『靖亂録』にある「到没有……」についてのノート
2004年4月のコラムより移動。
『靖亂録』に、「喒們北邉到没有……」とあるが、
「喒們(わたしたち)は北邉に到りて……あるなし」
とある本では訓読している。宋明の俗語や現代中国語をある程度身につけていれば、このような間違いはあり得なかったのに。
ところで、中国の文献を検索するには、
Googleの中国版やら、
Yahooの中国版も役に立つが、
「百度」の方がうまく検索できることがある。上の「到没有」という語句で検索しても多くの用例が探し当てられる。
しかし、ここで厄介なのが明のような時代でも、「音通」の語で書かれていることものも多いということ。上の「到没有」は、実は「倒没有」と書かれていなければならなかったのである。この「倒」は、現代語でも使用され、意外性・強調を表明する副詞的な語なのである。『中日大辞典』1973の用例に、
「本要?省,不想倒多花了?.」(節約するつもりだったのに、はからずもかえってよけいにつかってしまった。)
とあり、
朱子語類・卷三十九・先進於禮樂章に
「如今人恁地文理細密、倒未必好……。」
とある。
?海出版社『馮夢龍文學全集』では、さすがに「倒没有」と訂正している。
なお、この「到」にまつわる誤りは、直ぐ後の、
説道到、「是老先生?在軍中……」
という区切りにも見られる。これも、
説道、「[倒是]老先生?在軍中……」
と切らなければならなかったのである |
不可解なもの
2004年10月のコラムより移動。
人の「意識」とは、「記憶と感覚応答」という神経作用でしかない。人が、悩みを抱えて自殺なんかをするのは、この「記憶」というすばらしいシステムが感覚系をわずらわせ、「生きる」本能を否定するためなのだろう。つまり、新皮質が、本能の基盤である旧皮質の命令を否定するためなのだろう。言葉を発達させた人が、この「限界のある」言葉による呪縛によって死を「選ぶ」ということなのだろうか。「人」の「思考」の限界は、ここにあるのだろう。コンピューターに「人」ができないことをやらせても、「屋上屋を架す」というような、無駄に「人間にしかできない」能力の延長を課している部分が多いのかもしれない。ここらあたりは、門外漢なので断言できない。
生物は、細胞単位で構成されているが、生命維持には、神経細胞での物質伝達による電気信号の授受が欠かせない。
電気と言えば、電球をつけると、「光」とともに付随する「熱」・「音」・「磁場」が発生する。
人間が、遠い所に居る他人の「視線を感じる」ということを、どう説明できるのだろうか。意識して開閉できない別な感覚というものがあるのだろうか。
人が、「視聽」できる範囲は、他の動物と異なっている。すなわち、人には「可視・可聴」領域というものが存在する(身近な例で言えば、カメラの設定によって人間には見えない瞬間画像)。尾っぽと同じく、捨て去り忘れられ、いまだ科学的に説明できない「本能的」な感覚受容体を、ある時、人は発動させるのだろうか。
西洋の人は、人は「神」に似せて創られたなんて妄想、つまり記憶をたたみ込まれている。神に近いなら、他の動物の「視聴」領域を越えることが、何故できないのかという、素朴な批判が生ずる。
突き詰めれば、人間は、人間の感覚を通して「立ち現れた世界」だけを本当の世界と錯覚しているだけで、動植物にとっては、また別の「立ち現れる世界」が存在しているのである。すなわち、「人」が「実体」ととらえているものは、人の感性でしか説明できないものであり、「実体」の存在を証明する際、はなはだ疑わしい、人間の感性によって生まれた「言語」によってしか共有化されえないという事実があるのである。まさに「色即是空(rupam sa sunyata.=物には実体がない)」なのである。肉体的な感情である異性を求める意識・行為を、「愛」「恋」などと抽象化して、言葉によって「酔いしれる」のは、人間だけなのであろう。人には、理解を超える「不可解」な現象・事例が、未だあまた存在するのである。
ところで、「人は神に似せて創られた」など、東洋人に馴染みがないと思われがちだが、朱子は、「理」が純一(ジュンイツ)なのが、聖人(ひいては人間)であると言っていて、人間至上主義的な見方をしている。対して、王陽明は、「万物は一体のもの」であり、石の良知(=理)も人の良知も同じものとする平等的な世界観を基に、良知が見た物体(人物・環境)には良知をもとに接するべしという論を展開する。
人は、もはや個体では生活できない。共同体の思惑の流れに任せ、平和な共同生活をするのか、戦闘的な生活を余儀なくされるかなのである。「寛容」・「中庸」という、「肉食」中心の西洋人には理解されにくい理念を、どう世界に行き渡らせるかが、地球を「保存」するために必要なのではないだろうか。
さてさて、余興として、私の実体験を、以下に記したい。
私の「不可解」な実体験
いつものように、起きて朝食をとったが、歯をみがく時に、自分の顔が別人のようにやつれていた。かまわず、いつものようにバイクで10キロ先の職場に向かおうとした。その時、信号の判断ミスなのか、アクセル・ブレーキのタイミングが上手くいかず、電柱にぶつかってしまい、本人は胸部挫傷、バイクは部品取りの運命になってしまった。
本人は、数十秒呼吸ができず、のたうち回っていたが、救急車で近くの病院に運ばれた。それは、入院中の母親がいる病棟であった。本人は、左半身がまだ不随意だったが、翌日、自宅療養を許可された。
が、その深夜、母親が死亡した。母親の兄弟たちは、いずれも、突然眼鏡が落ちるなど異常なできごとがあって母の死を悟ったという。また、母の親友であった人は、
「なんで早く来ないの。早く会いに来てよ。」
という夢で、数年ぶりに前日に遠くから見舞いに駆け寄ったのであった。こんな、できごとが畳みかけるように起こったのであった。荼毘に付した遺骨を仏壇に納めたまま、つまり、遺骨と同居したのだが、あり得ないことに、翌朝、人の気配に悩まされた。また、ありえないことに犬までが、へそくりの千円札をくわえて渡しにきたのであった(以後無し)。
ついでに言えば、近所の寺に遺骨を預かってもらい読経もお願いしたところ、数時間後に、ふと、「私は、行くよ」という言葉が脳裏をかすめたのであった。
【後書き】
二年前のできごとなのだが、「不可解」ではある。裏返せば、人間の不完全性の証明かも。こればっかりは確信が持てない。
親戚の共通体験なのだが、子供の頃、(家の守り神とされる)大蛇を梁で見た。それ以降、「霊体験」などほとんどなかった。ただ、コックリさんを中学生の時やった時に、精神的に不安定になったのか、帰宅時に自転車で転倒して、小指の肉をえぐってしまった経験がある。
祖母の死で鹿児島に何十年ぶりに行ったが、街灯が全くない夜の威圧感・恐怖を再び味わった。普段から「光」のため感覚異常・生活リズム異常を来した人間界と離れ、再び異次元と遭遇した感じであった。本物の自然とは、……?。
2005年6月のコラムより移動。
バイクで5分の距離にある町の小規模図書館でリフォーム関係の本を渉猟したり、インターネットでリフォームに関して検索したりと、思想関係から遠ざかっていたが、久しぶりに思想関連の本を読めた。
四十代の私は、高校・大学時代の時、ブームであった比較文化論・日本語論などの本を古本屋で見つけては読みまくった(大野晋氏・会田雄次のものをかき集めたが、今は売却処分)。この『肉食の思想』も一度読んだはずだが、その論点がすっかり忘却されていた。
「肉食」を援用する理論としてキリスト教の「人と動物」との断絶思想は、広くヨーロッパ人の意識に受け入れられ、ヨーロッパの精神根幹を形成しており、「人と人」との身分断絶の慣習こそが、マルクス主義が生まれた要因であり、近代的な市民形勢に立ち後れた東欧のみがこの主義を採り入れた。大量な「肉食」を可能にしたのは、ヨーロッパの環境・風土があったからだというのが、本書の趣旨。
ヨーロッパ人を大まかに把握するには、恰好の書だが、ドイツ・イギリスなどのアングロサクソン系とフランス・イタリアなどのラテン系との精神風土の違い、ましてや現代のハチャメチャな思想を押しつけるアメリカの精神風土を理解するには、物足りない。何せ初版が1966年という古いものゆえ、致し方ない。
読んでいて、筆者である鮎田氏が勘違いしている部分があったので、論駁しておく。139ページのもの。
それにしても、ヨーロッパでは、村落意識から出発した社会意識が、都市、地域、国家へと同心円的に拡大したのでないことは、たしかである。社会意識は、国家意識ないしは国民意識までいきつくまえに、階層意識とからみあって、身分別の統一意識を完成する。全国規模での貴族意識あるいは市民意識が、近代の国家意識や国民意識よりも先行する。
もともと階層意識と社会意識のからみあいのなかった日本では、このような発展はみられない。「修身斉家治国平天下」という言葉があるように、なにもかもが家族意識にむすびつけられる。太平洋戦争まで幅をきかした「家族国家論」はその典型である。ヨーロッパ人には理解できない奇妙な現象であるが、血縁的な家族意識を漠然と拡大すればよいのであるから、たいした苦労は要らない。すべてはなしくずし的で、いつのまにか、国家意識や国民意識らしきものに到達する。
ヨーロッパでは、こうはいかない。国家意識や国民意識は、なんとはなしに生まれたのではない。あくまで、身分割をたたきつぶして、すくなくとも階層意識の近代化をはかった、人間の努力の所産である。フランス革命のような市民革命がおこらなければならなかったのは、そのためである。
とあるが、「修身斉家治国平天下」というのは、中国の儒教の『禮記』大学篇にある文句で、それを日本で押しつけ気味に広めただけのものであり、決して古来から続く日本独自のものでもなかったものである。さらに、この大学篇は、決して家族から国家へと結びつけるのが中心ではなく、支配者階級たる「個人の心構え」を中心に理論を構築したもの、あるいは、他学派からの非難に備えるべく理論武装したようなユートピア論なのである。つまり、鮎田氏は、言葉の背景を知らずに、割り切って説明しやすい論理づけをしたに過ぎないわけである。
夏木広介著『こんな国語辞典は使えない』洋泉社を読んで
2005年8月のコラムより移動。
地元の図書館に雑誌・新聞を見に行ったら、「過激な」タイトルの新刊書があったので、さっそく読んでみた。
筆者は、上海市1940年生まれで、編集・校正の仕事をしている人物。
筆者の攻略方法は、ある辞書の説明に納得できないと、他の辞書にあたり、そちらの説明の方が理解しやすければ、先の「ある辞書」の説明を攻撃するというもの。だから、読んで得るものはなにもないと言っていい。
日本の辞書は、分厚いものほど含みをもったものになる。すなわち、古語から現代語(または近代語)までを、カバーしようとして、かなり語義を連絡させて解説しようとするのである。だから、現代語の意味を調べようとしても、現代語には不必要な説明もあるわけである。
現代語にはないものを、辞書に載せて国語辞書とはあきれかえるというような態度で、筆者は攻める。だったら、明治・大正の古い文献を読もうとする高校生は、どういう辞書を選べばいいのだろうか、近代語辞書なんてものがあるのかしらん、と、こちらは読んでいるうちに、思ってしまった。
結局、自分が納得できないから、辞書に「やつあたり」しているだけであり、いっそのこと、自分で自分が満足できる辞書を作ってみればいいのだ。筆者は「天下の広辞苑」などというが、「文学を専攻する者」・「日本語を扱う職にある者」にとっては、広辞苑なんて「小さな」簡便な辞書に過ぎないというのは、常識である。
例えば、「天地無用」について、筆者は、
「この言葉には昔から疑問があった。」
という。だったら、小さな辞書の説明の揚げ足をとる前に、もっと大きな辞書なり、古語辞典なりを調べて、「天地す」が「上下する」の意味で使われていたことを調査すべきであった。語源辞典ではない広辞苑の説明不足なんかをせめるのは、お門違いである。
また、筆者は、今までの学説をくつがえすような、ノーベル賞ものの説をうちたてている(日本語だから、そこまでの賞はもらえないか)。
曰く、 |
以下は私見である。
「行きませんか」の原形は「行きませむか」である。これを丁寧ではない言い方にすれば「行かむか」だ。「せむか」の変化と同じように、「行かむか」→「行かんか」となり、「行かないか」となった。