引っ越し

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日本人の背中

2008-11-03 21:40:03 | 日記・エッセイ・コラム

日本人の背中 井形慶子 サンマーク出版

上掲の本を読んだ。最近の本なので、去年までに日本で起こった、外資のマネーゲームに関しても書かれていた。

曰く、
「お金が猛威をふるう時代、ときにはお金が人の品性まで破壊するのです。……お金によって幸せがたやすく壊れていくことがあることに、全力をあげて警戒する。そんな生き方が、格差社会を生き抜く日本人ならではの智慧を生み出すはずです。」p221

ホリエモンのことにも言及していて、「醜く稼ぐ」手法に筆者も違和感を抱いているようだ。会社は株主のためだけにあるのではないと、主張しているが、ささやかな暮らしの中で、お互い助け合って生きていこうとする日本人の知恵を再評価している。

「絆 きずな」を大切にせず、労働者を単なる道具として使うような会社では、その労働者は与えられた仕事しかせず、会社への帰属意識も薄らぎ、社員一丸となって高品質な物を作ろうとする意識も失せてしまう。

具体的に言えば、同じ工程内で働く同僚がミスをしていても、注意するのは自分の仕事ではないから、放っておくというような連帯感のなさが生まれ、また、ばれなければいいとばかり、偽物を混入しても我関せずという道徳心が欠如した社風が醸成されかねない。

人の育成は、企業の根幹業務である。人を使い捨てにする企業の製品を、捨てられた社員は、一切購入しようとはしない。

おもちゃを作る工場を、中国に移してしまったため、国内には、技術の継承者が枯渇している。設計などコアな部分だけを日本にのこし、製造を海外に委託しようとしているが、かつて中小企業の金型メーカーの設計図を、自動車メーカー側が無断で複製し中国で生産委託したため、良質な金型を作ろうとする中小企業の意欲をそいでしまっている。

「先義後利者榮」と荀子が言うように、今一度、利益「猛追型」の経営を考え直すべきだろう。今や、これが、これからの経済・政治論調の中心潮流になるだろう。

一部のへなちょこな議員の存在や、その発言に対して、これまで以上、国民自身が責任を持たなければならない時期に来ているということか。任せきり、託しきりの時代の終焉か。

今は、労働者と資本家との対立というより、「持たざる者」が「持てあまし、有頂天にマネーゲームをする者」と、対峙すべき局面なのかもしれない。

参考文献 [正論 10月号]再生の鍵は日本的経営の復権にあり 中条高徳