昭和39年(1964年)に木材の輸入が全面自由化されると、国産材に比べて安い外国産の木材の需要が高まり、国産材の利用は急激に減少した。
1975年(昭和50年)代には変動相場制になり、さらには円高も進み、その影響で国産材の価格が下落、木材自由化で日本の林業経営が厳しいものとなった。
この自由化は日米繊維摩擦に続く貿易摩擦問題で、日本の高度成長の絶頂時期に始まったわけだが、オートバイ・家電製品やのちの自動車輸出の増大に伴うバーター取引で、日本が受け入れた貿易自由化の最初の方向転換であった。
かつては戦後復興の大号令のもと多額の補助金を投入して植林が行われ、手厚い保護が国策ともなっていたはずだった。しかし風向きが変わり輸入材の無制限の流入を許す結果となった。
つまり、林業は日本の工業製品輸出奨励のための最初の犠牲者ともいえる身で、林業関係者にとっては斜陽産業まっしらを決定づける悪夢だった。
その当時、与党自民党でも農村票だったらそんなことはありえなかったが、悲しいことに大した票にならない林業業界は無視しても構わない存在だった。最近のTPP問題も基本的には共通するものがある。
そんな事をいっても、何代にもわたって育て残した山林を荒廃させるのは忍びなく、管理するための最低限の仕事として作業道の整備(草刈りや排水路の整備など)は欠かせない。放置すれば作業道は草木が茂って歩けなくなり管理ができず、積雪地のための雪害による倒木処理や下刈り・除伐・間伐も必要。
サンデー林家なのでとても一人では手に負えるものではないが、気分転換・ストレスの解消の意味も含めて地味にやっています。ただし、単独作業はいつも危険が伴うため細心の注意も必要で、山登りで自然と身に着けた感も何か役立っているような気もする。