Yahooの検索結果に関しては以前からいろいろ疑問に思うことが少なくなかった。
このブログに関してもどうしてこんなに出てくるのだろう?とか、なぜ出てこないのか!と、いろいろ不思議なことが今まで起こっていて、昨日から今日にかけて後者の意味での疑念がいろいろ自分のなかで巻き起こっている。
前回の選挙ではあるキーワードで検索するとある政治家のサイトが出てくるといった珍現象が起こったが、(たしかGoogle爆弾というそうだ)これに関してYahooは何らかの措置をするとしていたはずで、実際しばらくすると報道されたような現象は見られなくなった。
しかし、検索エンジンになんらかの人為的操作を加える、よりはっきり言えば検索に出ないようにキャッシュをはずすというようなことをやった場合、インターネットの魅力はなくなるような気もする。
Yahooは最近までβ版の検索システムを公開して反応を確かめていたようだが、今現在のYahooのトップから検索してみると、最初の検索結果から「登録」されたサイトが出てこなくて、上のほうに小さく書かれた登録をクリックしなければならない。
ただしスポンサーサイト?はよりはっきり出るところを見ると、ようするに無料の登録は見えにくくしてその意義をわざとなくした、つまり分かりやすく言えば、
登録にはお金をはらえ!ということか
それと「登録」の状態で他の言葉で検索すると今度は検索したページしか出てこない。今LivedoorSEARCHを見てみたらそれに似てる感じもある。
ちなみに「小泉純一郎」で登録の状態で検索すると小泉を批判するどこぞの大学の先生のサイトが出てくるがこういうことは極めてまれなことのように思われる。
それはさておき、とにかくこれではすでに「登録」されたサイトの運営者は頭にくるのではないだろうか。
はっきり言ってあまり登録した意味がなくなるし、このようなことをすれば逆に人為的に検索結果から除外しなければならないサイトが後を絶たなくなる可能性もあるのではないだろうか。
自分がこのようなことを言うのもおかしいかも知れないが、あまりいいことのように思えない。
やはり登録したサイトが先に来るほうがいいと思うのだが、いずれにせよ登録されたサイトだからといってその内容が補償できるものとは限らないし、一旦登録したあとサイトの中味が変わる可能性もあるだろうし、いろいろ登録サイトや検索結果の表示には難しい点もあるだろう。
もちろんこれはネット全体にかかわる問題であって、マイクロソフトも検索システムの開発に関しては力を入れるそうだが、これだけネット上の情報が氾濫している時代になると、実際に役立つ情報をできるだけ簡単に得ようとするのはかなり難しくなってきて複合検索を駆使するとか検索する言葉を工夫するなどする必要がますます増えるだろう。
つまり、検索エンジンの発達ということよりも、利用者の検索能力の発達ということを期待するほうがよい、あるいはそうするしかないのかも知れない。
自分は検索結果というのは単純にアクセス数が多い順から表示されるのかと思っていたら、それに関してはYahooは公開していないようである。
というわけで?検索システムに関する情報は自分はあまり持っていないし調べてもいないのであるが、たとえば、PDFなどに収められた書類の中にある単語は検索結果には出なくてそれへリンクをつけてあるタイトルしか検索できないだろうし、mixiなどは一応そこへ入ってからしか見られないわけであるが、そこにあるコミュニティなどを見るとそれはそれで有益な情報はあるようである。
たしか情報の整理に関してベストセラーを出している有名な教授はいわゆるサイト内検索というものの発達というものがこの国のITに関するこれからの課題だというようなことを言っていたが自分はこれは必ずしもそうではないと思っている。
たとえば本を探す場合、図書館の検索システムを独自に構築すると、下手をすると自宅で検索をした場合と図書館の端末、さらには図書館のカウンターでの検索で点でばらばらな検索結果が出ることすら自分は経験している。
はたまた田舎の図書館などが簡単に作った新着リストのテキスト文書は検索であっさりと引っかかることも多い。
あまりに細かい単なるリストのような全ての情報が検索結果に出るのも面倒くさいが、実はそうした雑然としたところがネットの特徴であって、それがいやだという人はようするにネットとはあわない人かも知れない。
よく、ネット上で検索するとブログの情報がおおくて、困るといった話を最近見るが、そういう人は辞書や百科事典のCDROMを使えばいいとも言えるのではないか。
自分にとってネットの特徴はそうした雑然とした情報が混ざり合っているのを見ることにあるのであるから、サイト内検索があまりにも発達してしまうと情報がサイト内に閉じ込められる恐れがあるとも思われる。
もちろん、ネットにかかわる人はたいていの人が情報をできるだけ多くの人に共有させようとしているのが当たり前であって、たとえばいろいろな情報を得ようとするとき、国会の情報検索システムのページに行き当たることがよくあって、助かっている。
またmixiでも単にmixi内だけでなくWEB上の検索もできるので、あやまってWEB上の知りたくもない情報が目に入ってギャフン、となったこともある
結論も出ないまま話は変わるが、ただ単にアクセス数が多いページが確かな情報をもたらすとは限らないということは言うまでもない。
これと選挙の結果を結びつけるのはあまりにも単純に思われるかもしれないが、選挙で勝つということは選挙で勝った人が正しくて、負けた人が間違っているというようなことを直ちに意味するものではないだろう。
たとえば民意を尊重するという人は民意の前に自分の意思なり考えはあったのか、あるいは有権者が手に入れるべき情報は与えられていたのかということが、あらためて問われねばならないだろうと思う。
このブログに関してもどうしてこんなに出てくるのだろう?とか、なぜ出てこないのか!と、いろいろ不思議なことが今まで起こっていて、昨日から今日にかけて後者の意味での疑念がいろいろ自分のなかで巻き起こっている。
前回の選挙ではあるキーワードで検索するとある政治家のサイトが出てくるといった珍現象が起こったが、(たしかGoogle爆弾というそうだ)これに関してYahooは何らかの措置をするとしていたはずで、実際しばらくすると報道されたような現象は見られなくなった。
しかし、検索エンジンになんらかの人為的操作を加える、よりはっきり言えば検索に出ないようにキャッシュをはずすというようなことをやった場合、インターネットの魅力はなくなるような気もする。
Yahooは最近までβ版の検索システムを公開して反応を確かめていたようだが、今現在のYahooのトップから検索してみると、最初の検索結果から「登録」されたサイトが出てこなくて、上のほうに小さく書かれた登録をクリックしなければならない。
ただしスポンサーサイト?はよりはっきり出るところを見ると、ようするに無料の登録は見えにくくしてその意義をわざとなくした、つまり分かりやすく言えば、
登録にはお金をはらえ!ということか
それと「登録」の状態で他の言葉で検索すると今度は検索したページしか出てこない。今LivedoorSEARCHを見てみたらそれに似てる感じもある。
ちなみに「小泉純一郎」で登録の状態で検索すると小泉を批判するどこぞの大学の先生のサイトが出てくるがこういうことは極めてまれなことのように思われる。
それはさておき、とにかくこれではすでに「登録」されたサイトの運営者は頭にくるのではないだろうか。
はっきり言ってあまり登録した意味がなくなるし、このようなことをすれば逆に人為的に検索結果から除外しなければならないサイトが後を絶たなくなる可能性もあるのではないだろうか。
自分がこのようなことを言うのもおかしいかも知れないが、あまりいいことのように思えない。
やはり登録したサイトが先に来るほうがいいと思うのだが、いずれにせよ登録されたサイトだからといってその内容が補償できるものとは限らないし、一旦登録したあとサイトの中味が変わる可能性もあるだろうし、いろいろ登録サイトや検索結果の表示には難しい点もあるだろう。
もちろんこれはネット全体にかかわる問題であって、マイクロソフトも検索システムの開発に関しては力を入れるそうだが、これだけネット上の情報が氾濫している時代になると、実際に役立つ情報をできるだけ簡単に得ようとするのはかなり難しくなってきて複合検索を駆使するとか検索する言葉を工夫するなどする必要がますます増えるだろう。
つまり、検索エンジンの発達ということよりも、利用者の検索能力の発達ということを期待するほうがよい、あるいはそうするしかないのかも知れない。
自分は検索結果というのは単純にアクセス数が多い順から表示されるのかと思っていたら、それに関してはYahooは公開していないようである。
というわけで?検索システムに関する情報は自分はあまり持っていないし調べてもいないのであるが、たとえば、PDFなどに収められた書類の中にある単語は検索結果には出なくてそれへリンクをつけてあるタイトルしか検索できないだろうし、mixiなどは一応そこへ入ってからしか見られないわけであるが、そこにあるコミュニティなどを見るとそれはそれで有益な情報はあるようである。
たしか情報の整理に関してベストセラーを出している有名な教授はいわゆるサイト内検索というものの発達というものがこの国のITに関するこれからの課題だというようなことを言っていたが自分はこれは必ずしもそうではないと思っている。
たとえば本を探す場合、図書館の検索システムを独自に構築すると、下手をすると自宅で検索をした場合と図書館の端末、さらには図書館のカウンターでの検索で点でばらばらな検索結果が出ることすら自分は経験している。
はたまた田舎の図書館などが簡単に作った新着リストのテキスト文書は検索であっさりと引っかかることも多い。
あまりに細かい単なるリストのような全ての情報が検索結果に出るのも面倒くさいが、実はそうした雑然としたところがネットの特徴であって、それがいやだという人はようするにネットとはあわない人かも知れない。
よく、ネット上で検索するとブログの情報がおおくて、困るといった話を最近見るが、そういう人は辞書や百科事典のCDROMを使えばいいとも言えるのではないか。
自分にとってネットの特徴はそうした雑然とした情報が混ざり合っているのを見ることにあるのであるから、サイト内検索があまりにも発達してしまうと情報がサイト内に閉じ込められる恐れがあるとも思われる。
もちろん、ネットにかかわる人はたいていの人が情報をできるだけ多くの人に共有させようとしているのが当たり前であって、たとえばいろいろな情報を得ようとするとき、国会の情報検索システムのページに行き当たることがよくあって、助かっている。
またmixiでも単にmixi内だけでなくWEB上の検索もできるので、あやまってWEB上の知りたくもない情報が目に入ってギャフン、となったこともある
結論も出ないまま話は変わるが、ただ単にアクセス数が多いページが確かな情報をもたらすとは限らないということは言うまでもない。
これと選挙の結果を結びつけるのはあまりにも単純に思われるかもしれないが、選挙で勝つということは選挙で勝った人が正しくて、負けた人が間違っているというようなことを直ちに意味するものではないだろう。
たとえば民意を尊重するという人は民意の前に自分の意思なり考えはあったのか、あるいは有権者が手に入れるべき情報は与えられていたのかということが、あらためて問われねばならないだろうと思う。