
昨年、伊勢神宮~外宮、内宮そして伊雑宮~のお参りをしました。一応、しっかりとお国の繁栄をお祈りして、各お宮を写真に収めさせていただきましたので、何回かに分けて、関連情報を添えてまとめます。まずは、順番が逆ですが、遥宮の一つ、志摩の伊雑宮です。ご祭神は天照大神御魂。中世、近世は伊射波登美命と玉柱屋姫命とされてたようです。
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伊雑宮といえば、「伊勢三宮説」の謎がまことしやかに語られる事があります。この説が出て来た経緯を、谷川健一氏編「日本の神々」(新装版)の岩田貞雄氏の記述から要点を追ってみたいと思います。
もともと大宝令では、神社の神戸(神社の収入源となる民戸)の管理は国司が管轄し、伊雑神戸は志摩国司に属していました。律令制が緩んできた後は、"総検校職"がこれに代わり、物部十千根命の一支族とする的矢氏がこの職に補されていました。戦国期になると、・・・・・・
もともと大宝令では、神社の神戸(神社の収入源となる民戸)の管理は国司が管轄し、伊雑神戸は志摩国司に属していました。律令制が緩んできた後は、"総検校職"がこれに代わり、物部十千根命の一支族とする的矢氏がこの職に補されていました。戦国期になると、・・・・・・

伊雑宮に奉仕していた神人と磯部郷民たちは宮の管理の費用に困り、1625年に上訴を申し立てるべく移動しようとしますが、これを快くおもわない九鬼守隆は逢坂峠に新関を設置、それでも通行しようとした神人がいた事に怒り、・・・・・・

そこで神人達が取った策が、伊雑宮を尊重なる神社と宣伝する事でした。1658年の朝廷への上申では、「伊雑皇大神宮は日本最初の宮で、のちに・・・・・・
しかし、これでも話は収まらず、いわゆる「大成経事件」が勃発します。まず、1679年に江戸で堂々40巻の「旧事大成経」が刊行されます。これは・・・・・・
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