あきべや

鯨飲日記、みたび。
Ramen & Alcohol & SoftVolleyball LOVE!

三沢が死んだ…。

2009-06-14 17:49:22 | プロレス
三沢が死んだ。
あまりにも唐突に。

最近は、あの頃に比べたら、決してプロレスに熱情を注いでいたわけではないけれど。
間違いなく、俺の人生に影響を与えてくれた人。

まさかと思う人が死んでしまうと、いつも俺はこのフレーズを思い出す。
思い出して、なんとか受け入れるしかない。

俺の父が死んだときのように。

以下、大好きな中島らもの「僕に踏まれた町と僕が踏まれた町」より。
中島らもがアル中で入院していたときの話からの引用。

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五十日間の入院中に、僕はたくさんの病人といっしょに暮らし、話をした。壁ひとつへだてたくらいの隣室で、何人もの人が死んでいった。…、もしこの世界というものが、因果応報で公正で理にかなったものであったなら、僕が死んでその分の命をこの人たちが受け取るべきだったろう。ところがこの世界を律している神は、わけのわからないムチャクチャなやつらしくて、納得のいくようなレフェリングはしてくれなかった。

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父が死んだ、あるいは三沢が死んだということに対して理由を求めようとすれば、それは「神様のムチャクチャなレフェリング」ということしかない。
多分俺が一番大好きだった人、父が死んだときに、どうしてもそこに理由を求めたかった俺が、なんとか納得するためにはこの理由しかなかった、と思うし、実際そうなんだろう、と思う。

そして、中島らもはこんなふうに続けている。

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そうやって転がり込んできた命を、また同じことをして捨てにかかるのでは、死んだ人に対して申し訳がたたない。だから僕は生きることにした。だからといって別に心を入れ替えて頑張るつもりは無い。あいかわらずいい加減なことをやっているのだが、それでもだらだらとではあるが、生きることにした。

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俺も、父が死んでからはこのスタンスで生きてきたもり、だ。

どんなに誠実に正しく生きたって、神様のレフェリング次第で、死んでしまうときは死んでしまう。

だからこそ。
だからこそ。
襟元を正しすぎてはいけない。
ましてや、逆にやけくそになってしまってはいけない。
自分のスタイルで生き続けるしかない。
それしかできない。

父が死んだとき、俺のこの冷酷ともとれるスタンスが、人によっては異質な感じに受け止められたり、非難も浴びたりした。
また、相変わらずぐうたらな学生生活を続けた俺には、さらに非難も浴びた様に思う。

でも、憾みは神様にぶつけるしかない。
その大切な人が死んでしまった理由は、俺の中で消化するしかない。
誰かに理由を求めることはできない。
選んだ道が正しかったと信じるしかない。

三沢。
鶴田からフェイスロックでギブアップを奪った瞬間、俺の全身にできた鳥肌は、その後の俺の道標のひとつでした。
相変わらず三沢のように生きることはできていないけど、だらだらと精神は受け継ぎます。
俺なりに、いつかは自らマスクを剥ぎとって…。

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