今年の夏にZガンダムの総集編の映画版が公開されるそうなのでそれに先駆けて(私の中では歴代ガンダム作品の中でも1,2を争うくらいに好きな作品である)『機動戦士Zガンダム』について振り返ってみようと思い、新しいカテゴリーを作りました。
とりあえず、不定期に1話ずつじっくりと感想を書いて振り返っていきたいと思っているんですが、“映画版Zガンダム”の公開までには感想を全て書き終えたいな、とも思っています(大丈夫かな^^;もしかしたら途中から4話毎にまとめて振り返るような形になるかもしれませんけどw)。
ちなみに、私はもうZを全話見ています。
なので、種デスのように予想(妄想w?)などは無く本当の意味での“感想文”になるかと思います(笑)(←だから、感想も短めになるかと)。
あ~、でも、Zを見たのは中学生の頃でしたからね。あれから全く見返していないのでどんな話かちと忘れかけていますね。
あの頃のZの印象と言えば、「カミーユとフォウが可哀想」「ティターンズは悪い大人が多い」とかいう印象しか無かったですからね(苦笑)。
果たして、今、Zを見て何を感じるのかがちと楽しみではありますw
と言う訳で、がさがさと押入れの中から昔、録画したビデオテープを引っ張り出したんですが、、、画像と音声がかなり乱れとります(笑)。20話辺りからは完全に音声が飛んでいるので(汗)、ビデオ屋にでも借りに行く事になりそうですけどw
さて、えらい前置きが長くなりましたが、そろそろ本題に入ります。
◆◆ニュータイプに憧れを抱く少年カミーユ◆◆
空港でブライトの搭乗したテンプテーションを待ち受けるカミーユ。
彼はファとのやり取りを見ても分かるようにニュータイプに対して漠然とした憧れを抱いているんだと思います。
しかし、彼自身、ニュータイプのシャアと通じ合っているのでニュータイプのはずなんですよね。
彼はその事(=自分がニュータイプであるという事)に気付いていないのではないかと思います。
前作でアムロがニュータイプに目覚めたのが終盤でのララァとの出会いがきっかけであった事を考えても、カミーユは早い段階からニュータイプとしての能力に目覚めているという事になるかと思えます。
ゆえに、カミーユは前作のアムロ以上に研ぎ澄まされた感性の持ち主だとも言えるかと思う次第です。
◆◆2人(3人?)の主人公◆◆
カミーユと通じ合う前作『機動戦士ガンダム』における英雄の“赤い彗星”ことシャア・アズナブル。
彼はカミーユと通じ合った時にララァを思い出し沈んだ表情を見せた事からも、未だに「ララァの死」を忘れられないでいるのだと思います。
そして、クワトロ・バジーナという偽りの名で以ってして偽りの仮面を被っている状態でもあります。
前作から7年の月日が流れており、もう年齢的にも立派な大人でもあるシャアと研ぎ澄まされた感性を持つカミーユ。
2人の主人公に2人のニュータイプ。
Zガンダムにおいてはこの2人の関係を中心に物語が織り成されるという事になるのでしょうが、ここに前作主人公のアムロが加わる事で“3人の主人公”によるドラマが描写されるとも解釈可能かと思います(←種デスでも3人だなぁ^^;)。
◆◆大人の集団ティターンズへの反発◆◆
名前を馬鹿にされた事に腹を立てジェリドに殴りかかったカミーユ。
彼はどちらかと言うと感情で動くタイプの人間なのではないかと感じさせるシーンだったとも思います。
それは“彼の若さ”がそうさせているとも言えると思いますけど。
そして、そんな子どもであるカミーユを見下しあざ笑う大人のエリート集団ティターンズ。
【スペースノイドとアースノイドの対立】,【大人と子どもの対立】等がカミーユとジェリドの対立関係から浮き彫りにされているのでは、とも思えます。
◆◆母のような少女ファ◆◆
爪を噛むカミーユに対して『良くないわ、その癖。やめなさいよ』と言うファ。
カミーユはそんなファの中に“母の姿”を見ているのかもしれません。
彼は1話の終盤で自分を迎えにきた母を無視して軍のワゴンを奪い逃走しました。
この事が意味する事は、彼が母に対して反発しているという事だと思います。
そして、ファに注意された時に浮かない表情を見せたのも、母親のように振舞うファへの反発ゆえだと感じ得ます。
よって、カミーユと母の対立は同時に母のように振舞うファとカミーユの対立をも生じさせているのでは、と思う次第です。
◆◆世代間確執◆◆
1話を見て思ったのは『機動戦士Zガンダム』におけるテーマの一つに【世代間確執】というテーマがあるのかな、という事です。
それは、少年カミーユが大人の集団ティターンズへ反発心を抱いている事や母を無視したり母のように振舞うファに浮かない表情を見せたりする事からも分かるかと思います。
ガンダムにおける永遠のテーマでもある【大人と子どもの関係】はZガンダムにもしっかりと反映されていると感じ得ますね。
ゆえに、ニュータイプに憧れを抱く少年カミーユがニュータイプであるシャアを、憧れの【ニュータイプ】として見るのか、ジェリドや母と同じく【大人】として見るのかという事が『Zガンダム』において物語を進めていく上でのポイントになるのでは、と思えます。
まだ、世界観がいまいち掴めていないですが、想像以上に長く書いてしまった1話の感想でした(続けられるかなw?)。
とりあえず、不定期に1話ずつじっくりと感想を書いて振り返っていきたいと思っているんですが、“映画版Zガンダム”の公開までには感想を全て書き終えたいな、とも思っています(大丈夫かな^^;もしかしたら途中から4話毎にまとめて振り返るような形になるかもしれませんけどw)。
ちなみに、私はもうZを全話見ています。
なので、種デスのように予想(妄想w?)などは無く本当の意味での“感想文”になるかと思います(笑)(←だから、感想も短めになるかと)。
あ~、でも、Zを見たのは中学生の頃でしたからね。あれから全く見返していないのでどんな話かちと忘れかけていますね。
あの頃のZの印象と言えば、「カミーユとフォウが可哀想」「ティターンズは悪い大人が多い」とかいう印象しか無かったですからね(苦笑)。
果たして、今、Zを見て何を感じるのかがちと楽しみではありますw
と言う訳で、がさがさと押入れの中から昔、録画したビデオテープを引っ張り出したんですが、、、画像と音声がかなり乱れとります(笑)。20話辺りからは完全に音声が飛んでいるので(汗)、ビデオ屋にでも借りに行く事になりそうですけどw
さて、えらい前置きが長くなりましたが、そろそろ本題に入ります。
◆◆ニュータイプに憧れを抱く少年カミーユ◆◆
空港でブライトの搭乗したテンプテーションを待ち受けるカミーユ。
彼はファとのやり取りを見ても分かるようにニュータイプに対して漠然とした憧れを抱いているんだと思います。
しかし、彼自身、ニュータイプのシャアと通じ合っているのでニュータイプのはずなんですよね。
彼はその事(=自分がニュータイプであるという事)に気付いていないのではないかと思います。
前作でアムロがニュータイプに目覚めたのが終盤でのララァとの出会いがきっかけであった事を考えても、カミーユは早い段階からニュータイプとしての能力に目覚めているという事になるかと思えます。
ゆえに、カミーユは前作のアムロ以上に研ぎ澄まされた感性の持ち主だとも言えるかと思う次第です。
◆◆2人(3人?)の主人公◆◆
カミーユと通じ合う前作『機動戦士ガンダム』における英雄の“赤い彗星”ことシャア・アズナブル。
彼はカミーユと通じ合った時にララァを思い出し沈んだ表情を見せた事からも、未だに「ララァの死」を忘れられないでいるのだと思います。
そして、クワトロ・バジーナという偽りの名で以ってして偽りの仮面を被っている状態でもあります。
前作から7年の月日が流れており、もう年齢的にも立派な大人でもあるシャアと研ぎ澄まされた感性を持つカミーユ。
2人の主人公に2人のニュータイプ。
Zガンダムにおいてはこの2人の関係を中心に物語が織り成されるという事になるのでしょうが、ここに前作主人公のアムロが加わる事で“3人の主人公”によるドラマが描写されるとも解釈可能かと思います(←種デスでも3人だなぁ^^;)。
◆◆大人の集団ティターンズへの反発◆◆
名前を馬鹿にされた事に腹を立てジェリドに殴りかかったカミーユ。
彼はどちらかと言うと感情で動くタイプの人間なのではないかと感じさせるシーンだったとも思います。
それは“彼の若さ”がそうさせているとも言えると思いますけど。
そして、そんな子どもであるカミーユを見下しあざ笑う大人のエリート集団ティターンズ。
【スペースノイドとアースノイドの対立】,【大人と子どもの対立】等がカミーユとジェリドの対立関係から浮き彫りにされているのでは、とも思えます。
◆◆母のような少女ファ◆◆
爪を噛むカミーユに対して『良くないわ、その癖。やめなさいよ』と言うファ。
カミーユはそんなファの中に“母の姿”を見ているのかもしれません。
彼は1話の終盤で自分を迎えにきた母を無視して軍のワゴンを奪い逃走しました。
この事が意味する事は、彼が母に対して反発しているという事だと思います。
そして、ファに注意された時に浮かない表情を見せたのも、母親のように振舞うファへの反発ゆえだと感じ得ます。
よって、カミーユと母の対立は同時に母のように振舞うファとカミーユの対立をも生じさせているのでは、と思う次第です。
◆◆世代間確執◆◆
1話を見て思ったのは『機動戦士Zガンダム』におけるテーマの一つに【世代間確執】というテーマがあるのかな、という事です。
それは、少年カミーユが大人の集団ティターンズへ反発心を抱いている事や母を無視したり母のように振舞うファに浮かない表情を見せたりする事からも分かるかと思います。
ガンダムにおける永遠のテーマでもある【大人と子どもの関係】はZガンダムにもしっかりと反映されていると感じ得ますね。
ゆえに、ニュータイプに憧れを抱く少年カミーユがニュータイプであるシャアを、憧れの【ニュータイプ】として見るのか、ジェリドや母と同じく【大人】として見るのかという事が『Zガンダム』において物語を進めていく上でのポイントになるのでは、と思えます。
まだ、世界観がいまいち掴めていないですが、想像以上に長く書いてしまった1話の感想でした(続けられるかなw?)。
仲間です。
テレビ埼玉は、1stの放送が終了し、続いて先週からZが始まりました。
僕は、地上はOnlyですが(爆)
Zでもちょくちょくお邪魔します\(^O^)/
タイトルいいっすね(笑)。
「刻の涙を見る」はZのうたい文句みたいなもんですから。
自分も再放送で見てましたがかなりはまりりましたね(笑)。
この頃のカミ―ユはまだまだ青さがありますよね。
●ニュータイプを自覚していないカミーユ
カミーユも自分がニュータイプだと分かっていないからシャアと感じあってしまう自分を不思議に思ったのかもしれませんね。
●世代間確執
ああ、言われてみればそうかもしれませんね。
どっちかっつーと地球人VS宇宙人(言い方変ですかね?)という感じがあったのですが、大人VS子供とも見れますね。
ファについては納得しました。
カミ―ユはファをそういう風に捉えていたのかも。
映画版、画像が綺麗になるらしいので自分もチケットを予約しようと思います。
では。
「Z」は間違いなく名作です。ものすごくシビアすぎて商品としては失敗ですけど。「Z」がなけでば後のガンダムはなかったくらいですからそれくらい重要な作品です。
さて、世代交代の話ですが、実はこれ、製作サイドでの
「世代交代」も意味していたようです。富野監督のしたには「FSS」の永野護さんとかが仕事していましたし。そのことが作品にも随分影響しているようですね。
「君は刻の涙を見る・・」というナレーションは、1stからの流れでみないとわからないのです。
1stで、ララアは「・・刻が見えるわ」といって散りました。そう、新しい時代の到来(ニュータイプ)を予感させて1stは終わったわけです。しかし、「Z」では、それが「刻の涙」になるのは、まあ、最終回を見ればわかることですが、富野監督が言いたかったのは、早すぎる覚醒というのは、結局破綻するしかないんだということらしいです。四気筒のエンジンしか詰めない車体にいきなり8気筒くらい搭載してしまう・・そういうのがカミーユの立場だったそうですよ。
僕が好きなのは終盤に、カミーユが戦いを終わらせるために進んで戦場に赴くようになったのを、ファが心配して「ニュータイプなんてありもしないものに振り回されて、どうして戦わなければならないの?」とカミーユに問い掛けているのを、クワトロが扉の影で聞いてしまうシーンです。ジオン・ズム・ダイクンが提唱しなければ、今の戦争はなかったかもしれない・・・クワトロの背負った運命は重いです。基本的には苦悩しているクワトロが、シャアでは一番好きですね・
富野監督はこの作品から、ガンダムを憎んでいくようですが(爆)。
映画は見に行きたいですね~
Zガンダム、想い入れが深い方が多くいらっしゃり、
いろんな考え方を持った方がいるとは思いますが、
日頃、いいちこさんには、「種デス」でお世話になっているので、
私も自分なりに想った事を少しコメントさせて頂きます。
シャアは、Zだとファーストより数段格好良く、成長してますね。金色(のMS)は渋いお兄さんの印かw。(そういう意味では、ガンダムWのゼクスは、シャアをかなり意識して作ったキャラなんですねw。「種」、「種デス」では誰がそれに当るのでしょうか?アスラン?ラウ?ノア?あるいは、様々なキャラが、クール毎にその役目を果たすのかもしれませんね。)
カミーユは、女みたいな自分の名前に、凄くコンプレックスを抱えているですよねw。だからあえて柔道?とかやって男らしくなろうとか努力しているんですよね。そしてティターズとエゥーゴの戦いに巻き込まれてしまった。傲慢なジェリド・メサ、あの1年戦争の英雄?ブライト・ノアをコケにするティタンズが憎くて、感情的になってエゥーゴに参加してしまったんですよね(なんかこれまでの“子供ぽいシン”はカミーユと被る所がかなりあるのかも、年上のルナとの関係、敵の女パイロットの出会いもまた・・・)。
早速、そちらにもコメントさせて頂きました(笑)。
あっちゃさんもZを見られているようなので共に考察していきましょう☆
私の場合はかなり昔(中学時代)にZを全話見終えているので、これからの感想は本当にただの“感想”と化しそうですけどw
感想を書いていく過程で昔の考えと変わった事でも発見する事ができればしめたものとは思いますけどねw
ゆえに、ちょっとわくわくしている始末です(苦笑)。
>天馬竜さん
うちのブログはタイトルがころころ変わりますのでw
『とことん青春!』だけは変えるつもりはないですが、語尾のフレーズは一定していませんねw
毎回、次回予告で「刻の涙を見る」というナレーションが流れましたからね。
このフレーズはZを表しているものだと思っても良いかと感じ得る次第です。
>どっちかっつーと地球人VS宇宙人(言い方変ですかね?)という感じがあったのですが、大人VS子供とも見れますね。
ガンダム用語(?)ではアースノイドとスペースノイドという風になっているんじゃないですかね。
その対立は前作から引き継がれている訳ですけど、今作では大人と子どもの対立が更に激化する様相を呈している感もあります。
前作ではブライトとアムロの対立がありましたが、ブライトは19歳だから完全な“大人”とは言い切れませんしね。
アムロとアムロの両親との対立軸ははっきりしていた訳ですけど。
>映画版、画像が綺麗になるらしいので自分もチケットを予約しようと思います
前もって売り出されるみたいですしね。
楽しみではあります。
どうやら3部作になるようですけど。
>アマル・シャタカさん
>ものすごくシビアすぎて商品としては失敗ですけど
私も名作だと思いますが、何せ富野監督自身が『Zは最大の失敗作』と仰っていますからね(汗)。
監督は『こういう作品を作ってはいけない。若い人に見せてはいけない』と仰っていましたが、私としてはアマルさんの仰るように後の作品へつながる重要な位置付けにある作品だったと思います。
逆シャアにしてもZが無ければ存在しない作品だった訳ですし。
>富野監督のしたには「FSS」の永野護さんとかが仕事していましたし
製作者サイドも世代交代をしていたんですか。
私は世代交代はZZからだと思っていましたが、確かに永野さんも加わっていますよね。
MSも1stのような合体系MSが無くなり、MSからMAへ変形できる機体が多量に登場しましたからね。
この“MSの革新”が後の作品にもしっかり受け継がれていますよね。
>新しい時代の到来(ニュータイプ)を予感させて1stは終わったわけです。
確かに、1stの終わり方は“新たな時代”の到来を示唆していたとも捉えられますよね。
その“人の革新”がZでは本格的に描かれる事となったと。
だから、カミーユは1話の段階でニュータイプとして覚醒しているという設定なのかもしれませんね。
>四気筒のエンジンしか詰めない車体にいきなり8気筒くらい搭載してしまう・・そういうのがカミーユの立場だったそうですよ。
ここら辺は人間のキャパシティーの限界を描写しようとしていたのかもしれませんね。
とりあえず、まだ感想が1話の段階なので後々、この事については振り返ってみようと思いますけど。
>ジオン・ズム・ダイクンが提唱しなければ、今の戦争はなかったかもしれない・・・クワトロの背負った運命は重いです。基本的には苦悩しているクワトロが、シャアでは一番好きですね
シャアはジオンの血を引く者ですからね。
前作では復讐に身を染めていた訳ですが、今作では立場が全く違いますからね。
前作では「若さゆえ」の自信や過信というものがシャアにもあったと思うのですが、今作ではもういい年の“大人”ですからね。
その“大人”であるシャアが若い少年カミーユに何を見て取る事になるのかがポイントになりそうな感もあります。
>映画は見に行きたいですね~
映画版はかなり出来が良いのではないかと期待しています。
できれば、初日に見に行きたい所ですね(笑)。
どのように作品が変化しているのかが楽しみな点ではあります。
富野監督はZを毛嫌いしていただけに終わり方があのような形になるのかが最大の注目点だと思いますけどw
>銀矢さん
私は長文が持ち味だと自負しておりますので。
でも、あんまり長文を書きすぎるとちと疲労も溜まってしまうんですけどねw
それでも、長文を書きまくってしまうのは、やはり自分が“ガンダムばか”だからだと思う次第です(苦笑)。
>シャアは、Zだとファーストより数段格好良く、成長してますね
あの悩めるシャアの姿は賛否両論ありそうですが、私は苦悩するシャアもアリだと思いますね。
1stで自信に満ちた怖いもの知らずのシャアがZではこのように苦悩してしまっている。
その大きな要因にはやはり「ララァの死」が背景にあるからだとも感じ得ます。
>金色(のMS)は渋いお兄さんの印かw。
私は百式の大ファンですよ!
実は百式が歴代ガンダムのMS史上で最も好きな機体なんです。
赤から金にカラーを変えたシャア、ですが、苦悩してる時の方が目立ちたくなってしまうのかな、とも思ってしまったりもしますw
シャアの位置付けはWでは仰るようにゼクスでしょうね。
SEED&DESTINYでは誰なんでしょうね。
仮面つながりではクルーゼとネオですが、キャラがシャアとは違うから、アスランがこのポジションに近い位置にいるのかな、とも思います。
>なんかこれまでの“子供ぽいシン”はカミーユと被る所がかなりあるのかも
仰るようにカミーユはシンのように感情で突っ走るタイプですよね。
ゆえに、彼も私怨に身を任せるタイプなのではないかと。
SEEDとDESTINYの関係は1stとZの関係のようにも思えますよね。
このカミーユのティターンズに対する憎悪の感情の変化を感想で書いていければ良いな、と思います。
カミーユとジェリドの対立は正に大人と子ども、ニュータイプとオールドタイプの関係の縮図のようなものだとも感じ得ますし。
他の所でもコメントさせていただきましたが、
・いわゆる「続き物」
・登場人物が多めで主人公に焦点があたらない。
・前作主人公は巻き込まれ系、新作主人公は積極参加系。
・前作主人公はナイーブ系。主人公はキレ易いタイプのひねくれ系。
・新作において前作主要登場人物(Z=アムロ&シャア、種デス=キラ&アスラン)の意志(主張)が見えない。
・勢力関係や政治状況が複雑でわかりにくい。つまり、”敵”が誰かわかり難い。
などなど
Zガンダムは、大勢のキャラクターと複雑な勢力図から各話の関係性が見えにくく、シリーズ全体にわたって、テーマ、キャラクターの”中心”が定まらなかった。どうも、全体的に表層的な話が淡々と流れていくドラマになってしまった。
Zを楽しむためには、視聴者は、複雑な勢力関係を理解すること、前作との関係性、および見えにくいキャラクターの主張を勉強する必要があった。つまり、視聴者に”努力”を要求する話しでした。したがって、エンターテイメントとして、Zガンダムは一般的には成功したは言い難い結果となりました。それでも私は一番好きなガンダムシリーズなのですがww
Zガンダムを振り返ると、もう少しキャラ数を少なくすることによって、描く対象を限定した方が印象深いお話になったと思います。たとえば、レコア、ロザミア、カツ、サラ・・・・この辺は描く必要のないキャラなんですよね。基本的に本筋とは関係ない。
SEED1は世界観のリアリティとかテーマの深遠さというよりは、エンターテイメント性を追求したこと、および良くも悪くも分かりやすい(ありがちな)お話だったことが売りだと思います。
一方、種デスを見ていると、Zで犯した同じ過ちをなぞっているよーに見えてしまう。
いわゆる、”風呂敷拡げすぎてなんとやら”
というやつです。もう後には引けないでしょうが・・
初めまして。
書き込みありがとうございます。
>登場人物が多めで主人公に焦点があたらない
カミーユはZファンの間ではあまり人気が無かったらしいですからね。
彼は悪役のような主人公だったようにも思える次第です。
でも、シンよりはよっぽど目立っているとも思いますが(それはアムロが目立っていなかった事も要因としてある訳ですけど)。
>前作主人公はナイーブ系。主人公はキレ易いタイプのひねくれ系
これがカミーユに棘があると言われる所以かもしれませんね。
確かにアムロに比べれば感情移入を拒まれるタイプのキャラではありましたけど。
>Zを楽しむためには、視聴者は、複雑な勢力関係を理解すること、前作との関係性、および見えにくいキャラクターの主張を勉強する必要があった。つまり、視聴者に”努力”を要求する話しでした。したがって、エンターテイメントとして、Zガンダムは一般的には成功したは言い難い結果となりました。
確かにZは複雑すぎましたよね。
特にハマーン率いるアクシズの台頭等で複雑な勢力図が更に複雑化したようにも思えました。
キャラの主張の見えにくさはSEEDやDESTINYも同じくらい分かりにくいかとも言えると思います。
SEEDにおいては“間と雰囲気”で登場人物の心理を描写していましたし(←私はその描写が好きだった訳ですけどw)。
Zでも特にシャアの台詞で不可解な台詞が多かったようにも思えます(←これは後々の感想で振り返ってみようと思いますが)。
>Zガンダムを振り返ると、もう少しキャラ数を少なくすることによって、描く対象を限定した方が印象深いお話になったと思います
これはDESTINYにも言える事ですよね。
シンやステラよりキラやラクスの方が目立っていますし。
仰るように話の筋がばらけ気味だったのもキャラの数の多さが原因かと思います。
>SEED1は世界観のリアリティとかテーマの深遠さというよりは、エンターテイメント性を追求したこと、および良くも悪くも分かりやすい(ありがちな)お話だったことが売りだと思います
福田監督はそれを目指すと仰っていましたからね。
美形キャラが多く、戦闘シーンが派手である所以かと思います。
うずらさんの仰るように、ZとDESTINYの違いはエンターテイメント性の有無もあると思いますが、個人的に、ZとDESTINYの最大の違いは、Zは“新作”であり、DESTINYは“続編”である事だと思っていますけどね。
DESTINYは前作SEEDで消化しきれなかったテーマも描こうとしていますからね。
そう考えると、Zより更に風呂敷を広げているとも言えるかもしれません。
ZとSEEDはよく似た構造ですよね。
しかし、Zは新作で、SEEDは続編。確かに。言い得て妙だと思います。カミーユはちゃんと主人公していましたが、シンは今のところ主人公とは言いがたい。なんのために新しい主人公を立てたかわからない状態です。
結局、アスランのキャラが中途半端なのが最大の原因なような気もするのですが。彼を、軍人としてしか生きられないような男ではなく、もう少し、口の立つ政治家的なキャラに成長させていればストーリーも違っていたはず(そうなると、ますますクワトロ・バジーナ化してしまいますね)。
ところで、カミーユ、人気なかったのですか? 私にとってはアムロよりも感情移入しやすい主人公でしたよ。ストーリーが進むに従って、どんどんやさしくなっていく彼の繊細さが胸にせまって、最後は涙が出そうでした。カミーユの成長物語としてみれば、キャラの多さも話の筋がばらけ方も気にはなりませんでしたし。
さて、シンはカミーユみたいになれるのでしょうかね。なんにしても、SEED-Dは前作のラストで芽生えた芽を摘んでしまうところからストーリーが始まってしまい、どうしても同じことを繰り返しているといった印象が否めません。この調子では、ミネルヴァ同様(シナリオの)落ち着き先がどこにもない、なんてことになっちゃうんじゃないかと不安ではありますが、こればっかりは最後まで見守らないとわかりませんものね。シナリオ陣の力業に期待したいと思います。
以上、長文コメント、すみませんでした。
どうも、初めまして。
よろしくお願いします。
やはり、皆さんもZへの注目度が高いみたいですね。
劇場版公開が楽しみです。
>しかし、Zは新作で、SEEDは続編。確かに。言い得て妙だと思います。カミーユはちゃんと主人公していましたが、シンは今のところ主人公とは言いがたい。なんのために新しい主人公を立てたかわからない状態です
実は、福田監督がシンが主人公である事自体ダミーだ、みたいな事を仰っていましたからね(汗)。
だから、シンは主人公としての存在感がいまいちなのかとも思ってしまう次第ですw
一方でカミーユはシンのようなキレキャラではありますが、曲がりなりにも(?)主人公としては描写されていたように感じ得ますね。
>結局、アスランのキャラが中途半端なのが最大の原因なような気もするのですが。彼を、軍人としてしか生きられないような男ではなく、もう少し、口の立つ政治家的なキャラに成長させていればストーリーも違っていたはず
正しくそうです。
私も彼には戦う以外での平和的解決をカガリと共に模索して欲しかったのですが、いつの間にか戦場でドンパチをやってしまっていますからね(汗)。
そこの所はちと残念な点でもあるのですが、シャアは政治家としてもパイロットとしても一流でしたからね。
しかし、苦悩していたという構図が個人的には好きでしたけど。
>ところで、カミーユ、人気なかったのですか?
らしいですね。
私も嫌いでは無かったんですが、ZよりもZZでのカミーユの方が人気があったみたいです。
若干、棘はありましたが、私も途中からは感情移入して見ていました。
>シンはカミーユみたいになれるのでしょうかね。なんにしても、SEED-Dは前作のラストで芽生えた芽を摘んでしまうところからストーリーが始まってしまい、どうしても同じことを繰り返しているといった印象が否めません。この調子では、ミネルヴァ同様(シナリオの)落ち着き先がどこにもない、なんてことになっちゃうんじゃないかと不安ではありますが、こればっかりは最後まで見守らないとわかりませんものね。シナリオ陣の力業に期待したいと思います
これがDESTINYが続編たる所以なのではないかとも思います。
いまいち、ストーリーの流れ(と言うか、テーマ)がはっきりしていませんからね(汗)。
それは、まりんさんの仰るように前作のテーマが今作にも持ち越しになったからだと思う訳ですけどね。
シンが(アスラン絡みとは言え)成長しそうな感もあるので今後の展開に期待したい所でもあります。