
富雄川を離れて矢田丘陵の東麓のなだらかな坂道を上がった所に鎮座しています。さらに西方1キロのところに、アジサイの寺として有名な矢田山金剛寺(矢田寺)もあります。そして、矢田丘陵の西にあるのが生駒山です。一の鳥居の前だけでなく、境内東隣にある駐車場前から西に隣接する住居までの間に渡し掛けられた綱がまず目に飛び込んできて圧巻でした。
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・境内の前面全体に掛けられた綱
【ご祭神・ご由緒】
大和郡山市のホームページによると、現在のご祭神は櫛玉饒速日神とその妻で長髄彦の妹、御炊屋姫神(登美屋姫)です。一方・・・・・・
また当社は、「矢落神社」、「矢落明神」とも称します。「先代旧事本紀」にのる天磐船伝承によれば、饒速日命が天磐船に乗って降臨した際、三本の矢を射て落ちたところを住居と定めました。最初に降り立ったのが大和国の鳥見の白庭山であり、当社の地がその白庭山に比定されているのです。二の矢の落ちたところも境内の二之矢塚と呼ばれる小塚です。三本の矢の落ちた地点を連ねた先に田原本町があり、更にその先に・・・・・・
・楼門と掲げられたプロペラ。「航空祖神」の額は航空自衛隊初代幕僚長の源田実氏奉納
【祭祀氏族・神階・幣帛等】
・・・・・・「古事記」によれば、゛八田部(矢田部)゛は、仁徳天皇の后八田若郎女に御子がいなかった為の名代部で、その伴造氏族は矢田部造と称しました。「日本書紀」崇神天皇条に゛矢田部造遠祖武諸隅゛とあり、この武諸隅は「先代旧事本紀」天孫本紀に饒速日尊の八世孫物部武諸隈連公とあり、その孫大別連公が仁徳朝に氏造となり、八田部連公の姓を賜ったと書かれています。
【中世以降歴史】
【社殿、境内】
本殿は一間社春日造、檜皮葺で、室町中期を下らないものとされ、国重要文化財です。蟇股、木鼻の彫刻や・・・・・・
【祭祀・神事】
【伝承】
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