日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

牧 会 通 信

2016-04-19 01:08:21 | 大分中央ウィークリー

 (原 光訳 2000年、沖積舎)

ダンテの「神曲 地獄」編 第13歌(カッコ内は筆子、その7)

◯「傷つけられた霊よ、」とわたしの賢者が答へた。前にわたしの詩の中で見ただけのことを信じることができたら、このものはそなたに手を差伸べはしなかつただろう、

 だが語りはしたがわたしも信じられなかつたのでこのものに折取らせたのだが、わたし自身それを苦痛に思つてゐる。

だがそなたが誰だつたのかこのものに言ふがよい、せめてもの償ひにこのものが戻るのを許されてゐる上の世界で、そなたの名声を回復させてもらふやうに。」(ここまで前回)

◯すると幹は言つた、「そんなに優しい言葉で誘き寄せられると、わたしも黙つてはゐられぬ、餌に釣られてわたしが少し議論に溺れようとも、

煩わしいとは思つてくれるな。わたしはフェデリコ(ローマ皇帝第二世)の心の鍵を二つとも握つてゐたもので、実に巧妙(たくみ)にそれを回して閉ぢたり開(あ)けたりし、(つづく)           

 

◯2016年4月17日は第十六主日、イースター後第三主日という。日聖協「聖書愛読こよみ」は「証人として」という主題である。聖書は、ルカ4・14節「イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。」という。イエスご自身も聖書の証人であられたなら、わたしたちも聖書の一人の証人である。 

◯写真は気象庁が「2016年熊本地震」と命名。熊本城にとって初体験、被害甚大、救援を祈る。

 


プロテスタントとカトリック

2016-04-15 01:47:24 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(357)

5.近代から現代へ(宗教改革とその後)

四一〇年八月二十八日、「永遠の都(ローマ・アエテルナ)」と信じられていたローマ帝国は、こともあろうに、わずか数日で西ゴート族の軍勢によって攻略さ

れてしまった。どうしてこのようにもろくも大帝国が崩壊したのか。多種多様な見解の一つであるが、それはローマ帝国がキリスト教を公認(313)してから

始まったという。キリスト教公認によって皇帝礼拝の絶対性を切り崩し、国家内にキリストの神の礼拝をもたらした。暴力的迫害によって殉教したペトロやパウロ

や多くの殉教者たちを保護の下に置く政策をとった。しかし、それによって従来の国家の、法による軍の権威を内側から切り崩す結果になった。ゴート族のような

殺戮、略奪や拉致や虐殺に対しての守りを怠ったといわれている。信仰理解の誤りと政治の失態に対する神の報いであったという。キリスト教内部の無力感と

異教徒の批判に(ここまで前回)キリスト教こそローマの国家の滅亡に責任があると、教養のある異教的な貴族たちが農民たちを扇動して非難した。このとき信

頼の篤い友人の勧めを受けて立ち上がったのが、キリスト教の大思想家アウグスチヌス(354~430)であった。彼は先ず、キリスト教信徒に向かって語りかけ

た。キリスト教信仰のご利益に加担する誤った信仰姿勢を質すことからはじめた。彼は、もともとアフリカ人であり、新しい第二のローマ帝国の期待もギリシャ的

神話も全面的に無視した。そしてキリスト教的なこの世の国をも全く考えもしない。極め細かな答を彼のその(つづく)


聖書研究

2016-04-15 01:45:24 | 大分中央ウィークリー

創世記22章21節である。「長男はウツ、その弟はブズ、次はアラムの父ケムエル、」という。この三人の名は、その後の五人との間にいくらかの区別があるように見える。その三番目が、「アラムの父ケムエル」と説明されている。10章22節に「セムの子孫はエラム、アシュル、アルパクシャド、ルド、アラムであった。」となっていて、アラムの父はセムということになって、この節と一致しない。 

一般にアラム族はメソポタミヤと北部シリヤ地方に住み着いたセム族の主要な部族であるとするのが定説であるから、「父ケムエル」は何かの間違いか、「先祖ケムエル」と読みかえる人もいる。いずれにしても、アブラハムの兄弟ナホルとミルカとの間に生まれた三男「アラム」は、預言者ホセアの時代(前732)には「アラムの野」としての地域名に残っている。彼と彼の一族の働きが大きかったといえるであろう。 

22~24節である。「それからケセド、ハゾ、ピルダッシュ、イドラフ、ベトエルです。」ベトエルはリベカの父となった。ミルカは、アブラハムの兄弟ナホルとの間にこれら八人の子供を産んだ。ナホルの側女で、シウマという女性もまた、テバ、ガハム、タハシュ、マアカを産んだ。」という。ナホルとミルカとの間に生まれたのは八人の子供たちであった。さらにナホルのそばめレウマに四人の子供が産まれている。 

アブラハムの兄弟ナホルに八人と四人の合計十二人の子供が与えられたことが報告されている。「十二」はイシュマエルの子孫(25・16)、ヤコブの子孫(35・22)にも見られるように聖なる「数」であると共に諸部族の一集団の単位であった。またナホルの孫として「リベカ」(23節)の名だけが挙げられ、24章の予備知識を提供している。


牧 会 通 信

2016-04-15 01:30:07 | 大分中央ウィークリー

         (原 光訳 2000年、沖積舎)

ダンテの「神曲 地獄」編 第13歌(カッコ内は筆子、その6)

◯わたしらは人間だつたのだ、いまは茨の木にされているが、たとへわたしらが蛇の霊だとしても、もつと憐み深く取扱つて然るべきなのだ。」

生木が片端から燃やされると、他の端から樹液がジュージューしたたり、中から出る空気のためにプスプスいふものだが、

そのやうに折られた枝から同時に言葉と血が吹き出たので、わたしは小枝を落として恐れるもののやうに立ちすくんだ。(ここまで前回)

◯「傷つけられた霊よ、」とわたしの賢者が答へた。前にわたしの詩の中で見ただけのことを信じることができたら、このものはそなたに手を差伸べはしなかつただろう、

 だが語りはしたがわたしも信じられなかつたのでこのものに折取らせたのだが、わたし自身それを苦痛に思つてゐる。

だがそなたが誰だつたのかこのものに言ふがよい、せめてもの償ひにこのものが戻るのを許されてゐる上の世界で、そなたの名声を回復させてもらふやうに。」(つづく)           

 

◯2016年4月10日は第十五主日、イースター後第二主日という。日聖協「聖書愛読こよみ」は「雄々しく生きる」という主題である。聖書は、ヨシュア記1・18節「いかなる命令であってもあなたの口から出る言葉に背いて、従わない者は死に定められねばなりません。どうぞ強く雄々しくあってください。」と厳しい。主がヨシュアと共におられるからであった。

 

◯写真は、4月1日に、近くの住吉川の川べりの桜が地方気象台の桜より早く満開になった。


プロテスタントとカトリック

2016-04-06 00:51:11 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(356)

5.近代から現代へ(宗教改革とその後)

 さて、初代教会のオリゲネスが生まれた紀元185年頃、キリスト教はローマ帝国においては、まだ、ごく小さな勢力に過ぎなかったと一般にいわれている。従って、当時のだれもが、その後たった約150年経って、すなわちキリスト教が、313年、ローマ帝国に公認される宗教になっていると予想する人いなかった。ローマ帝国のキリスト教迫害が激しく、その勝利者は帝国側であることを疑う者は、その2~3世紀の社会的.動向の中ではほとんどいなかった。

さらには、前代未聞の驚愕的知らせが、帝国全土を駆け巡った大事件が起こった。(ここまで前回)四一〇年八月二十八日、「永遠の都(ローマ・アエテルナ)」と信じられていたローマ帝国は、こともあろうに、わずか数日で西ゴート族の軍勢によって攻略されてしまった。どうしてこのようにもろくも大帝国が崩壊したのか。多種多様な見解の一つであるが、それはローマ帝国がキリスト教を公認(313)してから始まったという。キリスト教公認によって皇帝礼拝の絶対性を切り崩し、国家内にキリストの神の礼拝をもたらした。暴力的迫害によって殉教したペトロやパウロや多くの殉教者たちを保護の下に置く政策をとった。しかし、それによって従来の国家の、法による軍の権威を内側から切り崩す結果になった。ゴート族のような殺戮、略奪や拉致や虐殺に対しての守りを怠ったといわれている。信仰理解の誤りと政治の失態に対する神の報いであったという。キリスト教内部の無力感と異教徒の批判に(つづく)