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葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会The Tokyo War Memorial Walkers

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ドラム缶と戦争犯罪

2025年01月26日 | 人骨の会・731部隊・石井四郎

鋼鉄製のドラム缶は、タイトヘッドドラム(天板固着式缶)及びオープンヘッドドラム(天板取り外し式缶)があります。

画像は「日鉄ドラム(株)」ホームページより

タイトヘッドドラム缶(天板固着式缶)

オープンヘッドドラム缶(天板取り外し式缶)

 

旧関東軍第516・526部隊は、毒ガスを研究し、爆撃機から毒ガスを雨下させる練習を天竜川付近で行っていました。

2003年08月、関東軍化学部・化学部練習隊(第516・526部隊)があった中国チチハル市内の団地工事の時に、イペリットが入ったドラム缶から、液体を浴びた人々は、猛烈な皮膚の痛み・痒み、目の痛み,吐き気に襲われ、数時間後には、毒ガスに接触した皮膚が水疱になり、後にびらん状態となっていった。被害にあった人々のうち、廃品回収所で液体を掬いだす作業をしていた一名の方は、ほぼ全身に毒ガス液を浴びたため、死亡しました。「タイトヘッドドラム缶(天板固着式缶)」による事故です。(化学兵器被害解決ネットワーク)より

人骨の会」(軍医学校跡地から発見された人骨問題を究明する会:代表川村一之)の「究明する会ニュース」を見ますと、陸軍軍医学校内防疫研究室の屋上に生首が入ったドラム缶があったそうです。

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究明する会ニュース221号要約 2024年7月4日
<人骨発見35周年企画(二)731部隊の関与を示唆した軍医学校関係者 アンケート調査の回答を検証する> 川村一之
 厚生労働省の「人骨の由来調査」(2001年6月14日)に記載されている旧陸軍軍医学校関係者への「郵送によるアンケート調査」の回答が開示された。旧陸軍軍医学校関係者293名へのアンケートが送付され、有効な回答は23通。
【人骨発見場所に関する記述】
 5名から回答があり、概ね実験動物の飼育場にあたるとの回答。
【標本類の保管場所に関する記述】
 歴史的な標本を保管している標本室以外に、(1)軍陣病理学教室5通、(2)八角講堂(臨床講堂)4通、(3)記念講堂1通、(4)防疫研究室の屋上3通と4か所に分かれている。
【標本の由来に関する記述】
 戦場に遺棄された敵兵と旧満州で処刑された「馬賊・匪賊」の遺体とする二つのルートが明らかにされた。
アンケート調査の結果、明らかになったのは軍医学校が標本とした戦死体の収集には二つのルートがあった。
 一つは軍陣病理学教室が中心となって特殊班を編成して直接収集し、軍医学校の卒業生にも収集を依頼して集めていたということ。収集時期は日中戦争が本格化した1937年以降。収集した標本類は病理学教室の周辺に保管しきれず、八角講堂(臨牀講堂)や記念講堂にも置いていた。そして収集した戦死体とは中国兵だった。
 もう一つは731部隊のルート。防疫研究室の屋上で保管されていた遺体は病理学教室で収集した戦死体とは異質である。遺体は満洲事変当時の関東軍によって処刑された「馬賊、匪賊」であるという。
 特に信憑性のある回答としては(NO・81)氏の「昭和●●年夏、ハルピンよりドラム缶のホルマリン漬の生首が届けられ、我々は使役でこの取り出しに参加しました。嘔吐をしたのを覚えています。」という体験談。同様の証言は他に2件ある。

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生首が入っていたのは「オープンヘッドドラム缶(天板取り外し式缶)」です。

陸軍北方部隊略歴(防衛省防衛研究所蔵書)

(続く)

 

 

 

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