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清水寺3

仁王門はお寺の門でしょうね。

大体仁王門の中に金剛力士像を配置しています。阿形の密遮金剛、吽形の那羅延金剛を総称して金剛力士と言っています。

では何のために置いてあるかというと、さて何でしょうかね。

それはこの寺の中にはこんな強い大きな人が居るんやから、ここから先はたちの悪いものは入れないぞ。入るなら心して入らないといけませんよ。

と言うような感じでしょうかね。

  しかし仁王さんを作る予算のないお寺もたくさんあると思います。そのような時には門に大きなワラジを置いている場合があります。

  草鞋を置いておくと、この中にはこんな大きな草鞋をはく、すごい人が居るんだなと思うでしょうね。


また仁王門の南側に西門があります。あまり意味のないように見えますが、このあたりの下の方に御所が見えるから、

おそれおおいという意味で作ったと言われる目隠し門でしょうか。




拝観料売り場のところに轟門があったが、先日清水へ久しぶりに行った時ころっと様相が変わっていました。

そうです。解体工事のようでした。轟門ではなくおどろきでした。

とにかく工事中の為見られなかったところがありました。

例へば轟門の前にあったお手を清める場所、龍水。仏足石のようなもの。川がないのにある橋等今現在無かったので少し省きます。



では一気に本堂の方へ行きましょうか。

本堂に入る前に出世大黒さんがおられます。

まさに正面から見れば大黒さんです。しかし後ろから見れば男性の一物である。これが密教の世界で有るんですよ。

今度清水へ行かれたら一度裏側から見てくださいませ。


出世大黒さんの手前の本堂の壁に横柱が通っています。その柱には凹んだ跡のような溝が入っています。

これはここは目の悪い方がお百度参りをされます。お百度参りされる方は100本の竹のへらを持っています。

目が見えないから頼りになるのはこの柱で、へらを当ててそしてまわる。そういった名残でぐるりを巻いています。

ここでお祈りして治った人が寄贈したのが、この鉄の錫杖と下駄でしょうね。


さあ舞台に出てきましたね。

飛び降りたつもりで、、、、、、というお話が昔からありましたが、この舞台で本当に飛び降りされた方がありましたでしょうか。

いやあ!驚きました。実はあったんですよ。

 京都における観音信仰の中心は清水でした。

今はほとんど観光される方が清水を訪れます。昔は信仰の人だけが集まってきました。

その信仰が崩れたらどうなるか。この高い舞台から飛び降りたらどうなるか、今までの信仰の力で助けてもらえるのか、

それとも死ぬのか確かめたい。勇気のある人は飛び降りた。

しかし当時は下は土で、木もたくさんあり木のクッションで助かった。

だが運の悪い人もありました。ここまで死まで賭けてどうなのか、助かればそれだけ信仰がある。

助からなければその時点で南方にある、補陀落浄土へ行けるという気持ちがあったんでしょうか。

大体南の方向は弥勒浄土の世界が一般的ですが、観音の浄土の世界(補陀洛)も南方と言われています。

本堂の中は次回です。1週間後か2週間後で掲載します。

       乞うご期待ください。
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京都市文化財指定栗原邸

5月24日日曜日京都市文化財指定の栗原邸へいってきました。

栗原さんは小栗栖にて開業医をしておられます(ちなみに今住まわれてるところは違うところです)。

小生は栗原先生に毎月一回見てもらっています。その関係で山科御陵の栗原邸へ拝観に行きました。


地下鉄御陵駅で降りまして2番出口から出て、左へ行くとすぐ左へ行く道があります。

左へ行って突き当たり右側に栗原邸があります。
      
                 栗原邸を横から見たところ  



今日は栗原先生がおられて一応挨拶しました。

14時から約一時間説明(栗原邸保存研究会)が入り非常に良かった。
      
     
                   栗原邸の玄関

まだ見ておられない方は

5月30、31日が最後ですからぜひ見に行って下さいませ。

栗原邸は1929年に京都高等工芸学校(現京都工芸繊維大学)教授で建築家の本野精吾の設計により、

同校校長で染色家の鶴巻鶴一の邸宅として竣工したものです。

当時の特殊なコンクリートブロックで建てられた、合理性を追及したモダニズム建築です。

一度来週の土、日、に行かれたら如何でしょうか。
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清水寺2

仁王門の前まで来られると少し左を見ていただくと現在では駐車場、

昔は足として馬を使われていたので馬駐(重要文化財 ウマトドメ)があります。

この馬駐の中の金具が皆たてなのにひとつだけ横になっている。

これは多分まだ未完成である。いやわざと未完成にしてあると思う。

未完成ということは完成しているわけではないので、こわれない、つぶれない、破壊しない、ただただ成長するという意味が込められていると思います。

ほかの寺院でもよく見られる部分があります。


仁王門の前に狛犬があります。

普通お寺の中には狛犬は見られない。要するに神社のものである。

 
昔は神仏混合であった。それが明治になって神仏分離令がでた。寺は寺、神は神と分ける。

日本はもともと神の国やから原点に戻ろうと言う事でしょうね。

不必要な仏像や、仏壇なんか要らないから燃やしてしまえと言うように、


神仏分離令と共に廃仏毀釈という条令が作られた。

これでもってお寺は抑圧されていく。

すたれていったり、つぶれたりする中で売り買いが始まる。食べて行く為には宝物が需要文化財が流出していく。

仕方のないことであるが、この現象を懸念したのが岡倉天心である。

この流出を防ぐ為に岡倉天心は、資金がないために哲学者フエノロサにお願いする。

フェノロサは当時東京大学の講師として招かれていました。

しかしながらこのような重要文化財の高額なものを買い取る資金がないため、どうしたかと言うと、

アメリカのボストン美術館に頼んだ。

美術館ではこちらから資金を出すからみんなで買えば良いというので、ピゴラ博士が資金を持ってきて、

フェノロサと岡倉天心の三人で重要なものを買いあさった。

それがボストンでは70000点、メトロポリタンでは30000点ほどあるらしい。

しかしながらこれらを日本から持ち出すにあたって、朝廷と文部省に買った値段と同じ額で売るから買って欲しいと通達を出しています。

持ち出すものが日本人の血と汗の結晶であって、このようなものを持ち出すのはしのび難い。

しかしながら政府の返事は買わないというつれない返事だったらしい。

日本においてはその後大東亜戦争等でほとんど焼けました。外へ持ち出されたほうが良かったかもわからないね。

(京都、滋賀、奈良は残っています)

ボストンではちゃんと管理されており逆輸入のような形で、日本で展示されることがあります。


話が清水寺から大分それましたが、狛犬の「あ」は右側で「ん」は左です。

しかし清水寺はどちらも「あ」ですね。

これは一日を楽しく暮らしましょう。の意味で、一日を泣いて暮らすも、笑って暮らすも一緒じゃないか。

だったら笑って暮らそうと物事をいい方向に取って暮らそうと言う意味である。

この坂を男坂、向こう側が女坂である。

男坂を登ると仁王門があります。

仁王門は次回にします。乞うご期待。


     後清水3へ続きます。2週間後です。

  ところどころ思い出しながら書いていますのでこのブロクに関し意見があればお待ちしています。いわちゃんより。
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