清水寺No.1
大変お待たせしました。
皆さんからの要望がなかったので、予定どうり清水寺の事を独断と偏見で書いていきます。
清水寺は西国16番札所で全国からたくさんの方がお参りに来られます。
筆者も朱印を受けるために何回か参拝しております。
さて前置きはこれぐらいにして話を進めてまいりましょう。
まず清水寺は音羽山北観音寺といいます。境内から清い水が湧いたところから通称清水寺と言われたんですよ。
このお寺は平安京以前にさかのぼります。平安京が成立する前に延鎭(えんちん)によってここに一つのお堂が作られる。
それを応援したのが坂上田村麻呂である。
そしていろいろな伽藍が出来て行きましたが、応仁の乱でことごとく焼かれ現存しているものは室町時代末期のものである。
その後江戸時代に舞台が作られた。
さて清水に入っていく前に大変な坂を上っていかなければなりません。
坂を上がるうえに向こうの方にお寺が見えると、
あそこまで登って行かんなあかんのかとため息が出て、いっぺんに疲れが出てしまいます。
そこで参道が曲がっていると先が見えないからゆっくり進めます。気分的なものでございますね。

今ではお店もたくさんあるから知らん間に到着できます。
そんな時ふっと屋根の上を見ると小さな仏が乗っています。
これは狭い通路をはさんで向き合っている家どうしのあいだで、玄関を開けると顔を合わします。
そんな時お互いにご挨拶をします。
そのようにお互いにむつかしくならないように、いつまでもご機嫌に暮らせるようにと願う佛さんです。
この佛さんのことを私は昔から人づてに頭に残っているのが{ひょうきんさん}と耳に残っているんです。

このようにいろいろ考えながらゆっくり見ながら進めばすぐ赤門(仁王門)が見えてきます。
赤門の手前左側に首振り地蔵があります。
その昔祇園に鳥羽八という太鼓持ち(ピエロのような立場の方)が居りました。
舞妓が踊る前とか場を持つあいだに太鼓持ちが接待するそうな。
その太鼓持ちの鳥羽八がこの石仏を作り、お客さんがたくさん来てくれる方向に向けて置いていたのを、
鳥羽八が亡くなってから屋敷にあったものを、ここに置かれるようになったらしい。
では何故この鳥羽八という石仏を作ったのか? それは多分
江戸方面からたくさんの人が来てくれるので、いちいち頭を下げるより東に向けて置いておけば挨拶替わりになると考えたのでしょうか?
頭はちょんまげスタイル、手には扇子を持っています。面白いですね。どなたさんかが前掛けを作ってくれましたね。
この石仏は二代目で初代は奥に居はります

この首振り地蔵の後ろのお寺は善光寺です。
善光寺と言へば今年長野の善光寺さんは御開帳の年です。
私ごとではありますが5月2日に行ってまいりました。2日の午前1時頃につきました。
ホテルに泊まるわけには行かず、門前の駐車場に入り車の中で仮眠しました。
5時半頃から御開帳ということで安心して5時過ぎに門の中に入っていくと、何と言うことでしょうか。
すでにたくさんの方でびっくりしました。せっかく早く行ったのになんにもならなかった。
後悔しても後の祭りだす。みなさん行かれる時の参考にしてください。
まあとにかく善光寺型阿弥陀三尊はしっかり拝見してまいりました。
清水寺の続きは2週間後とします。乞うお楽しみに。
皆さんからの要望がなかったので、予定どうり清水寺の事を独断と偏見で書いていきます。
清水寺は西国16番札所で全国からたくさんの方がお参りに来られます。
筆者も朱印を受けるために何回か参拝しております。
さて前置きはこれぐらいにして話を進めてまいりましょう。
まず清水寺は音羽山北観音寺といいます。境内から清い水が湧いたところから通称清水寺と言われたんですよ。
このお寺は平安京以前にさかのぼります。平安京が成立する前に延鎭(えんちん)によってここに一つのお堂が作られる。
それを応援したのが坂上田村麻呂である。
そしていろいろな伽藍が出来て行きましたが、応仁の乱でことごとく焼かれ現存しているものは室町時代末期のものである。
その後江戸時代に舞台が作られた。
さて清水に入っていく前に大変な坂を上っていかなければなりません。
坂を上がるうえに向こうの方にお寺が見えると、
あそこまで登って行かんなあかんのかとため息が出て、いっぺんに疲れが出てしまいます。
そこで参道が曲がっていると先が見えないからゆっくり進めます。気分的なものでございますね。

今ではお店もたくさんあるから知らん間に到着できます。
そんな時ふっと屋根の上を見ると小さな仏が乗っています。
これは狭い通路をはさんで向き合っている家どうしのあいだで、玄関を開けると顔を合わします。
そんな時お互いにご挨拶をします。
そのようにお互いにむつかしくならないように、いつまでもご機嫌に暮らせるようにと願う佛さんです。
この佛さんのことを私は昔から人づてに頭に残っているのが{ひょうきんさん}と耳に残っているんです。

このようにいろいろ考えながらゆっくり見ながら進めばすぐ赤門(仁王門)が見えてきます。
赤門の手前左側に首振り地蔵があります。
その昔祇園に鳥羽八という太鼓持ち(ピエロのような立場の方)が居りました。
舞妓が踊る前とか場を持つあいだに太鼓持ちが接待するそうな。
その太鼓持ちの鳥羽八がこの石仏を作り、お客さんがたくさん来てくれる方向に向けて置いていたのを、
鳥羽八が亡くなってから屋敷にあったものを、ここに置かれるようになったらしい。
では何故この鳥羽八という石仏を作ったのか? それは多分
江戸方面からたくさんの人が来てくれるので、いちいち頭を下げるより東に向けて置いておけば挨拶替わりになると考えたのでしょうか?
頭はちょんまげスタイル、手には扇子を持っています。面白いですね。どなたさんかが前掛けを作ってくれましたね。
この石仏は二代目で初代は奥に居はります

この首振り地蔵の後ろのお寺は善光寺です。
善光寺と言へば今年長野の善光寺さんは御開帳の年です。
私ごとではありますが5月2日に行ってまいりました。2日の午前1時頃につきました。
ホテルに泊まるわけには行かず、門前の駐車場に入り車の中で仮眠しました。
5時半頃から御開帳ということで安心して5時過ぎに門の中に入っていくと、何と言うことでしょうか。
すでにたくさんの方でびっくりしました。せっかく早く行ったのになんにもならなかった。
後悔しても後の祭りだす。みなさん行かれる時の参考にしてください。
まあとにかく善光寺型阿弥陀三尊はしっかり拝見してまいりました。
清水寺の続きは2週間後とします。乞うお楽しみに。
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これからも、どんどん書いて下さいね。