近くなら行きたいと思う。終電まで弔問を受け付けるらしい。
さて、6日の朝日新聞に彼のヒット曲「ぼくの好きな先生」のモデルの小林先生(高校の担任)のエピソードが載っていた。
1969年11月の朝日新聞に、清志郎のお母さんからの投書が載った。
「18になる私の子供はギターのプロになるのだと申します。私どもには何が何だかわからなくなりました。」
そんなお母さんを小林先生は「大学に行っても4年遊ぶんだから、4年は好きなことをやらせてあげましょう」と説得したのだそうだ。 ナイスアドバイス
清志郎の周りには素敵な家族、先生、友達がいたのだなあと思う。復活ライブを思い出した。