この言葉は、日中共同声明後に、田中角栄に渡された言葉であり、現代においても禍根をのこしているもの。
馬成三氏は、
「「硜硜然小人也」という言葉を根拠にして、日本の首相は中国指導者から「小馬鹿にされた」とか、「無学」とかとの指摘も一部の「碩学」者からも出たが、このような指摘は、現代中国における「言必信、行必果」の使い方や孔子の思想における「信」の意味を理解していないことによるものである。」
http://www.21ccs.jp/macheng/index-ma-04.html
と言う。
右翼よりとされる渡部昇一編、致知出版社の『四書五経一日一言』では、
「おそらく孔子は、君子というものをより高いものと捉えたゆえに、ちょっとした人ならやるようなことでは足りないよ、と言いたかったのでないかと思うのである。」
と言う。
原文は、
言必信、行必果、硜硜然、小人哉。抑亦可以爲次矣。(子路・20)
● 昭和45年版(初版 昭和28年の28版)の諸橋轍次著『論語の講義』では、
「言う言葉は必ず真実であり、その行うおこないは、やりかければ必ず最後までやりとげるという人物であれば、それでよろしい。もっとも、これは無理でも何でも必ずやり通すということに拘泥を持つ人で、いわば道ばたにころがっている堅い小石のような、コチコチの人物ではあるが、まずまずこれもまたその次の人物とすることが出来よう。」
● 昭和41年版(初版 昭和35年の10版)の吉田賢抗著『論語』では、
「一旦言ったことは必ず実行しようとし、一度やりかけたことは、必ず成し遂げようとする。いわゆる、信義を守り、果断決行の人物で、これはコツコツと小石のような音のする融通性のない小人物だが、まあまあ、その次の士といえよう。」
● 昭和45年・世界文学全集・所収『論語』倉石武四郎氏訳では、
「いうことはきっと違えず、行うことはきっとやりとげる、これは、こちこちとした小人ですね。」
過去の中国の注釈書では、以下のように言う。
【注疏】
曰言必信行必果硜硜然小人哉抑亦可以為次矣者、孔子又為言其次也。若人不能信以行義而言必執信、行不能相時度宜所欲行者、必果敢為之硜硜然者、小人之貌也
【朱子注】
小人、言其識量之淺狹也。此其本末皆無足觀、然亦不害其爲自守也、故聖人猶有取焉、下此則市井之人、不復可爲士矣。
つまり、出来もしないことを浅はかに出来ると宣言するような人は、結果が見えている、ということ。朱子注では、見識がイマイチだが、何とかやろうとしているところは評価できる、ということ。
原典を知っていれば、侮辱の言葉とも受け取れる。
抽象化して、相互の決意として捉えれば、WIN-WIN志向の言葉なのだが、以後の反日教育からして、そう思えない。
冒頭に記した、
「現代中国における「言必信、行必果」の使い方や孔子の思想における「信」の意味を理解していないことによるものである。」
という批判は、孔子を貶めた時代を、自ら顧みていない浅薄な精神性を露呈していると言えるのではないだろうか。このコロコロさには、参る。
難しい問題にぶつかった感じだ。