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お散歩猫のキキとヒゲおじさんの日常

ヒゲおじさんは元遊園地の園長で家庭料理人、今は新聞の料理コラムニスト、猫のキキと前橋な毎日と家庭料理をお届けします。

斉藤茂吉の生家のある旧金瓶村を訪ねて…  山形紀行 その3

2010-06-13 23:00:19 | ヒゲクマとキキの日記

Dscf2960_2 今回の山形行きは、(財)地方公務員等ライフプラン協会というところからの要請で、山形県職員で定年退職を控えている皆さんにお話しをすることが仕事の旅でした。

皆さんにお話をした話の講義メモはウェブページに掲載してあります。

でもそれは1日だけ、2日目の11日は朝から遊びに出ました。

       

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朝、ホテルから駅まで歩いて行く間に出会った山形猫たちです。

一番左のは飼い猫、あとはまち猫みたいです。でも、山形猫は体格が良いです。

一番右の茶色の猫が、昨日、日大山形高校の生徒を追い回したのは良くないと説教してくれた猫です。

   

山形駅観光案内所で自転車を借りました。変速機のついていない、ただのタウン車、ママチャリです。

    

Dscf3026 これは山形駅の西口、金曜日の朝9時ですが、人影もなく、駐車場もアキが目立っています。

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広大な空き地の目立つ駅前広場、ホテルはできているのですが、まちにはなっていません。

新幹線開業にあわせて行われている駅周辺の整備なのでしょうが、なんとも山形らしくない、どこにでも見られる風景を作っているので少しがっかりしてしまいました。

    

山形駅から一路南を目指します。斉藤茂吉の生家のある旧金瓶(カナカメ)村、今は、上山市金瓶です。

幹線道路で走れば、8~9㎞、でも路地と田舎道の好きなヒゲクマが走ると10~11㎞です。

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途中、市街地の外れに近い川の岸です。クサフジが大きな群落を作っていました。

Dscf3035クサフジの花です。この先、どこを走っても、この花がいました。クサフジには日本に昔からいたクサフジとヨーロッパからやってきたナヨクサフジとがあるというのですが、ヒゲクマには見分けがつきません。これはどっちなんだろう…

Dscf3034 それと、ウツギの花にも、いっぱい、いっぱい出会いました。好きな花なんで、心ウキウキです。

Dscf3042 上山市に入ったところで、キジさんのお出迎えを受けました。「キビ団子持ってないぞ~」、<いらねえよ~>。

    

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上山市に入るとすぐに金瓶の集落が見えてきました。山形駅を出て、約1時間でした。

田んぼで作業していた老人に声をかけて、道を確認しました。

そうしたら、案内してくれるというのです。自転車を押して、老人と歩きました。

  

Dscf3045_2 「ここ、ここが火葬場の跡…」、最初に案内されたのが茂吉が亡くなった母を荼毘にふした火葬場の跡地でした。

跡地であることを示す小さな石碑と、その脇に小さな茂吉の歌碑がありました。

    わが母を 焼かねばならぬ 火を待てリ

               天っ空には 見るものもなし

  

跪いて合掌をしたら、額から汗が流れ落ちました。真夏のような暑い日です。

茂吉の母、守谷いくが亡くなったのは大正2年5月23日、茂吉が母を荼毘にふした日はどんな日だったのでしょうか…

  

    あが母の吾を生ましけむ うらわかき かたしき力 おもはざらめや

  

かく詠った母、その母が脳溢血で倒れ臨終に至るまでの時を、茂吉はともに過ごします。

    

    我が母よ 死にたまひゆく我が母よ 我を生まし乳足らひし母よ

    

Dscf3047次に老人が案内してくれたのは守谷家の菩提寺「宝泉寺」でした。

茂吉の旧姓は守谷、この寺の隣が生家なのです。

茂吉が幼かった頃からの住職佐原窿応(りゅうおう)は、茂吉の終生の師でした。

   

Dscf3058 本堂の脇に、茂吉の歌碑があります。

   

      のど赤き 玄鳥ふたつ 屋梁にゐて 

                足乳根の母は 死にたもうなり

  

玄鳥(ゲンチョウ)はツバメです。今日も本堂の上を飛んでいました。

   

ここで、案内してくれた老人にお礼を述べてお別れしました。

私が山形弁の心得がなく、お話の半分ほどしか分からなかったことをお詫びします。

   

Dscf3061 小さな墓石、茂吉が生前に自ら建立した墓だそうです。脇に、痛んでいますけれど、アララギの樹が植えられていました。

アララギって、秋に赤い実のなる針葉樹、イチイのことです。

茂吉は1953年2月25日に他界しました。

  

7年ほど前、一度はここに来なくてはいけないと思いました。

だから、ここに立って、心が震えていました。

    

Dscf3048 宝泉寺の前から、金瓶の集落の道はゆるい坂道になっていました。

Dscf3052 宝泉寺のすぐ隣が茂吉の生家「守谷家」です。静かなたたずまいの小さなお宅でした。

  

自転車を押して、近くの須川の橋の上に行きました。

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須川、川の石がみんな赤茶けています。

須川は蔵王を源として、この地を流れ、最上川に合流して日本海に注いでいます。

右端に見える尖った山が三吉山という山ではないかと思います。

   

      をさなくて 見しごと 峯のとがりおる  

                三吉山は 見れども飽かず

  

この歌を記した板製の看板が橋の欄干に結わえ付けられていました。

    

Dscf3068_2 斉藤茂吉記念館です。須川の左岸、小高い丘の上に建てられています。

しばらく、展示物を見たり、資料を拝見したりして遊ばせていただきました。

Dscf3071 記念館の脇からは、蔵王の山並が見えるはずなのですが、今日はダメでした。

   

帰りは、金瓶を通らずに、須川の左岸の丘陵の上につくられた新しい道を走りました。

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丘の上から、茂吉が幼き日を過ごし、母を見送った金瓶の集落が見えていました。

   

茂吉のふるさとに来ちゃいました。来ちゃって、良かった、本当に良かった。

茂吉の生涯は70歳9ヶ月、ヒゲクマに与えられた残りは5年と8ヶ月あまりです。

老いて行く、己のあり方を、短い時間ですけど、考えました。真剣に。

     

「山形紀行その3」は、これでおしまいです。その4は明日書きます。

    

Photo_10 ウェブページ、「野村たかあき作 風神の子等雷神の子等 in高崎高等養護学校」がアップされています。ご覧ください。

   

写真はクリックするとポップアップしますよ                               Ccf20080630_00000_2

  

200806072 「ヒゲおじさん厨房に入る」(朝日新聞群馬県版)、次回は、6月19日(土)掲載予定です。こんどは何にしようかな…  

   


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1 コメント

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山形出身と言えば千代田町5丁目の鳥久さんのおか... (おゆき)
2010-06-14 13:53:37
山形出身と言えば千代田町5丁目の鳥久さんのおかみさんですね。
サクランボを頂いた事があります。
TVの「秘密の県民ショー」であき竹城さんが盛んに山形弁の普及をしてましたよ。
方言は外国語に聞こえるからTVの字幕は△×○○△×・・・になってます。
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