
渋谷向山古墳を見て右に南に進み、桜井市穴師に入ったくらいで、山の辺の道を東に外れ、景行天皇纏向日代宮跡碑、その伝承地も通り過ぎてさらに上がっていくと、穴師神社の鳥居にたどり着きます。まず右手に相撲神社の祠が現れ、さらに奥まったところに穴師神社があります。
【旧鎮座地とご祭神】
「延喜式神名帳」当時は、穴師坐兵主神社、穴師大兵主神社、巻向坐若御魂神社の3社として存在しましたが、これらが合祀されて穴師神社と総称されています。かつては上下2社に分かれ、上社が弓月(斎槻)岳にあった穴師坐兵主神社、下社が現在地にあった穴師大兵主神社でしたが、上社が応仁の乱で焼失したので、ご神体を下社に遷し、その時巻向社も合祀したそうです。現在の祭神は、兵主神(御食津神)、大兵主神、若御魂神。かつては、諸説あるようですが、上社が・・・・・・
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上社のあった斎槻岳を探索すると、峰から南南東へやや下がった所に人工の平地が確認されており、ここが上社跡と推測されますが、土地の方は「ゲシノオオダイラ」と呼んでいるそうです。位置関係として、斎槻岳山頂~上社跡~下社現在地~・・・・・・
・拝殿。新天皇ご即位の垂れ幕がコチラもしっかり有りました
【天日矛命とアナシと兵主神】
兵主という名は、中国、漢の高祖が兵を挙げた時、兵主神の蚩尤を祀って勝利を祈った事に由来します。この蚩尤は、・・・・・・
【弓月君の秦氏と兵主神】
祭祀氏族については異説もあります。弓月岳の名に関し、・・・・・・
【相撲神社】
相撲神社は、日本書紀垂仁紀で野見宿禰と当麻蹴速が相撲をとったところとされていますが、・・・・・・
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