存在するという事はかくも苦しい事かな。
11話感想。
◆◆存在するという事◆◆
生きるという事はこの世に「存在する」という事を意味する。
アレルヤ、スメラギ、そして、刹那を始めとするキャラクター達はこの世に「存在する」という事の意義を考え始めている。
そこから見えてくる「本当の自分」とは…。
といった内容を詰め込んだのが今回の話だったんじゃないかな。
◆◆ソーマの存在意義◆◆
作戦完遂に全力を尽くします
私はそのためだけに存在を許されているのですから
「超兵としての自分」こそがこの世に「存在する」事を許されている「本当の自分」であるとするソーマ。
つまり、彼女が「超兵」でなくなる事は、この世に「存在する」事を許されない事と同義であり、万死に値するのです。
今後、彼女は「超兵としての自分」が「本当の自分」とイコールであるか否かについて疑念を抱く事になるのでは、と予想している次第です。
◆◆本当の自分とは◆◆
他人なんざぁどうでもいい!
俺は俺という存在を守るために戦う!!
自分がこの世に「存在する」ためには同胞を撃つしかないとするハレルヤ。
そうしなければ、同胞はいずれ敵となって自分を殺しに来るのだ、と。
この場面で興味深かったのがアレルヤとハレルヤのやり取りで、
なら お前はなぜここに来た!?
僕は…ソレスタルビーイングとして!
殺しに来たのか?
違う!ガンダムマイスターとして!!
立場で人を殺すのかよ?
引き金くらい感情で引け!己のエゴで引け!!無慈悲なまでに!!!
アレルヤは、「人殺しである自分」を受け入れる事を恐れて、「マイスターとしての自分」を盾にする事で、崇高な理念の下に引き金を引くのだ、「本当の自分」はただの人殺しではないのだ、と自分に言い聞かせていた。
そんなアレルヤに対して「人殺しである自分」こそが「本当の自分」なのだ、と叫ぶハレルヤ。
撃ちたくないんだぁぁぁ!!!
アレルヤが「撃ちたくない」と絶叫したのは「人殺しである自分」が「本当の自分」であると認めたくなかったから。
その事実を突きつけてくるハレルヤも自分の中では認めたくない「偽りの自分」であるので、虚構の世界の彼に対しても引き金を引いたのでしょう。
「人殺しであるハレルヤとしての自分」ではなく「マイスターとして戦うアレルヤとしての自分」こそが「本当の自分」なのだ、と信じたかったのでしょうね。
今回はアレルヤが「本当の自分」を見出すきっかけになりそうな話の内容でしたな。
そして、彼が今回の話で真に味わったものはスメラギとの会話で明らかになるのです。
◆◆存在する事の苦しみ◆◆
なぜこんな苦いものを・・・
アレルヤが味わったものは「存在する」事の苦しみ。
同胞を殺して自分だけ生き残っている事に対する苦しみ、「人殺しである自分」を「本当の自分」として認めざるを得ない苦しみ。
酒を飲む事で現実から逃れようとするが結局は逃れられない事を酒は教えてくれる、といったところか。
自分が現実に「存在する」という証を“苦味”という感覚で理解する、と。
何せ死んでいればそういった感覚は全く持つ事ができませんから。
スメラギもまた現実で「存在する」事の苦しみを理解しているのでしょうね。
過去の予測ミスによって自分以外の仲間が全員死に、自分だけ生き残ったという苦しみを味わっているとか。
酒の苦味と「存在する」事の苦しみとをかけた上手い演出ですな。
以前、刹那が
俺は生きている
生きているんだ
と言っていましたが、この台詞の意味も「俺は存在している」という意味だったのでしょうね。
自分は親殺しの苦しみを味わいながらもこの世に存在しているのだ、と。
自らの手で同胞を殺したアレルヤの立場は親殺しの刹那の立場と同じですしね。
同胞抹殺後に涙するハレルヤの姿は、正に「存在する」事の苦しみを味わった姿を表現していました。
彼もまた人間なのだ、と。
今回はアレルヤの心理を掘り下げる事で「存在する事の苦しみ」,「本当の自分」というテーマを上手く表現していたと思う次第です。
以上、11話感想でした。
11話感想。
◆◆存在するという事◆◆
生きるという事はこの世に「存在する」という事を意味する。
アレルヤ、スメラギ、そして、刹那を始めとするキャラクター達はこの世に「存在する」という事の意義を考え始めている。
そこから見えてくる「本当の自分」とは…。
といった内容を詰め込んだのが今回の話だったんじゃないかな。
◆◆ソーマの存在意義◆◆
作戦完遂に全力を尽くします
私はそのためだけに存在を許されているのですから
「超兵としての自分」こそがこの世に「存在する」事を許されている「本当の自分」であるとするソーマ。
つまり、彼女が「超兵」でなくなる事は、この世に「存在する」事を許されない事と同義であり、万死に値するのです。
今後、彼女は「超兵としての自分」が「本当の自分」とイコールであるか否かについて疑念を抱く事になるのでは、と予想している次第です。
◆◆本当の自分とは◆◆
他人なんざぁどうでもいい!
俺は俺という存在を守るために戦う!!
自分がこの世に「存在する」ためには同胞を撃つしかないとするハレルヤ。
そうしなければ、同胞はいずれ敵となって自分を殺しに来るのだ、と。
この場面で興味深かったのがアレルヤとハレルヤのやり取りで、
なら お前はなぜここに来た!?
僕は…ソレスタルビーイングとして!
殺しに来たのか?
違う!ガンダムマイスターとして!!
立場で人を殺すのかよ?
引き金くらい感情で引け!己のエゴで引け!!無慈悲なまでに!!!
アレルヤは、「人殺しである自分」を受け入れる事を恐れて、「マイスターとしての自分」を盾にする事で、崇高な理念の下に引き金を引くのだ、「本当の自分」はただの人殺しではないのだ、と自分に言い聞かせていた。
そんなアレルヤに対して「人殺しである自分」こそが「本当の自分」なのだ、と叫ぶハレルヤ。
撃ちたくないんだぁぁぁ!!!
アレルヤが「撃ちたくない」と絶叫したのは「人殺しである自分」が「本当の自分」であると認めたくなかったから。
その事実を突きつけてくるハレルヤも自分の中では認めたくない「偽りの自分」であるので、虚構の世界の彼に対しても引き金を引いたのでしょう。
「人殺しであるハレルヤとしての自分」ではなく「マイスターとして戦うアレルヤとしての自分」こそが「本当の自分」なのだ、と信じたかったのでしょうね。
今回はアレルヤが「本当の自分」を見出すきっかけになりそうな話の内容でしたな。
そして、彼が今回の話で真に味わったものはスメラギとの会話で明らかになるのです。
◆◆存在する事の苦しみ◆◆
なぜこんな苦いものを・・・
アレルヤが味わったものは「存在する」事の苦しみ。
同胞を殺して自分だけ生き残っている事に対する苦しみ、「人殺しである自分」を「本当の自分」として認めざるを得ない苦しみ。
酒を飲む事で現実から逃れようとするが結局は逃れられない事を酒は教えてくれる、といったところか。
自分が現実に「存在する」という証を“苦味”という感覚で理解する、と。
何せ死んでいればそういった感覚は全く持つ事ができませんから。
スメラギもまた現実で「存在する」事の苦しみを理解しているのでしょうね。
過去の予測ミスによって自分以外の仲間が全員死に、自分だけ生き残ったという苦しみを味わっているとか。
酒の苦味と「存在する」事の苦しみとをかけた上手い演出ですな。
以前、刹那が
俺は生きている
生きているんだ
と言っていましたが、この台詞の意味も「俺は存在している」という意味だったのでしょうね。
自分は親殺しの苦しみを味わいながらもこの世に存在しているのだ、と。
自らの手で同胞を殺したアレルヤの立場は親殺しの刹那の立場と同じですしね。
同胞抹殺後に涙するハレルヤの姿は、正に「存在する」事の苦しみを味わった姿を表現していました。
彼もまた人間なのだ、と。
今回はアレルヤの心理を掘り下げる事で「存在する事の苦しみ」,「本当の自分」というテーマを上手く表現していたと思う次第です。
以上、11話感想でした。