ガッシュナッツ☆ブログ☆彡

ささいな日常や旅行、史跡、今少しハマっていること+プチ保守

廃墟感漂うラピュタみたいな島☆友ヶ島☆第4砲台編

2017-11-22 20:58:38 | ラピュタみたいな場所

今までブログにUPしていなかった、和歌山の友ヶ島の第四砲台を紹介します!(^^♪

第4砲台は現在、立ち入り禁止になっています。

コウモリのいる洞窟もありましたよ。

鍵穴こと指揮官が指揮していた指揮所なんかもありました

 

 

友ヶ島全体の説明は、ラピュタみたいな島☆友ヶ島(其の1・其の2)で説明しているので省略させて頂きます。探訪した画像を貼っていきます。ルートは、第3砲台から第4砲台の方へと探訪していきます。少し長編になっているのであしからず。

 

まずは、フェリー乗り場から第3砲台へ向かってGO!上り坂を上がって行くと案内表示があります。

第3砲台は、右の方向です。

上り坂は、普段怠けている足腰には結構大変です。

石積の排水の会所みたいな物がありました。実際はなんだかわかりません。

上り道の駆け上がり部分には、大きな岩盤みたいな岩が続いています。

石柱が2本道端に放置されていました。(何かの土台かな?)

将校宿舎跡が見えてきました

3つの銃眼窓が見えます。

内部はかなり荒れているため立ち入り禁止になっています。

すぐ横に、発電所跡もあります。

第3砲台へと結ぶトンネルです。

第3砲台が見えてきました。

一番乗りで来たので、まだここには誰もいません。友ヶ島の紹介で必ず紹介される場所です。

第3砲台の入口トンネルをくぐってすぐ左側の弾薬庫の中から撮影です。

第3砲台側から発電所の方を見た所です。

 

弾薬庫の外側にある見回り用の通路です。

弾薬庫内です。

弾薬庫内は、奥側で行き来できるようにつながっています。

弾薬庫を出て、左側を見た所です。

弾薬庫前を歩いて行くと左側に下に降りる階段を発見。

降りて行って下から上を見た所です。

降りて行くとトンネルがあります。

フラッシュをたいているから明るく見えますが、中は真っ暗です。

トンネル突き当りを右側に行くと砲台跡が見えてきました。

丸い砲台跡が見えてきます。

トンネルを出て、砲台跡を見ていると上に上がる階段があります。

上がって上から見ると、最高の眺めが見れます。

ラピュタぽいです!

 上から見るとまた見え方が違いますね。

別な階段から上に上ります。

階段を上って上の木の間をぬって行くと丸い構造物がありました。

かなり荒れています。

鍵穴ですね。

丸い筒は何でしょうか?

木の根っこが史跡に食い込んでいます。

史跡に根を張っている木々。最初は小さな種から成長して、70年以上の歳月を経てこんな風になったのでしょうか?

別な鍵穴を発見。ここは鍵穴の様な指揮所です。

円形の中から木がたくさん生えています。

下のトンネルではなく、上の小山伝いに行くとまた別な鍵穴がありました。

端の方まで来たので、また下に降りてトンネルのある砲台跡の所です。

レンガとシダの紅葉が綺麗です。

 

上から眺めた所。

垂れ下がるシダ

丸い砲台跡には、水が溜まっています。

朽ちた木には苔がびっしりと生えています。

砲台跡も満喫できたし、またトンネル通路へ戻ります。

表の通りへ戻ってきました。

錆びた金具。なんなのかわかりません。

部屋奥の曲がり角付近です。

弾薬庫内から

将校宿舎の方へ戻ります。

将校宿舎の裏側です。

表側には門に向かって銃眼窓があります。

今度は発電所に近づいて行きます。

ここも立ち入り禁止になっています。

発電所の中は、柱とか梁が朽ち果てていました。危ないので中は立ち入り禁止です!

外壁に、金属製の樋が少しだけ残っています。

発電所の横に何かの土台みたいな物がありました。

井戸か排水施設みたいなものがあったのでしょうか?丸い蓋みたいなものがあります。

周りには、レンガの破片があります。

何十年放置されていたのか、苔がびっしりです。

将校宿舎を出て第4砲台の方へ向かいます。

途中に素掘りのトンネルがありました。中は4mほどで終わっています。

しばらく行くとキャンプ場に出ました。

平日ともあって、誰もキャンプをしている人はいませんでした。

画像は無いですが、友ヶ島に生息している鹿と出会いました。姿を見るとすぐに林の方へ逃げていきました。ネットで見たのですが、ここの鹿の中には、台湾の鹿のDNAを持った鹿がいるそうです。昔、台湾は日本でしたから誰かが連れてきたのでしょうか?

キャンプ場を後にして、第4砲台の方へ行きます。

つるが覆い茂った林の中に大きな石積みの土塁があります。

マリフェセントでも出てきそうな雰囲気ですね!

先を進むと門らしきものが現れました。第4砲台入口です。

門の中の左側に、朽ち果てた建物があります。これもレンガ作りです。

建物の右側に下の方の史跡に降りていける坂道があります。

その前に、手前にあった別な階段の方へ行きたいと思います。

下に降りるとトンネルがあります。

中は真っ暗です。

照明が無いと真っ暗で怖いです!

奥に抜けると、砲台跡がありました。

訪れる人がいないのか、廃墟感は第3砲台よりあります。

やっぱりここは、ラピュタみたいですね!

上に上がる階段があったので上って行きます。

廃墟感抜群です。

落ち葉と木々が多い茂っています。

階段上の林を横に進んでいくと、鍵穴こと指揮所が現れました。

指揮官がここで指揮をしていたのでしょうか?

鍵穴の中に下に降りる穴があります。当時は階段があったのでしょう。

下は地下トンネルの方へつながっています。

この丸いのは何でしょうか?わかりません!

砲台上の林沿いを枝をかき分けていくとまた、変わった構造の史跡が現れました。鍵型ではなく星型みたいな形です。

階段があるので降りて行きます。

外側に通路みたいなものがあります。

内側は円形状になっています

外側の通路を進んでいくと、真ん中の円形内部に入れる入口を発見!入って行きます。

中には、上部が明り取りか出入り口と丸い換気口みたいなの物があります。

左右の壁には、物を置ける棚みたいなものがあります。

もう少し進みます。

もう少し進むと、下に降りる螺旋階段がありました。

怖いですが、勇気を出して下に降りて行きたいと思います。

真ん中の円柱に沿って、階段が下の方へ続いています。

途中の壁に四角い穴を発見。

もう少し下に降りて行くと天井にコウモリが止まっていました。

一番下まで降りてきました。

ここにもコウモリがいました。生で天井にとまっているコウモリを見たのは初めての経験です。

コウモリを見つつ先に進むと、地下通路の出口が現れました。

秘境というか手付かずの状態です。

本当の廃墟です。

この第4砲台は、大正時代に使用するのをやめられた砲台です。使われなくなってからの年月が一番長い史跡の一つです。

こんな素敵な所は、後世に残していきたいですね。

本当にいい所です。

レンガに何かついています。

 輪っかがついているレンガを見るのは初めてです 。

上に上がる階段を上がります。

50年後くらいには、この木の芽も大きくなってレンガの階段に根を張るのでしょうか?

上に上がると、黄色い花が群生しています。

先を進むと、また新たな鍵穴がありました。見た中で一番状態がいいです。

通り過ぎて斜面から下を見下ろすと弾薬庫らしい史跡が見えます。

元に戻って見に行くことにします。まず最初にあった門の奥の建物を見ていきます。

周りには、半分以上ない屋根の瓦が散乱しています。

中は、朽ちてボロボロです。

危険なので中へは入れません。

 

 廃屋横の史跡につながる坂道を下って行きます。

 

これはたぶん弾薬庫跡でしょう。

 

部屋が全部で3つあります。

第3砲台とはまた違った雰囲気がいいです。

フェリーの時間も迫ってきているので、この辺で戻ることにします。

門の奥にあった廃墟を少し見ながら第4砲台とお別れです。

中には藤みたいな紫色の花が咲いていました。

屋根はほとんどありませんでした。

第4砲台とお別れです。

フェリー乗り場に向かってまた、てくてくと山道を行きます。

途中、木々の切れ目から桟橋が見えました。

がけ下を見下ろすと、透き通った海が見えます。

今日は、いろいろな特別な物が見れてとても思い出に残るいい一日でした。

今回は、いい場所にたくさん出会えて画像も沢山UPして、少し長編になった中、最後まで見て頂き有り難うございました。また、いい場所に出会いましたらUPしていきますので、たまにお立ち寄りくださったら、うれしいです。

それでは、この辺で失礼します。Have a nice day!

 


独島エビと独島消しゴム

2017-11-15 21:15:34 | 竹島問題

独島エビ

韓国がアメリカのトランプ大統領を招いた晩餐会の料理メニューの中に独島エビを使った料理を出しました。

今回のトランプ氏の来訪の理由の一つに、北朝鮮の核武装に対する取り組みの日米韓の同盟強化の確認があったのにもかかわらず、日本に対する嫌がらせというかトランプ大統領を招いての晩餐に、自国の主張をアピールする行動に出るとは恐れ入りました。

トランプ大統領がエビ好きだったかどうかはわかりませんが、竹島(独島)は現在でも日本の領土です!ということは、韓国が晩餐会の料理に、日本領土から盗んだエビを出したということになりますよね!こんなことして恥ずかしくなかったのでしょうか?・・・それとこのエビは日本のボタンエビじゃん!

 

独島消しゴム

韓国で1年間で1万個売れたという、独島消しゴムというのが、韓国で人気らしいです

 

 

販売している店 

韓国の東側の慶尚北道鬱陵郡内にあるパン屋には、「独島文房具店」という店が入店しています。この店では竹島(独島)に生息しているさまざまな希少生物や動物の記念品を作ることで知られています。この文房具店では、その他にエコバッグ・ノート・メモ用紙・ボトルなども販売していますが、そういった中で一番目につくのが「独島消しゴム」なんだそうです。

鬱陵島のパン屋で売られている韓国のイカ墨パン ↓↓↓  なんかまずそう

「独島文房具」が入店しているパン屋では、鬱陵島のイカの墨で作った「イカ墨パン」を販売しており、このパンをまとめて購入すると「独島消しゴム」がおまけで付いてくるとのことです。独島文房具店では「独島消しゴム」を製造・販売してから1年で1万個を完売するくらいの人気だったそうです。

 

もともとは日本がつぎ込んだ資産と賠償金狙いが発端

韓国は、1945年の終戦から、日本に対しての戦争賠償の権利を連合軍側に何度も申し出ていましたが、「韓国には権利はない」と拒否し続けられていました。(当時、日本と朝鮮は仲良くやっていたのに、戦争に負けた途端に手のひら返しですね。)

 

そこで1948年8月に元活動家の韓国で初代大統領になった李承晩は、日本が韓国で投資した朝鮮半島の資産を得て、なおかつ、賠償金ももらう方法はないかと考えていました。

 

 

 

*大韓民国第1代・2代・3代大統領 李承晩

韓国は、自分たちがもらえそうな資産や賠償や領土などを戦勝国の連合国相手に何度も交渉しますが、認めてもらえず、業を煮やした李承晩大統領が、勝手に領土境界線を日本側に広げた、李承晩ラインを引き、結果、竹島を無理やり占領していったという経緯があります。この時、竹島周辺で漁をしていた漁民を襲い拉致をして、けが人や死亡者も出ています。(これこそまさに盗人ですね!)

領土を奪うだけでは飽き足らず、日本に対して元々戦争賠償の権利が無かった韓国が、権利を得るために、うそのストーリーを立て、被害者であったと言うことにして、賠償金を日本から奪い取ろうとしていました。

 

日本と韓国の二国間の会議は、昭和26年(1951年)10月20日の交渉から始まり、1965年の日韓基本条約締結までの、14年にわたって繰り広げらえました。交渉が始まったころの韓国の大統領は、独立動家だった、李承晩大統領だったのですが、日本に対して敵対視し続けていたので、予備会談の段階からもめにもめていました。

 

 最終的には、準賠償という権利の無い国が、経済協力金という名前のもとで無償でお金をもらえる制度を勝ち取ったんです。

これにより、韓国は日本から下記の様な賠償と借款を受けました。(1965年に日韓基本条約の締結)

 *志願し日本軍として戦った、朝鮮兵。勲章の多さから士官クラスかな?

 

*朝鮮併合時代の朝鮮人は、差別なく中将にもなれていました。(当時はともに仲良くやっていたのに!)

 

 

*競争率が高かった、日本軍への志願者。

 

 

 

「経済協力金」とその使途

財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定によって日本は韓国に次のような資金供与及び融資をおこなった。

  • 3億ドル相当の生産物及び役務 無償(1965年)(当時1ドル=約360円)(1080億円:当時の価値)
  • 2億ドル 円有償金(1965年)
  • 3億ドル以上 民間借款(1965年)

 

これ以外にも、韓国にあった在外資産が、当時の金額で429億円(現在に換算すると8兆1500万円)。2016年12月の日韓合意で10億円を支払ったし、現在も戦時中の徴用工問題で、賠償金を何とか奪い取ろうとしています。

韓国は、賠償金欲しさにウソのストリーを立ててやってきた経緯があるので、今更嘘でしたとは言えないのでしょう!そして賠償請求し続けるのには、被害者であり続けなければいけないから・・・!それと、1965年の日本からの、経済協力金のことを韓国政府が国民に言わないで、国の政策だけに使ったので国民は賠償してもらえてないと勘違いしているのでしょう!当時の韓国の国家予算の3倍のお金を渡しているのに!

 

それではこの辺で失礼します。Have a nice day!

 


柳本飛行場跡へ探訪☆奈良・天理市

2017-11-13 22:04:46 | 史跡/柳本飛行場跡

最近、ちょっと史跡の探求に少しハマっています。

 

 

今回は、自然が豊かな奈良県天理市まで足を運びました。山に向かって道が伸び、両側に田んぼが広がっています!とてものどかな田園風景です(#^.^#)

もうこの時期、稲刈りは無事終わっていました。(*^^*)

 

歩いて探索していると、左側の田んぼの中に小高い盛り土を発見しました。

小さな林みたいにも見えます。

田んぼのあぜ道から、もっと近づいてみます。

上には、木や草が結構茂っています。小さな古墳でしょうか?

 

近づいてみてみると、下側にコンクリートで出来たドーム状の土台みたいな物があります。

土台に沿っていくと、入口らしきものがありました。史跡みたいです!

ここはやっぱり探していた史跡、柳本飛行場跡の防空壕みたいです。

入口の両脇の壁を見る限り、壁の厚みは結構ありそうです!しっかりとした造りで、入口付近は草木がいっぱい覆い茂っています。

草木をかき分けて、中に入ってみます。

左にカーブする通路を曲がるとすぐに右側に中に入れる入口があります。

フラッシュをたいて撮影している画像なので中が見えますが、実際は中まで光が届かず、照明なども無いので中は真っ暗です!そして、もう一つ向こうにも部屋がありますが、ほんと真っ暗でよく見えません。ちょっと怖いですし・・・!

床に水が10cm位溜まっていたので、向こうの部屋には行きませんでした!

防空壕の奥側から入口付近を映した画像です。

奥にも出入り口があって、反対側の入口に繋がっているみたいです。

 

話がそれますが、これらの日本の昔の防空壕や資材倉庫は、イタリアの洞窟都市マテーラに少し似ているような気がします。

 

*baburey様参照

 

話が戻って、反対側の入口です!

どちらからでも出入りできるようになっていました。当然ですよね!いざという時の防空壕ですものね

 

当時から、上に土をかぶせて上空からわからないようにしていたみたいです。

側面から見た所です。稲刈りが終わっていたので、気にせず色んな方向から近づくことが出来ました。時期によっては、水が張ってたり苗があったりして、思うようにいかない場合もあるかもしれませんね!

ドームの上の部分に丸い筒が突き出ていますが、なんでしょうか?

煙突かな?上に上がって確かめてみました。

どうやら下の防空壕内の換気の為の空気抜きみたいです!

中は、詰まってふさがっていました。

上に登ってみた所です。盛り上がった土手みたいにしか見えないです。上空から見たら田んぼか構造物かは見分けがつかないでしょうね。

 

上から見たら、もう一つ防空壕みたいな物がありました。

最初に見たのと形が少し違います。

Y型に広がった出入り口が、こちらと向こう側にあり、出入り口が全部で4か所ありました。

中には、農家の方が道具などを入れて利用して使っていました。物でふさがっていたので中に入るのは断念しました。

構造物はコンクリート造りですが、70年間も良く持ちこたえたものです。

苔が生えて年月を感じます。

 

雨が最近降ったのか、田んぼに水がたまっている所がありました。

秋晴れの青空に柿が沢山実っていました。青空が澄んでいました。

あぜ道に目をそらすと、板の上に赤とんぼが止まっていました。

今の時期になると、赤とんぼが山の方から下りてくるんですよね。

 

 説明が後の方になりましたが、正式には『大和海軍航空隊大和基地』という名の海軍航空基地でした。通称は『柳本飛行場』。

 戦局が悪化し始めた1943年(昭18年)頃より、来るべき本土決戦に備えての航空基地として建設が開始されたそうです。

四方を山に囲まれた奈良盆地に建設された大規模な航空基地でした。

 計画では主滑走路を含めて4本の滑走路を持つ一大基地となるはずでしたが、完成を迎える前に終戦となりました。

 

http://airfield-search2.blog.so-net.ne.jp/yamato-airfield1←柳本飛行場跡の詳しいことは、空港探索さんを参考にさせて頂きました。

 今回の画像の防空壕は、上記の地図のCとDの場所にあるものです。

場所:奈良県天理市岸田町

最寄りの駅:JR柳本駅  徒歩15分位です

 

 

以前、ここには奈良県教育委員会により、案内板が建てられていました。内容は、この飛行場建設のために多くの朝鮮人が強制連行により連れてこられ働かせられたうえ、朝鮮人女性も強制的に慰安婦として働かせられたという内容の案内板があったらしいです。1995年の設置から19年間設置され、2014年に天理市により撤去されました。

市が撤去を決めたきっかけは、2月ごろから市の意見箱などに寄せられた、説明板に対する批判のメールや電話。強制連行はなかったとして、撤去などを求めるものだった。

今回探訪したときには、案内板ありませんでした。良かった 捏造された物が無くなってよかったですね。

それではこの辺で失礼します。Have a nice time!

 


ラピュタみたいな場所☆大阪・交野市編

2017-11-08 11:26:48 | ラピュタみたいな場所

異次元へ繋がる入口?

ここには最近、本当に人があまり訪れていないみたいです!たどり着くのに草や木をかき分けてたどり着けました(^^♪

岩肌に苔やシダが生えています

倒木にも苔がびっしりと生えています。

 

もののけ姫のシシ神様が現れそうです

 

洞窟の入口にもシダが生えています。

 

 

ところで、ここは何処かというと、戦前に旧帝国日本軍が作った弾薬保管庫予定地跡なんです!なぜ予定地跡かというと、完成前に終戦を迎えてしまったからなのです!弾薬庫としては未使用なのだそうです。

 入口は国道沿いの山すその、藪状態の道なのか藪なのかわかりずらい所から、上に20mほど行ったところにあります!車は道沿いの少し広くなった車が2~3台止めれるくらいスペースに止めました。

 

 それで道路から上に15mぐらい上がったところに洞窟がありました。

この史跡の正式名称は、大阪陸軍造兵廠・枚方製造所 第五製造所地下疎開工場といいます。

 

 

ここが出来るきっかけになったのは、昭和19(1944)年7月ごろ戦況は悪化していて、マリアナ諸島を失陥、米軍による本土空襲の本格化が予測されるなか、政府は地下施設建設、及び航空機産業を中心とした重要軍需工場の疎開を推進する施策を相次いで閣議決定し、各軍需工場では設備の分散疎開、地下工場建設が開始されます。

終戦前の昭和20(1945)年中旬、大阪陸軍造兵廠 枚方製造所は管下にあった第五製造所(爆弾の信管製造)を疎開するため、大阪府北河内郡交野町大字馬場堂(現、交野市私市)に地下工場建設を決定し、労務者約300名を募集し隧道の掘削が始りました。

地下工場は壕口5ヶ所、総延長545m、総面積2,610㎡を計画していましたが、総延長138m、総面積652㎡を建設したところで、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。
壕内は全て支保工のみで進捗率は約20%程度でした。

停戦後、近隣住民により支保工に使用された木材は持ち去られ、現在は崩落が進んでいます。

 

 

 休憩タイム:ゴリエちゃんのHey Mickeyのアメリカ人歌手のSweet California バージョンがあるのでどうぞ!

Sweet California - Hey Mickey (Videoclip Oficial)

 

 

B壕入口です。

入口は、シダや木の枝やつるが覆いかぶさっています。

この感じから最近は来訪者が余り無かったみたいですね

木と落ち葉をかき分けて入ると、奥に続くトンネルがあります。

中は、真っ暗で懐中電灯を照らさないと怖くて入っていけません。

来訪した時は、他に誰も来てなかったので、人気が無く、真っ暗なトンネルの奥に入って行くのは本当に怖かったです。

勇気を出して、中に進むと10mほどで行き止まりになっていました。崩落した跡もなくここで終点みたいです。

一番奥から、入り口の方を見た所です。

すぐには崩れそうではありませんが、将来的には埋もれてなくなるかもしれません。

調べてみると、B壕は、奥行が10mほどしか掘られておらず、一番進捗率の悪い壕なんです。

 

 

B壕から北へ20mほど行くとC壕がありました。

入口付近は、落ち葉でいっぱいです。

近づくと、入り口はわりと大きく高さもあります。

入口の上部分の岩には苔やシダが史跡感を醸し出しています。

足元を見ると、けもののウンチみたいなキノコが生えていました。もう少しで踏んでしまいそうでした(笑)

入口付近から上を見上げた所。

トンネルは、かなり奥の方へ続いています。

12mほど行った所で、振り返り入口付近を撮りました。撮影中、後ろの方が気になります。なんせ奥の方が真っ暗なのでちょっと怖いです。

半分ぐらい進んで、これ以上奥まで行くのを断念しました。実は今朝、夢の中で地震の夢を見たので、洞窟の中にいる時に崩落して中に閉じ込められたらと、無いとは思うのですけど勝手に想像したら怖くなりました。(笑)

入口付近まで来ると安心です。

入口から15mほど入って行きましたが、まだまだ奥の方まで続いているみたいでした。


調べると奥行きは45mあり、壕口から15mの位置の右側に奥行き5m程の横坑、さらに5mの位置の左側に同じく5m程の横坑と5m間隔で左右に3本ずつ、合計6本の横坑があります(総延長73.5m、面積約147㎡)。この史跡の中に入れる中では、一番奥までの距離が長いです。

 

ここには、A壕からE号まであるみたいですが、今回は訪れることが出来ませんでした。ここに来た感想ですが、国道168号の道沿いから山側に入って行くのですが、入る所がわかりづらく、最近、来訪者もなくて、ブッシュ化しています。分け入って12~3m山を上がって行くのですが、草木を分け入っていく感じで、最悪なのが服やズボンに引っ付き虫が、今までに見たことが無い位ついていました。観光向きな場所では無くて、史跡の探求好きな人向きかもしれません。

場所は、大阪府交野市私市9丁目11付近です。

 

それではこの辺で失礼します。Have a nice day!