芬陀院5

2015-03-10 16:51:07 | 全京よもや話

3月に入りまして寒い日、暖かい日、雨降りコロコロ変わる不安定の毎日、

なにか現在の風潮を示しているように思えてなりませんが、

このように感じるのは私だけでしょうか?


さて、今まで色々グダグダ書いてきましたが、

今日は、いよいよお寺の中へ入っていきましょう。




今ある芬陀院は、江戸時代に燃えました後に、

桃園天皇の奥さん恭礼門院の里御殿を

ここへ移築されたものであると聞いています。



まさに書院建築と申しましょうか、

上の間と下の間に分かれているのが、正式な書院建築であるとのことですが、

下の間には人物画が大きく描かれ、

ところが上の間には人物画はほとんど描かれていません。


そして招待されてもこの敷居から上へは行かれず、

下の間の天井は平天井で上の間は格天井であり、

格を作ることによって格を出ています。


そして障壁画にはこのような蓬莱山が描かれ

舟や人はホンマに小さく描かれております。

また付け書院は実は明り取りなんでしょうね。

そして床の間、違い棚となる。書院床の特徴は床框を両面削って黒く塗る。

そして床の間は畳が入る。壁は貼り付け壁で絵が描かれる。

これが正式な書院であるんでしょうね。

また違い棚は右上がりになっているが、

終戦までは天皇に関係あるところしか使われなかった。

我々は左上がりになる。

終戦後は右上がり左上がり関係なくなりましたが、

正式な格のある特に天皇に関係のある門跡寺院へいくと右上がりになる。


さて次回はいよいよお茶室に入っていきたいと思います。

その前に妙喜庵の待庵を見たいですね。

待庵は千利休が40ぐらいお茶室を作ったと思いますが、

その中で利休が唯一作ったと認められる遺構だと思う。

待庵の空間は畳2畳の極小の空間である。

その畳2畳の極小の空間の中にものすごく光を抑制している。

光を薄暗くしてその中でものすごくセイシン性の高いお茶を飲んでいた。

それワビの世界であると思う。

しかし貴族の世界ではそんな薄暗さには耐えられないと思うわけです。

其の辺のところを次回書いてみます。


ただ今京都北野天満宮、城南宮の梅は満開らしいです。

いよいよ京都の春満開シーズンがやってきました。

冬の花灯路も始まっています。

我々でんでんむしタクシーも皆様方を歓迎する用意は万端です。

まずはお電話を!!

芬陀院4

2015-03-03 15:37:09 | 全京よもや話
男前のでんでんむしでーす

早いもので今年も3月です。3月と言えばでんでん虫の誕生日だよ!別に何も

いらないですよ!!

ところで方丈とは現在では本堂に当たるようである。

鎌倉、室町あたりまではお坊さんのお住まいとして、建てられたようですね。

お坊さんのお住まいは一丈四方(四畳半ぐらいの広さ)ぐらいの大きさで良い

と言われていたようである。従って一丈四方を略して方丈と言われたらしい。

方丈の間は普通6つの間が有り、仏間、実中の間、旦那の間等があります。後

三つは思い出せませんが、昔檀家さんが志納金等を持参された時受け取る部屋

が檀家の間から旦那の間と呼ばれるようになったと言うお話でございます。

旦那はお金を稼ぐ人だからね!


さてそれでは前回の続きと行きましょうか。

禅宗の基本になるのは座禅ですが、禅宗のお寺ではお釈迦が信仰の対象になる。

だから我々の言う仏教というのは釈迦如来が頂点に立っている。だから釈迦は

人間でありながらただ一人消化した人である。ここで消化という表現しました

がすなわち佛になられたということである。

なんか書いていてもピントがずれるような感じでもう止めようかな?

だから我々も一生懸命努力すれば心の中にある、仏性を掴み取ることができる

かもわからん。こういった求道の道を解いていったのが座禅であるというのだ

ろう。だから座禅の寺では心外無仏である。心の外には仏なんてないんですよ。

心の中に仏の姿を浮かび上がらす座禅、だからこれを本堂にしていったらよい

のである。

それに対して亀島は我々に対して禅の真髄をぶっつけたということ。では真髄

とは何か。知足である。よくどこかに出てきますね!!

(これが亀島です。)

だから皆さんで座禅を組んでこの正面にある8個から成り立っている鶴島、と

ころが7個しか見えない。その見えない石を皆さんの心の眼で捉えて欲しい。

心眼で捉えましょうということです。

(これが鶴島です。)

見えない石を心眼で捉えられた方はどうなるか、当然この方は経済的に苦しい

が心は豊かで禅の悟りを開けたとなるが、この1個の持っている石の意味はそ

ういうことではなく、1個の意思を隠すことによってそんなに完全な人間なん

てありえないんですよ。全部見えることはないんですよという事。だから皆が

生きていく上に置いて、7、8分の力で生きなさいという事。2、3分のしょう

もない欲を持っているから生きにくいんですよと言う事。そういった意味のこ

とを昔の人が残してくれたのがこの石組である。

だから全ての欲を捨てよと言ったのが釈迦如来である。

しかしながら人間はすべての欲を捨てることができない。すべての欲を捨てる

ときは亡くなる時である。


何かややこしくなってきましたね、この辺にして次回は寺の説明に入っていきます。乞うご期待を!!

ところで3月1日寛平マラソン雨の中走りました。どろんこになっちゃいました!!

枚方淀川河川敷から9時スタートでしたが、

最初は順調でしたが雨で思うように走れずおまけにスタート地点で20分遅れでした。

半分で(21キロ)関門に引っかかり残念ながら走れませんでした。

天気が良ければ完走できたのに残念無念でした。

次回は頑張ります。