創世記24章38節である。「『~わたしの父の家、わたしの親族のところへ行って、息子の嫁を連れてくるように』と命じました。」という。「わたしの親族のところへ」とあるが、アブラハムの親族が生活しているところはどこか。兄弟は二人、ナホルとハランがいたが、ハランはカルディアのウルで父に先立って死んだ(創11:28)。僕は長旅の用意を整えて、アブラハムの弟ナホルのところに向ったことになる。
兄弟ナホルが住んでいるところは、チグリス・ユーフラテス川の上流ハランの南方地域の「アラム・ナハナイム」(24:10)であったといわれるが、その「アラム・ナハナイム」はどこか、今日、特定されていない。その言葉「ナハナイム」の意味は「二つの川」であるから、チグリス川とユーフラテス川の間という広域になる。それにしても、アブラハムがいたヘブロンから約1000キロ離れた遠方に、兄弟ナホル一族が住んでいた。
39節である。「わたしが、主人に、『もしかすると、相手の女がわたしに従って来たくないと言うかもしれません』と申しますと、」といいます。ここに彼の仕事に対する慎重さが見えます。アブラハムに進言してアブラハムからの考えを引き出そうとしていました。そのために彼が思いだしながら、ここにその経過をそのまま繰り返している。
確かに、ここに思い出しながら、繰り返いてはいるが、その背後に神が働きかけておられるという、神の真実をそっと語るのが目的であった。『もしかすると、相手の女がわたしに従って来たくないと言うかもしれません』とは、彼女に進んで来たいと思わせるところの神の働きかけを期待しながら、神に向って話しかけているようでもあるといえるし、またわたしどもの神学的理解のためにもそのように考えねばならない。
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