3月に入りまして寒い日、暖かい日、雨降りコロコロ変わる不安定の毎日、
なにか現在の風潮を示しているように思えてなりませんが、
このように感じるのは私だけでしょうか?
さて、今まで色々グダグダ書いてきましたが、
今日は、いよいよお寺の中へ入っていきましょう。

今ある芬陀院は、江戸時代に燃えました後に、
桃園天皇の奥さん恭礼門院の里御殿を
ここへ移築されたものであると聞いています。
まさに書院建築と申しましょうか、
上の間と下の間に分かれているのが、正式な書院建築であるとのことですが、
下の間には人物画が大きく描かれ、
ところが上の間には人物画はほとんど描かれていません。
そして招待されてもこの敷居から上へは行かれず、
下の間の天井は平天井で上の間は格天井であり、
格を作ることによって格を出ています。
そして障壁画にはこのような蓬莱山が描かれ
舟や人はホンマに小さく描かれております。
また付け書院は実は明り取りなんでしょうね。
そして床の間、違い棚となる。書院床の特徴は床框を両面削って黒く塗る。
そして床の間は畳が入る。壁は貼り付け壁で絵が描かれる。
これが正式な書院であるんでしょうね。
また違い棚は右上がりになっているが、
終戦までは天皇に関係あるところしか使われなかった。
我々は左上がりになる。
終戦後は右上がり左上がり関係なくなりましたが、
正式な格のある特に天皇に関係のある門跡寺院へいくと右上がりになる。
さて次回はいよいよお茶室に入っていきたいと思います。
その前に妙喜庵の待庵を見たいですね。
待庵は千利休が40ぐらいお茶室を作ったと思いますが、
その中で利休が唯一作ったと認められる遺構だと思う。
待庵の空間は畳2畳の極小の空間である。
その畳2畳の極小の空間の中にものすごく光を抑制している。
光を薄暗くしてその中でものすごくセイシン性の高いお茶を飲んでいた。
それワビの世界であると思う。
しかし貴族の世界ではそんな薄暗さには耐えられないと思うわけです。
其の辺のところを次回書いてみます。
ただ今京都北野天満宮、城南宮の梅は満開らしいです。
いよいよ京都の春満開シーズンがやってきました。
冬の花灯路も始まっています。
我々でんでんむしタクシーも皆様方を歓迎する用意は万端です。
まずはお電話を!!