2006年5月のコラムより移動。
地元の図書館で本書を手にしたら、やたらに辞書の記述が多いので、辞書の変遷を把握しておこうぐらいの気持ちで読み進んでいた。すると、訓詁に関すること、各辞書の欠点などを分かりやすく、且つ詳細に説いていた。
この書を読む人は、文字学・音韻学などの「小学」に興味のある大学生に限られそうであるが、大学院進級者には恰好の概論書であろう。というより頭の片隅にこのような知識があると、古典把握がしやすい。
『十三經注疏』やら『説文解字』やら『広韻』やらを持っているか、日頃から使っていたりしていないと、読みこなせないたぐいの本であるが、その道に分け入ろうとするには恰好の入門書であろう。
前三書(十五書か?)を私は持っていたが、本書の解説を読んではじめて知るところが多かった。惜しむらくは、1996年発刊と言うことで、学生時代に読むことができなかったことである。
音韻学にはかねてから興味があった。音韻の箇所はゴチャゴチャしていて分かりづらいものなのだが、丁寧に説明されていた。今回は手元にあった唐作藩『漢語音韻学入門』明治書院を読み直しながら、読み進めた。というのは、「双唇音(p.b.m)」が昔は「唇音」と言われていたりして、術語が途中で混乱しだしたためである。「韻図」というのも、一部を見ただけでは全体が分からないので、前書を参考にした。
普段から疑問に思っていたのだが、「平・上・去・入」は何故、そういう名前がつけられたかという説明、そして現代北京語との関連についての推論などは、読んでいて目から鱗がおちた。北京語が癖のある言葉で、広東語が平仄を理解するのに役立つなどなども。
また、朱子の章句にある音注は、『広韻』系統とは異なる新しいものを使っているとか、当時から入声が失われつつあったこととか新発見もあった。
ただ、類書のところで『北堂書鈔』に一言も触れていなかったのは何故なのだろうか。書評ができるほどの知識を持ち合わせていないが、故人となられた頼惟勤の学殖に敬服するばかりであった。 |
2006年8月のコラムより移動。
清王朝の滅亡前に、康有為が「変法自強」(法律を変えて国力を強めること)のために奔走したというのは、高校時代に教わったことだが、その具体的内容は、抽象的な記述ばかりで、結局頭に残らなかった。李鴻章・曽国藩らの「洋務運動」とどこが違うのかという点にとなると、どれだけの人が説明できるだろう。ウェブ上の記述を見てもすっきりしない。
また、康有為は、結局、学術や歴史をどの程度まで動かしたのだろうか。
坂出氏はいう。
変法の要点として、富国(紙幣発行・鉄道建設・機械汽船製造・鉱山開発・銀貨鋳造)・義民(農工商業の振興・貧窮の民の救済対策)・散士救民(教育制度改革・新聞の発行・道学科創設)をあげ、さらに官制改革と外交官養成(使オ館開設)のほか、上下隔絶の弊害を除くための議郎(国政審議官)の創設を提案している。(p198)
これらは、氏が指摘しているように当時の洋務・変法論者の思想と大差ない。ただ彼は、ヨーロッパのキリスト教・日本の神道のように中国人の心をまとめさせるため、孔子の教えを普及させようとした。そして、明治維新にならって、世論の一定化・市民に区別なく上奏を許す・才子数十人が制度局で庶政の変改を評議する(p224)ように建言した。光緒帝は果敢に変法を実施しようとするが、結局三ヶ月の後、西太后に阻まれ帝は拘禁されてしまう。立憲君主制を打ち立てようとしたのだが、世の流れは共和制へと動いていった。
漢代の劉向の尊ぶ古文は偽作だとして、今文の春秋公羊伝に根拠を求め、学術の刷新・政治の改革に乗り出したのだが、今の学術に照らして考えると、彼の学説は牽強に近い。日本・西洋の事情・学術を貪欲なまでに吸収して、自ら考えるユートピアを公表するが、空振りに終わった感がある。彼は、あくまで啓蒙家の域を出ないが、このような自由な発想の影響は少なくはなかった。事実、弟子の梁啓超のような異才を産んだ。
本書で興味深かったのは、朱子学的な基礎・素養を持っていた康有為が王陽明を好んでいるところであった。
2007年1月のコラムより移動。
人為的・自然的な社会不安が高まっている中、年末になると来年はどうなるのかという予言が例年通りにぎわっていた。
かつて、2036年からタイムトラベルしてきた男が2000年にアメリカの掲示板に予言をのこしていったということで話題になっていた。
2008年には関東大震災がおこる・中国が日本・台湾を合併・北京オリンピック中止など興味を引くところはあるものの、的中していないものもあって、やはりお騒がせものの一種と考えていいだろう。
いったい、タイムマシンで自分に会うというもの自体、理論的になりたたないものであることは明白だ。Aという人間が未来に移動しようとすると、移動しようとする意志を持ったAはマシンに乗った時点で、何々しようという意志をもった別の未来の自分が存在していないはずだ。だから、未来の自分には会えるはずがない。そして、自分自身と関わった未来も失われているはずである。
また、過去に戻るにしても過去の地形・建築物・障害物(小さな蚊から大きな動物・局所的な雷・竜巻など)はある程度は形を変えているはずなので、そのようなことを考慮できない時間軸設定だけでは、マシンの損傷・爆破はまぬかれえなく、極端な危険を抱えることになる。
さらに、質量保存の法則という自然界の法則を応用して考えると、ある場所に異空間から物体が現れ、全体的に質量が変わるというのも考えられない。過去の自分に合うことは、物理的にも不可能なのでは。すなわち、密閉されたある空間で燃やしたプラスチック片を取り出して、燃やす以前のプラスチック片と同居させるということが不可能なわけである。したがって、異次元・物質転送・時間操作・パラレルワールドという想像概念によって、真実みがありそうに感じられているに過ぎない。
自然上には、気功・磁場の乱れなど、科学的に解明できない部分もあり、キリストの奇跡など文献上不可解なものもあって、人知を超えたものがあるのは確かだ。
なんとも、まあー、文系の人間である私は、以上のような素朴な疑問点を(正月前夜に一晩うなされながら)自分なりに考え、ひとり安堵したのだった。
「タイムトラベル」という語で検索すると、私の独断と異なったいろいろな見解があるので参考にしてほしい。 |
2007年3月のコラムより移動
最近、いじめを苦に自殺を図った少年が多い。そして、自殺した子供の両親が国を訴えるという事態にまできている。後者については、子育ての義務を一方的に公共機関である学校に負わせ、自身の義務の存在をもみ消そうとしているのではと首をかしげたくなるものでもある。
日本では子供一人に対して払われている税金は年間何百万にもなっているため、お上頼みのこの体質は分からなくもないが、この歯止めとして、今回制定された教育基本法では、家庭教育の重要性を訴えている。イギリスでは不登校の子供の親に対して罰金を課しているが、こういう例も、参考にすべきであろう(イギリスは、かつての日本の教育事情を参考にしたという)。
一体、日本には公道徳というものがあったのだろうか。間引きやら姨捨山伝説やら皇位継承をめぐって身内で殺し合ったり、武家政権が長く続いたため農民を人間扱いしなかったりと、日本人が体質的に持っているものは決して誇らしいものではない。テレビ番組では、人をけなして笑いをとるという手法がまだまだ見られ、下品さは否めない。これは、ひがみ根性・ひがみを逆手にとって、一時の憂さ晴らしを狙ったもので全て否定されるべきではないのではあるが、笑いの質を上品な落語レベルまで上げる努力は必要だろう。
輪廻という考えは認めたくないが、両親間の親愛密度や家族・家庭でのしつけの仕方が何世代にもわたり永遠に連鎖・伝達されてきたわけであるから、この日本の風習を根底から変えるには時間がかかろう。
さてさて、自分自身を振り返ってみると、小学生まで私は上級生のいじめにあっていた(中学生になると体格的な成長もあってなくなった)。これは、学校の敷地外にエロ本が捨てられたりすると、授業をすっぽかしてまで読みふけっていたり、性別の意識なく女子と遊んだりしたということに歯がゆい思いを抱いた上級生の嫌がらせで、今となっては懐かしいものではある。言葉でネチネチと批判されたり、時には平手打ちを食らわされたりもした。このような経験もあって、いじめに加担することもなかった。
両親間の性格不一致もあって両親の喧嘩が絶えず、生きている意味・価値が見いだされず、小学生の時に自殺を考えたこともあったし、この思いは高校まで引きずられ、担任に「なぜ子供を産むのか」と尋ねたが、「子孫繁栄のため」という返答に戸惑ったこともあった。このような経験があったから、哲学を考究しようとしたのであるが、過度に「思いつめる」ことがなかったため、このように「能天気」な性格で生きていられるのかもしれない。
いじめを受けた人間・自殺を考えた人間は、それだけ「生きる」という意味について深く考えるため、人をおとしめたり、見下したりすることもなく生きていけるのかもしれない。逆にいうと、「いじめ」をしたという自覚がない人間は、一生情愛を身につけることがなく、他人を傷つけながら、つまらない人生を送るのかもしれない。
なお、いじめは、日本固有の現象ではない。上の記事を書いた後、『中央公論』2007.1月号を読んだが、p120でWHOが自殺予防の処方箋みたいなものを提供していることを初めて知った。 |