ガッシュナッツ☆ブログ☆彡

ささいな日常や旅行、史跡、今少しハマっていること+プチ保守

明智光秀ゆかりの地~

2021-02-07 13:41:51 | 史跡

大河ドラマ「麒麟が来る」の主人公の明智光秀が丹波制圧後に褒美として信長からもらった坂本城。現在は公園になっており、憩いの場になっています!

そこから望む景色は、最高で琵琶湖の対岸まで見渡せます。

今回は、坂本城址にある赤い鳥居からカメラを取り出して撮影しました。

対岸まで見渡せ、鳥居の中に見える三角形の山は、近江富士と言われています。

 

ここ大津市坂本から大阪に戻る際、京都・宇治市を通る山越のルートで帰ったので、先々週に行った志津川発電所跡に、少し寄り道をしました。

 

お天気も良くて来てよかったです。

レンガ造りはかっこいい!

 

 

当時は鉄製の給水管が通っていたコンクリート製の土台跡

 

直径は、2.7mぐらいはあります。

 

 

97年の月日を感じさせる風合いです!

 

 

 

 

発電所跡から一番遠くの土台跡

 

この先には、貯水池跡があったところになります。

 

 

上から見るとこんな感じです。足を滑らせたらかなり大変なことになります。

 

貯水池の上から見た所です。一応手摺りはついています。

 

 

今は水があまり無いので、下に降りてみました。

 

 

 

ちょろちょろと流れている水は、このトンネルに流れ込んでいました。発電所とは、別の所にです。

 

奥は真っ暗で、延々と続いているみたいで怖いので奥には行きませんでした。水も流れていたしここまでです。


ハロウィン🎃スタンバイ中

2020-10-04 22:50:22 | 史跡

ハロウィン🎃スタンバイ中

 

朝晩はもちろん最近は日中も、涼しい空気が入り込んで、秋いろがだんだん色濃くなってきました。秋の古城・・・?ではなく、秋の友ヶ島砲台跡の地下にはハロウィンの出番を待っている者たちがいます。

 

それでは、その者たちを探しに行ってみましょう!

 

現在は封鎖されていて人がほとんど立ち寄らない第4砲台跡に向かいます。

 

 

鬱蒼と生い茂る木々の中を進んでいくと円形状の史跡が目に入ってきます。建物の周囲のアプローチ通路を進んでいくと地下に通ずる入口があります。

 

落ち葉や木々の生え方から見ると、最近ここに踏み入れた人はいないように見えます。そして入口に突入。中に入るとらせん状の下に降りて行く階段がありました。

 

中は本当に真っ暗で灯りが無いと何も見えません。内部はレンガ造りの構造です。

デザインや構造的に見ても昔の日本人のセンスの良さと技術の高さが見て取れます。

 

 

何も見えない漆黒の暗闇の中をさらに下に降りて行きます。物音ひとつない暗闇の地下空間は、さすがに怖いです。懐中電灯を消すと10CM先も見えません。

 

 

螺旋階段を奥に進む前に入口付近を確認。これより下に行くと光が届かず真っ暗な地下空間です。

 

 

2フロワー分位の距離を降りて行くと地下の空間にたどり着きました。この地下空間はかなり奥に続いているみたいで天井がアーチ状になっている通路というかトンネルみたいな空間がずーと続いています。さすがにさらに奥の方は、入り口からさらに離れていきますし、真っ暗なのでかなり及び腰になりました。道順も記憶しなければなりませんし、携帯ライトが電池切れで切れてしまったら、かなりパニックってしまうでしょう。

 

 

 

ちょっとビビりながらさらに奥に行くと、天井にコウモリを発見。天井にぶら下がっているコウモリをまじかで見たのは初めてです。警戒して跳び回らないか心配です!出来るだけ足音をたてずに歩きました。

 

 

さらに奥に行くと、少し大きなコウモリが天井にぶら下がっていました。ボスでしょうか?外はまだ日が昇っています。昨晩のハロウィンに向けての練習で疲れているのか、この時間帯は彼らの就寝時間なのかもわかりませんが、天井にぶら下がって活動への出待ち状態の様でした。

 

 

 

日が暮れてからは、さすがにここに入る勇気はありませんが、かなりのドキドキ感があって面白かったです。それでは、みなさん Have a nice day.


朽ちたブリキ樋

2019-12-27 14:24:24 | 史跡

100年近く雨風にさらされて錆びてほとんどが朽ち落ちてしまったが、かろうじて残ったブリキ製の樋です。ラピュタみたいな場所で有名な友ヶ島第2砲台の中の変電所跡の建物です。

 

 

2年ほど足を運んでいないし、また別なレンズで撮りに行きたいです!


史跡巡り☆京都☆伏見区を行く

2018-01-10 21:09:14 | 史跡

かつて京都伏見には,陸軍第十六師団司令部がおかれ,軍都として栄えた深草一帯には,今でも戦争遺跡が残されています。

 現在の京都聖母女学院本館は,1908年(明治41年),日露戦争後に編成された陸軍第十六師団司令部庁舎として建設されたものでした。

クリスマスバージョンの正門

正門横には教会があります。

 

「師団橋」橋脚の陸軍☆マーク

第2軍道沿いにあるこの橋の名前は第2師団橋です。

陸軍のマークは当時「五芒星☆」といわれていました。

場所:伏見区深草野田付近

橋のたもとにある師団橋と書いた石柱。

橋の付近にはこのような石柱が多数残されています。石柱には文字等は刻まれていませんが、これらもおそらく軍道の石柱だったと思います。

星でないマークもあります。

 

 京都憲兵隊跡地

現在は伏見税務署として使用されています。

 

場所:伏見税務署の南西の角

 

本町通の「軍人湯」看板

 

名前の由来は、今でも師団街道、第一軍道、第二軍道という名前が残っている通り,伏見の周辺は戦前は軍都でした。そして、付近にある現在の聖母女学院本館はかつて「第16師団本部司令部」があったり、京都教育大学は京都連隊区司令部などが置かれた跡地で、国立京都病院陸軍病院深草中学騎兵第20連隊龍谷大学兵器庫及び火薬庫青少年科学センター野砲兵第22連隊といった具合に、大きな敷地はほとんど軍関係の施設だったそうです。なので当時の軍人たちが汗を流した銭湯=軍人湯ということです。

 

 

陸軍第十六師団

陸軍省所在地標

場所:伏見区大亀万帖敷町

 

それではこの辺で失礼します。  Have a nice time!