

 

「15世紀以降、世界のほとんどは西欧人によって植民地化されていた」

15世紀の大航海時代以降、列強諸国によって世界のほとんどは植民地化されていました。本ブログ「韓国はここまでして日本の財産が欲しかったのか」にも書いています。そういう情勢の中、日本は列強諸国に植民地化されまいと明治維新を起こし、富国強兵に取り組んで、アジア圏で初めての列強国となり、経済も産業も発展させていきました。また、寒冷地の割合が多いロシア帝国は、大陸の南下政策を模索していた為、同じく大陸進出していた日本と衝突し、結果、日本とロシアは衝突することになりましたが、当時無敵と言われた、ロシアのバルチック艦隊を破り、のちの日清戦争では、清を破ったりして世界中を驚かせました。

 

 

 

「300年続いたロシア帝国の終焉」

 

そんな時代背景の中、1917年に300年続いたロシア帝国(ロマノフ朝)は、ニコライ二世が最後の君主の元、終焉を迎えました。変わって1922年にはソビエト連邦社会主義共和国が誕生しました。鉄のカーテンと言われた70年間の始まりです。1920年の半ばから死去する1952年まで、ソ連共産党指導者のヨシフ・スターリンが共産主義の名のもと、恐怖政治を敷いたのです。

 

恐怖政治を行った共産党指導者ヨシフ・スターリン

ソビエト連邦時代、共産主義を広める為に何百万もの外国人、右翼系活動家、政敵、そして多くの罪のない人達が逮捕・追放されその中の多くは、然るべき手続きもなしに処刑され、またはソ連の辺境の地のシベリアなどの強制労働収容所に送り込まれました。この収容所には、第2次大戦終戦時に多くの日本人も送り込まれました。その中には軍人も含め一般人や女性も長い間、極寒の地で強制労働を強いられました。

 

 

「中国大陸でのアメリカとのすれ違い」

列強国入りした新参者の日本は、中国大陸での事業でアメリカとの利権争いが生じます。特に南満州鉄道の権利争いが後々に遺恨を残すことになります。

 

南満洲鉄道総延長(昭和20年) 6,126.4km

 

*南満州鉄道 快速列車あじあ

 

 

 

「狙いは満州」

その原因は、真珠湾攻撃の36年前に日露戦争の講和を仲介したアメリカとのすれ違いから始まりました。

明治33(1900)年6月、欧州列国が相次いで清国に進出する中、山東省で起きた排外運動「義和団の乱」がまたたく間に北京へと拡大していきました。

 
 このため日本など8カ国が現地に住む自国民保護を目的に軍隊を出して乱を鎮めたまではよかったのですが、各国は兵を引き揚げさせたのに対しロシアは逆に兵を満州に送り込んで来ました。
 
 そんなロシアに強い危機感を持ったのが日本とアメリカだったのです。
 
 
「大陸は国と国との国防そして利権争い」
 
南北戦争後、欧州にならい支配力を広げたいアメリカは、ハワイ、フィリピンに続いて狙ったのが満州であり、日本も本土をロシアから守る防衛線として満州が必要でした。
 
そしてロシアの進出を抑えるため、明治37年に起きた日露戦争で日本を資金援助したアメリカが、日露両国の講和締結に積極介入したのも、満州の利権が欲しかったからにほかならなかったのです。
 
 
 
「南満州鉄道の共同経営の破棄」
 
そこで講和締結後、アメリカの鉄道王、エドワード・ヘンリー・ハリマンは日本がロシアから得た権益のうち、新京(長春)から大連間を走る鉄道(南満州鉄道)の共同経営を1億円の財政援助とともに持ちかけられます。
 
明治36年の国家予算が約2億6千万円という時代の1億円である。首相の桂太郎はハリマンの提案を歓迎して受け入れました。
 
ところが、ハリマンとすれ違いに帰国した外相・小村寿太郎は反対をします。多くの国民の犠牲を払って得た権益をアメリカと分けると他国に足もとを見られるというのが理由ですが、最終的には奪い取られるといった疑いを持っていたとみられます。
 
 結局、桂は小村に従うのですが、突然の破棄にハリマンの怒りは収まりがつかなかったのです。以後、日本とアメリカは対極の立場をとるようになっていきます。
 
 

日本の資本、日本人技術者らが総力を挙げて作り上げた特急列車
1934年(昭和9年)川崎車輛 世界初の冷暖房車
日本国内最初の冷房列車は南海電鉄1936年(昭和11年)

パシナ形蒸気機関車
全長 : 25.675m
全幅 : 3.362m
全高 : 4.8m
動輪直径 : 2m
運転整備重量 : 203.31t
軸重 : 23.94t
最高速度 : 130km/h(170km/hを記録)
出力 : 2,400馬力
石炭12t・水37tを積載可能

 

「満州をあきらめないアメリカ」

こと満州のことになるとアメリカの態度は執拗(しつよう)でした。明治42年、日露両国が握る満州内を走る鉄道の権益を中立化させて自分たちを含む共同管理を提案したほか、清国と満鉄に並走する鉄道建設なども計画するが、失敗に終わります。

 
 それでも諦めないアメリカは大正11年、ワシントンに主要9カ国を集めた軍縮会議を開催すると、日英同盟破棄や清国崩壊後に成立した中華民国への進出の抑制など日本の弱体化を狙った合意を引き出しました。
 
 さらに満州を治める張作霖(ちょうさくりん)政権と満鉄に対抗する鉄道建設と同時に、満鉄とつらなる大連港に対抗し、大連と渤海(ぼっかい)湾を隔てた対岸に位置した葫芦島(フールータオ)に貿易港の建設も計画。中国の抵抗もアメリカの支援のもとで強まっていきました。
 
 
 
「武力衝突」
そんな中、昭和6年に奉天郊外で起きた満鉄爆破事件に端を発した中国との武力衝突(満州事変)に続いて、6年後には北京郊外の盧溝橋(ろこうきょう)で中国・国民党軍との紛争が発生するなど戦線は拡大する一方でした。
 
 そんな強気の姿勢を崩さない日本に業を煮やしたアメリカは、「中国でのアメリカの権益が日本軍に侵害された」として14年に日米通商航海条約破棄を通告する。
 
 つまり、資源に乏しい日本にガソリンや鉄など戦争継続に必要な物資の輸出を禁じたことで日本の弱体化を図ろうとしたのでした。
 
 
 
「日本は資源調達を模索する」
 
はじめは動揺を隠せなかった日本だったが、東南アジアの資源地帯に目をつけます。当時、協調関係にあったドイツがフランスに勝ち、フランス領インドシナ(仏印=現在のベトナム・ラオス・カンボジア)がパックリ口を開けて待っていたからでした。
 
 
「蒋介石ルートの確保」
 ですがアメリカにとっても仏印は、中国側に物資を送る輸送ルート上にあったたため、日本軍の仏印進駐を強硬に反対しました。
 
 
 
 
 
「日本が戦争に踏み切った理由」
日本が参戦に至ったのは、日本経済に必要な石油の輸入経路をアメリカなどにより断たれ、今、現在世界が北朝鮮に行っている経済制裁よりも、もっときつい制裁や不合理な条約などを叩きつけられたからと言われています。
 
 
 
「アメリカで暗躍するのコミンテルン」

アメリカでの最新の研究の結果、長い間、機密だった機密文書の公開の結果、当時、ソビエトの共産主想のコミンテルン(世界革命組織)の諜報活動の結果、当時のアメリカ政府内には多数のコミンテルンが入り込み、ルーズベルト大統領の側近の中にも入り込んでいたといわれ、アメリカと日本を戦わせて国民の意識をそちらに向けさせ、ソビエトは結果、いろんな面で漁夫の利を得ようと目論んでいたと言われています。スターリンの策略です。

 

「日米戦争は、ソビエトにとって漁夫の利」

なぜ、ソビエトが漁夫の利を得るのかというと、当時、ソビエトはヨーロッパでドイツと戦っていました。そして極東方面で隣接する満州国には、日本帝国の精鋭軍の関東軍が在住し、にらみを利かせていました。ソビエト領土は広いが緯度が高いため、冬場は極寒の地が多く、不凍港の港が喉から手が出る度欲しがっていました。満州国あたりから南側に位置する場所は寒さも和らぎ、このあたりの領土を獲得するのが夢でした。日本の睨みの先をソビエトの方でなく、南洋の方に向けさせたかったのです。同時にドイツと日本と両方と戦う余裕は、当時ソビエトにはありませんでした。

 

「連合軍側の勝利」

結果として、1945年に日本・ドイツ・イタリアは敗戦しアメリカと共にソビエト・中国などは戦勝国となります。ソビエトは、終戦間際に日本との不可侵条約があったのにも関わらづ勝手に破棄し、満州や北方領土へ侵攻します。完璧な条約違反です。ドイツに勝利し南下進行して、北方領土を手に入れました。おまけに敗戦国の日本人を「ダモイ(帰国)」させるとだましてシベリアや北方の地へ抑留し、鉄道工事や森林の伐採や道路を作らせたりの重労働をさせました。戦勝・賠償金・領土獲得・インフラ整備など④得ですね!

 

「冷戦の始まり」

戦勝国には、アメリカ・イギリスなどの資本主義陣営とソビエトやのちの中国共産党等の社会主義陣営の2つのグループが出来上がりました。のちに、ソビエトはぺロストロイカによって崩壊しましたが、中国はいまだに健在です。

 

「厚遇され続けた中国」

さかのぼれば、満州事変ではアメリカに援助され第2次世界大戦後は、日本から多額の賠償金や大陸に残された、日本が投資した莫大な財産・資産を手に入れ、戦後40年以上日本からの経済援助や技術提供を受け、今では世界第2位の貿易大国になり、さらに1強独裁の軍事大国になってしまいました。今では逆にアメリカを脅かす存在にもなっています。

 

「恩を仇で返す中国」

昔の恩は何のその、南シナ海での無秩序な行動やハワイ近郊まで軍艦による訓練を行い、グアム近郊ではアメリカ軍の哨戒機にレーザー照射をするなど、常識のない危険な行動を繰り返しています。

 

「新型コロナウイルス」

いま世界中で拡大いている新型コロナウイルス(武漢ウイルス)も、情報の隠ぺい疑惑や陽性者数や死亡者数にしても発表している数字は信用できません。おまけに発生地も他国のせいにしていますし困ったもんです!

 

今回のことで世界中の人が、中国の至らなさがわかったことでしょう。もっと厳しい態度を取らなくてはいけませんね。