史跡・廃墟探索
京都府宇治市・志津川発電所跡編
コロナウイルスが拡大し、その対応で追われた2020年。年が明け、1月中頃に京都府宇治市の発電所跡に行ってきました。ダムの左側にあるレンガ造りの建物が、目的地の志津川発電所跡です。発電所は、宇治川沿いに建てられ、現在も建物と貯水池跡と水路跡が残っています。
*左側手前のレンガ造りの建物が旧志津川発電所跡。奥に見えるダムが天ケ瀬ダム
いつ頃作られた物なのか?
それは大正時代に関西圏の都市化に伴う電力供給源として大正13年(1924年)に建設され、所有者は、宇治川電機(株)でした。宇治川電気とは、かつて日本に存在していた電力会社。太平洋戦争以前の日本における大手「五大電力」(東邦電力、東京電灯、大同電力、宇治川電気、日本電力)の一つで、近畿地方を拠点としていました。略称は宇治電(うじでん)。現存する大手電力会社の関西電力を構成する前身となった企業の一つです。
[長年の年月の風合いを感じさせるレンガ調の建物]
日本初のダム水路式発電所
発電所とダムはセットで建設され、発電所から少し上流の所に、志津川ダム(大峯ダム/現在は天ケ瀬ダムの貯水で水没)がありました。そこから山沿いのルートを通って貯水池まで水を引き、貯めた水を高低差を利用する方法で鉄製水路管に水を流して込んで発電所に送り込み、立軸単輪単流フランシス水車を回して発電をしていました。これにより運用開始当時は、28000KWを発電していました。これと同時期に岐阜県の大井ダム・大井発電所も建設されています。
今も残る発電所と貯水池の間にあった鉄製の水路管の土台跡
古代遺跡にでも来たような感じで、どの構造物を写真に収めてもいい絵になりなります。
発電所は1964年(昭和39年)に稼働停止
残念ながら、志津川発電所は稼働から40年目に廃止されました。それは発電所の上流に天ケ瀬ダムが出来たため、志津川ダム(大峯ダム)は水没する形になり、昭和39年(1964年)に稼働停止されました。その後、利用されていませんでしたが、昭和47年(1972年)から建設コンサルタント会社のニュージェック(株)という会社が水理実験所として貸りて使用していましたが、現在は使われておらず、関西電力(株)の所有になっています。
筒状や半円型のコンクリート製の土台跡
わが国初のコンクリートダム
明治後期から急増していった電力需要に対し、各地で水力発電やダム建設が盛んになってきます。そんな中、関西地域の京都では、宇治川電機(株)によってダムと発電所工事が発注され鹿島建設が施工しました。これを機に「ダムの鹿島」としての第一歩を踏み出すことになって行くのです。
*日本初のコンクリート高堰堤・大峯ダム(1924年,京都府)。1964年の天ヶ瀬ダム建設で水没
宇治川に架かる橋の上から見た所
周辺では工事をやっていて、入り口に門はあるのですが、いつも開いているみたいで、来訪当日も建設業者と警備員がいましたが、建物の前を通って写真を何枚か撮って素通りして奥の水路管跡や貯水池の方に行っても何も言われませんでした。ただ、危ない場所なので、ケガとかしても自己責任になると思います。(たまたま、大丈夫だったのかもしれないので、行くのは余りお勧めできません!)
発電所跡の裏側の山道を上がって行くと、コンクリート出来た史跡物が見えてきました。
少し上から見た所です。
貯水池からは、3本の鉄製の水路管が水を発電所に送り込んでいたらしいです!
今では、鉄製の水路管は無くなっていて、コンクリート製の土台のみが残っています。
大きな筒状でかなり大口径です。2.5mありそうです!
どれもこれも最高です!史跡好きにはたまらない場所です。
このトンネルは、発電所の地下の方へ伸びています。奥の方はふさがっていました。実際は中は真っ暗で怖くて不気味です。
地下に行くトンネルの入り口付近を別の場所から見た所。
*この時は、真冬で居なかったけど、春先から秋にかけてはマムシが居そうな場所ですので、気を付けて行ってくださいね!
山道を上がって行くと、階段があって貯水池にたどり着きました。
貯水池跡
志津川ダム(大峯ダム)から引いた水をいったんここに溜めて、その後、水路管に流し込み発電所に送って発電させていました。現在は、水は無く草木が生えて荒れた状態になっています。
ここも、上から見ると7~8mぐらいの高さがあって足を滑らすと危険な場所ですので、立ち入り禁止になっています。写真を何枚か撮りましたがお勧めは出来ません!
最後に、京都府宇治市は昨年6月に、宇治川の天ケ瀬ダム一帯を同市の新たな観光拠点にするため、周辺にある旧志津川発電所や天ケ瀬森林公園、旧ガーデンズ天ケ瀬跡地の3カ所を一体的に活用した官民連携事業の実現性を調査した結果を公表した。一部民間事業者から、2024年に築100年を迎える同発電所をリノベーションして空き地にホテルを設置するなど、参画意向があった。市は今後、実際に事業化できるかを施設所有者らと協議して判断する。と言うコメントを出しています。
一部民間事業者の構想により検討されているようです
赤れんがの外観を持つ旧志津川発電所は1924(大正13)年に開業したが、64(昭和39)年に天ケ瀬ダム供用開始とともに利用を停止し、関西電力が所有している。
調査では民間事業者の開発意向を聞き取ったところ、空いた敷地に客室80室程度のホテルを建て、旧発電所の一部をホテルのロビーやレストランに改修できるとの考えが示されたとあります。
もしホテルやレストランが造られるとなると、97年前に造られた水路管の土台跡や貯水池などは撤去されてなくなるかもしれません。長い間、あまり人目に付かず残ってきた過去の産業遺跡が無くなってしまうのは、大変残念です。近い将来、見られなくなってしまうかもしれませんね!