陸軍大臣東條英機自宅跡は、これまで世田谷区の戦争遺跡としての位置づけが弱かったように思っていました。本日、世田谷区用賀1-10-24にある自宅跡(立正佼成会東京教区東京西支教区世田谷教会)をデジカメで撮りにいってきました。
世田谷区図書館から長男英隆氏の長女・東條由布子氏の著作「東條家の母子草」「家族愛 東條英機とかつ子の育児日記・手紙より」を借りて読みました。
「東條家の母子草」(恒文社21刊)に
『 用賀の家は八幡山といわれる雑木林を買い取ったもので、八百七坪ありました。たしかに敷地だけは広かったのですが、住まいそのものは簡素な軍人らしい住まいでした。
米軍は、空襲する際に、「こんな粗末な家のはずがない」と、隣の鍋島邸をわが家だと思い込んで爆撃をしたほどでした。【注】
敷地は広いのですが、そのほとんどが雑木林でした。祖母が亡くなった後、相続税が払えずに、昭和五十八年、東急さんに売却しました。その四ヶ月後、東急さんは、立正佼成会に売られて今は同会の世田谷教会になっているはずす。
立正佼成会の「道場建設のあゆみ」という小冊子には、「樹木が生い茂る奥に、小さな邸宅跡がありました。これが戦時中、用賀御殿といわれていた邸宅かと、一同びっくりしました。そういえば、生前の東條英機夫妻は、人並みはずれた世話好きで、そのためにはおしげもなく金を出していつも生活は質素に徹していたとのことです」と綴られています。
実際、用賀の家は、玄関を入ると、八畳間の応接間があって、六畳が二間と十畳と台所だけでした。「小さな邸宅跡」というのが正確なところでしょう。祖父母が苦楽をともにした用賀の家も、今は思い出のなかだけになりました』(P112~P113)
【注】米軍は、占領後の高級将校宿舎にする予定で目黒区前田侯爵邸などを空襲目的から外したと聞いたことはありますが、東條英機自宅(隣の鍋島邸)をピンポイントで空襲したのか連休明けに調査したいと思います。さらに南隣に小さな「世田谷区立用賀一丁目公園」がありますが、この由来も気にかかりますので世田谷区に聞いてみます。
【追記】世田谷区に聞きましたら、南側のマンション建設時に、公開空地としての「公園」でした。
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