東北アルパインスキー日誌 ブログ

東北南部の山での山スキー、山歩き、山釣りなどと共に、田舎暮らしなどの話を交えながら綴っています。

東日本大震災 仙台港・蒲生地区(仙台市宮城野区)の被害 2011.03.27

2011年03月27日 | 東日本大震災
今日の日曜日は田舎の山形へ雪かきに行きたかったけれども、ガソリンが不足して帰りがおぼつかないないようなので諦めた。最近はまとまった雪は降らないようになったが、思うように雪かきができないらしく、家の周りは屋根から落ちた雪に囲われているらしい。

そこで、ガソリンスタンドに並んだ後に少し足を延ばし、宮城野区の仙台港と蒲生地区に足を延ばしてみた。仙台市内から東に産業道路を進み、津波に襲われて被害の及んだ多賀城市を通過し、明月あたりから右折して仙台港方面を目指した。

仙台ガス局の港工場のあるあたりから流されて残骸となった車が多くなり、港に近づくに従ってその被害は多くなってゆく。大きな倉庫群に近づくと建物の被害は大きく、1Fから2Fにかけて津波が押し寄せた様子が伺え、多くの荷物が散乱して周りは破壊しつくされていた。

貨物の引き込み線は枕木が外れてレールも曲がり、流されてひっくり返った大型トレーラーと共に想像を絶するような光景が広がる。

倉庫の中には火災が発生したり、車に引火して黒く焼け焦げた残骸が山となり、見た事はありませんがまるでどこかよその国の戦場のようにも思える。

しかし、復旧に向けた努力はあちこちにみられ、道路の障害物は殆ど除去されて通行は確保され、全国各地から集まったと思われる電気工事関係の車両や、ようやく確保した重機を使っての除去作業が進んでいた。

仙台港から海岸沿いに道路を南下して蒲生地区を目指すと、橋の途中で警察官の指示があって右に大きく迂回し、産業道路に戻って再び目的地を目指した。

産業道路から東に500mも進むと田んぼや住宅地は泥だらけとなり、海岸から500mほどになると周りはすっかり住宅が流され、広大な泥の海と化していた。美しかった田園地帯の面影はみじんもなく、泥と乾いた土にまみれた人間の暮らしを拒絶するような世界見思えた。

この蒲生地区を訪れた目的は、昨年の9月に住宅の塗り替えをさせて頂いたお客様を訪れることだった。探し当てたお宅は幸い床下浸水で済んだ様で、比較的明るい様子で後片付けされている様子で安心しました。

この泥と土埃の中を率先して作業しているのが自衛隊の皆さんで、泥につかりながらも一つ一つ手作業で行っています。どんな困難な任務でも命令ひとつで現地に赴く方々に、日本国民の一人として深く感謝いたします。



























コメント (4)
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