管理人が、記憶に残っていて何時でも口ずさむことができる歌謡曲は、1948(昭和23)年発売の岡晴夫「憧れのハワイ航路」でした。並木路子の「リンゴの唄」や美空ひばりが唄っていた曲も沢山あったはずですが、何故「憧れのハワイ航路」なのかを考えました。
大きくなったら兵隊さんになりたかった軍国少年の管理人は「真珠湾攻撃」の勇ましい話だけを刷り込まれていたと考えられます。
山本五十六長官が指揮して太平洋艦隊が大戦果を上げたと教えられてきた”ハワイの真珠湾”と「波の背を バラ色に 染めて真赤な 夕陽が沈む」”ハワイ”の余りの落差に、小学校5年生だった管理人にとっては、心のどこかに感じるものがあったのだと思っています。
敗戦の詔勅をラジオから聴いたのは国民学校三年生でした。少国民にとっては、学校が生徒を映画館へ連れて行って観せた「ハワイ・マレー沖海戦」やニュース映画「日本軍ハワイ真珠湾攻撃」、そして「桃太郎 海の新兵」のイメージしかなかったけれども、対照的な明るくタイトル通りの憧れにもなったのであろうか。
杉並区立桃井第四国民学校入学の時。(杉並区井荻一丁目の自宅前で)
2017年11月5日(土)にABC放送創立65周年記念スペシャルドラマの柴咲コウ主演「氷の轍」を観ました。物語は北海道釧路から青森県八戸に場面が移りますが、ストリップ小屋で暮らす姉妹が何時も口ずさんでいる歌が、岡晴夫の「憧れのハワイ航路」でした。ストリップ嬢だった母親は、姉妹を人買いに売り渡してしまいます。人買いは、青函連絡船の甲板に置かれた木箱に姉妹二人を押し込めます。木箱の中で、姉妹は「憧れのハワイ航路」を小さな声で歌いながら励ましあいます。ここで思わず涙腺が濡れてきました。暗い運命を背負った姉妹の津軽海峡と対比して底抜けに明るい「憧れのハワイ航路」だったのです。音楽監督は稲本響でした。
(了)