不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Compie cento anni il Vittoriano

2011-06-01 13:01:40 | アート・文化

ローマの中心地・ヴェネツィア広場に聳える白い巨大な建物が
Il Monumento nazionale a Vittorio Emanuele II
(ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂)。

建設当時から賛否両論あった建築物で
現在でも地元ローマっ子からは
親愛を込めて「白いタイプライター」とか
「ウェディングケーキ」などと呼ばれています。

2011年6月4日で建設から100年目を迎えます。

1878年にイタリア統一の立役者であり
統一イタリア初代国王であった
ヴィットリオ・エマヌエーレ2世が他界すると
祖国の父を讃える記念堂の建設計画が持ち上がります。
1880年には第一回目のコンクールが行われ
フランス人の建築家が優勝しましたが、
結局建設は始まらず、
1882年にイタリア人のみが参加した
2回目のコンクールが行われ
マルケ州出身のGiuseppe Sacconi
(ジュゼッペ・サッコーニ)が優勝。

建設場所となったカンピドリオ周辺は
広範囲に亘り地域整備が行われ
多くの中世からの建物も取り壊されたため
当初からかなりの反対意見もあったようですが
1885年から建築は開始されます。
1905年にサッコーニは記念堂の完成を見ずに他界、
そのあとはGaetano Koch、
Manfredo Manfredi、Pio Piacentiniによって建設が進められます。

1911年6月4日にイタリア統一50周年の機会に
一応の完成を見た記念堂は公開されますが、
実際にネオクラシック様式の記念堂完成に至るのは1935年。

1921年11月からは第一次世界大戦で命を落とした
無名兵士たちの遺骨&遺品が葬られることになり
それによって
Altare della Patria(祖国の祭壇)とも呼ばれるようになります。

1968年には爆弾が仕掛けられる事件も起こり、
それ以来一時期一般には閉鎖されていましたが、
現在は一般公開されています。
上階のテラスへのアクセスを改善するために
2007年にクリスタルのエレベーターが設置されたときにも
賛否両論激しい議論が交わされ
未だに何かと話題の中心になることの多い建築物。

あまりに巨大な建物で
詳細部分を見失いがちではありますが、
彫刻などの装飾もそれぞれ意味のあるものがおかれています。
ローマにお越しの際には是非ゆっくり堪能してみてはいかがでしょうか?