地理試験廃止

2024-05-15 16:13:09 | 定款規約

令和6年5月1日に国土交通省からの通達が出ました。

個人タクシー試験から地理試験が廃止されました。

10年の経験と、3年間無事故無違反があれば個人タクシーの試験を受験出来るようになりました。


地獄地蔵 三条寺町上がる東側、矢田寺内

2021-10-07 16:09:35 | 全京よもや話
別名、生身地蔵、奈良時代末期、満慶上人という人が、
世の多くの人たちの苦しみを身代わりをしている坊さんを見て、
その坊さんの生き写しを刻み地蔵として祭った。

足抜け地蔵  大宮、寺ノ内東入南側初めの路地下がって突き当り右、

2021-10-07 16:03:40 | 全京よもや話
江戸末期、島原遊郭にあってが、ある女郎が夜にこっそり
廓を抜け出し背中に背負って一里半の西陣灰屋路地までの
彼氏の家まで逃げ帰った以後、灰屋長屋の守り神となる。

矢取地蔵尊 九条通り、羅城門跡北側

2021-09-07 16:29:46 | 全京よもや話
弘法さんの、お命を守ったお地蔵さん、
今でもその右肩に矢傷の跡がの残っていると言われる、
石造座像五尺の大きな地蔵尊。

鯉地蔵・新京極、蛸薬師の妙心寺

2021-09-07 16:21:41 | 全京よもや話
お地蔵さんがコイに姿を変えて親孝行の僧を助けたその昔、
この寺に親孝行な僧がいて、ある時病母の求めに応じてタコを
買ってきた、僧の身で生魚を買うのを、怪しんだ人達が、この層を
取り押さえて無理に箱を押し明けた所、箱の中にあったのはタコでなく
薬師経。この霊験をたたえて「蛸薬師」と呼ぶようになった。

尼ケ池身代わり地蔵 (六軒町三条下がる一筋目西入北側・福田寺内(朱雀院跡))

2021-09-07 16:16:43 | 全京よもや話
不気味な首のない地蔵

融通さん(ゆうつう)福勝寺 千本、出水西入北側

2021-07-20 16:11:17 | 全京よもや話
弘法大師が開創。別名ひょうたん寺
金銀財宝、融通無碍の秘玉。この玉を拝めば
金銀財宝に恵まれ貧苦が福徳に七難が七福にてんずる、
2月3日節分、一年一度しか門を開けない。

星見地蔵(ほしみ)御前一条下る、すぐ西側 西雲寺内

2021-07-20 16:03:21 | 全京よもや話
弘法大使の母が彫り上げた地蔵尊で歯塚地蔵とも言う
60cm余りで本堂のわきに祭られている。
明けの明星をあおいだ柔和な地蔵さんは全国にも比類がない。

弁慶石(べんけいいし) 麩屋町三条東入る 北側

2021-06-22 14:10:56 | 全京よもや話
「男の子がさわれば、力持ちになる」火魔、病魔の厄除け、
その昔、弁慶が力が強くて五条大橋から投げたら約2.5K離れた、
この地まで飛んできた、又、比叡山から弁慶が投げたという話もある。   


花車(はなぐるま)室町幕府三代将軍、

2021-06-22 13:48:54 | 全京よもや話
足利義満が、絢爛たる花車に乗って北山殿に向かう途中
千本寺ノ内にさしかかった所で花車が破損、代わりの車を
取り寄せた。「車輪の壊れたくるまなど放っておけ、そっくりこの町
に与えるがよい」で千本寺ノ内下がるが(花車町)の由来、車輪は
現在千本釈迦堂あり、正しくは大報恩寺の本堂は現在現存する
市内最古の鎌倉初期の遺構として国宝に指定されている。

お首地蔵(白梅町東一筋目上がる初めての十字路の東北角)

2021-05-24 12:36:21 | 全京よもや話
辻斬を追い払う為に、お祀りした三体の地蔵、人々の身代わりに切られた跡が残る、首から上の病に霊験あらたか。

濡髪堂(ぬれがみどう)知恩院山内

2021-05-24 12:28:30 | 全京よもや話
知恩院塔頭の一つ勢至堂の墓地にある雨にぬれて説教を聞きに来た
童子をしのぶいみの、濡髪大明神。
濡れ場をまとめる神様、すなわち縁結びの神様。

登天石(とてんいし)堀川鞍馬口下がる東側

2021-05-14 15:32:17 | 全京よもや話
祭神は菅原道真で水天満宮の片隅にある菅公ゆかりの石。
この地は道真の師である天台の僧・法正尊意僧正の屋敷跡といわれる、
道真の死後法正坊が愛弟子、道真の霊を弔うのに自宅に持ち帰った石といわれる。

鬼門の猿 京都御所内、北東角の築地堀

2021-05-14 15:19:51 | 全京よもや話
寛政2年1790年、光格天皇が再建時、築地堀が都の鬼門に当たるので
日吉山王神社の使いの木彫りの猿を鎮護のために置いたところが、
どうした事か夜な夜な抜け出してはキャキャ大声上げて人々に、
いたずらするので、出られないように金網を張るとピタリと止まった。
この場所を猿ケ辻と呼ぶ。



崇徳地蔵(人食い地蔵)聖護院、御殿境内の東側

2021-04-08 15:54:05 | 全京よもや話
保元の乱(1156年)讃岐の国に配流の身となった崇徳上皇のすさまじい、恨みつらみの霊
を慰める地蔵、「すとくいん」が、‘ひとくい、と発音が似ているせいか「人食い地蔵」と呼ばれる。
  今では、無病息災の地蔵様です。