引っ越し

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山下龍二先生をしのぶ

2012-07-19 03:33:53 | 日記・エッセイ・コラム

 面識はないが、中国思想文化学分野の橋本敬司氏は、51歳もの若さで逝去された。
同年2011年、山下龍二先生が逝去なされ、その追悼特集が届いた。大正13年9月生まれで、大正14年1月生まれの三島由紀夫と同年代。20歳の時、陸軍少尉となったが、召集解除で東大に復学した。

 研究発表会に出席された折、三島氏を「あいつ」と呼んでいたのは、軽蔑を含んだものではなかったのだろう。
 

 享年87。先生若き頃の社会情勢は、今とは比べものにならないほど過酷なものであったのだろう。飢餓体験の話題が追悼特集の中であったが、市川安司先生も、空襲で資料が焼かれ、勉強できる機会のある君たちが羨ましいという旨を何度もおっしゃっていた。

 生前、私が山下先生に不躾な質問をしたことは、研究発表会後の座談会でのこと。先生の御著書のこの部分の見解は、こうあるべきではないですかと、御著書と大漢和と他の資料を提示した。
それは、以前、こう書いた。

○特進光録大夫
 以前『王陽明』山下龍二・集英社p163の記述について、山下先生に直にお会いする機会があり、「特進」について疑義を申し上げたところ「とくに進めて」と解したことについて「特進」は熟語の官名として解するべきであり訂正したいとの旨をおっしゃられていた。
http://www2.ocn.ne.jp/~ichitubo/yomei/shoden.html
同席されていた佐野公治先生も、私の意見に同意されていたと記憶している。

 学部生に対する先生の講義姿勢は、温和であったと、論語講義を受講した高校の同級生から聞いていた。これは、特集にあった記述と符合する。
 陽明学研究を受け継ぐ研究者は、私の同輩・後輩を含めて多数いる。
ありがとうございました。

 


五十肩

2012-07-07 07:21:15 | 日記・エッセイ・コラム

肩こり体質ではないのだが、肩の関節を痛めてしまった。

3メーターほどの30年植えてあったピラカンサが、立ち枯れしたので、

丸一日で根っこから鋸・電動ジグソーを使って処分した。

ところが、翌日から、腕が上がらなくなり、関節が痛み出して、

病院から処方してもらったモーラス湿布をして寝てもズキンズキンして

途中で目覚めてしまう。

今まで飲めば効いていたアリナミンの錠剤もだめ。

そこでコエンザイムなるものを飲んだら、飲んですぐ痛みがやわらいでいった。

五十肩の悪循環が続かなくてよかった。