お散歩猫のキキとヒゲおじさんの日常

ヒゲおじさんは元遊園地の園長で家庭料理人、今は新聞の料理コラムニスト、猫のキキと前橋な毎日と家庭料理をお届けします。

イトーヨーカドーが閉店する前橋を考える(その4)  たった23年のヨーカドー、まちには50年以上続く

2010-04-09 22:10:03 | イトーヨーカドーが消える前橋を考える

Dscf9562前橋駅前にイトーヨーカドー前橋店がオープンしたのは、1987年のことです。

ですから、開店以来23年しか経っていません。昔から前橋駅前にあったわけではないのです。

Photo これは、1963年の前橋駅周辺の地図です。前橋駅前には大きな店舗もホテルもありませんでした。あったのは運送会社や倉庫、そして曽我製粉の製粉工場でした。そうそう、曽我製粉の工場の西側には、鯉の養殖池がありました。

前橋駅の周りは、とても静かなところだったんです。まちから離れた…

  

それが、駅前は商売になると考えた曽我製粉が、国の補助金をもらって工場を移転し、跡地にビルを建ててイトーヨーカ堂を誘致したんです。

まちの商店街の皆さんはこぞって反対運動に立ち上がりました。

前橋のまちに商店街は一つで良いと、二つは要らないって…

でも、市長も市議会も商工会議所も小さな商店の皆さんの声を聞くことはありませんでした。

なぜか、こぞって、曽我製粉の応援団になりました。

  

そして華々しく開店したイトーヨーカドー前橋店は、23年でこのまちから撤退します。

ニチイ、長崎屋、丸井、西武…、みんな撤退し他のと同じに、ただそれだけのことです。

  

Dscf0925 今朝の10時、前橋の中心商業地、中央通り名店街と銀座通りの角に立ちました。まだ、お客さまはちらほらの時間です。

南を見ています。左には「すずはん」、右には「アカギ商会」があります。

Ccf20100409_00000 この地図は、1963年、イトーヨーカドーが前橋駅前に出店する24年前のこの通りの地図です。「すずはん」も「アカギ商会」もちゃんとあります。

Dscf0918_2 「アカギ商会」の隣はお茶の「水本園」、次は「新井屋食堂」、そしてリビング用品の「足利屋」、次が佃煮の「小田原屋本店」、みんな、1963年の地図にあります。今も立派にやっています。

Dscf0919 そして、呉服の「小川屋」があって、陶器の「菊屋」、そして蕎麦屋の「東郷庵」です。みんな、1963年の地図にあります。「東郷」さんは、予約すれば素敵な二階のお座敷で宴会もできますよ。その先、緑の旗が出ているところが黒田人形店、八番街の再開発のあおりで場所は移りましたけれど昔からのお店です。

こんどは、反対側を南のほうから見て見ましょう。

Dscf0921 まずは「日野屋」、昔は雑貨屋さん今はお香や小物の専門店、隣は革製品のお店、昔は「丸万」というお菓子屋さんでした。その隣はトンカツうどんとスペシャルオムレツの「パーラーモモヤ」、ご主人の武ちゃんはヒゲクマの幼馴染です。

Dscf0922 スズランの駐車場があって、洋品の「鈴屋」と果物の「八百駒」、この2軒も1963年の地図にちゃんとあります。

Dscf0923 角を越えて、「鈴木ストア」と「鈴木薬局」、昔からあるお店です。今、ヒゲクマの前にある人形ケースは「鈴木ストア」で買ったものです。

Dscf0924 スズラン百貨店の西の入り口は、昔は「今井ストア」がありました。隣は、化粧品と貴金属の「白牡丹」、ヒゲクマとユキ子さんは婚約指輪をこのお店で買いました。ヒゲクマはその指輪をなくしてしまって、今でも恨まれています。そして陶器の「山田屋」です。2軒とも1963年よりずっと前からありました。

   

中央通り商店街には、約50年前の地図に載っているお店がたくさん残っています。

もう代替わりしているし、扱う商品が変わってしまっているお店ももちろんあります。

でも、みんな、頑張って続けているのです。

  

イトーヨーカドーは23年で止めることになりました。理由は「赤字」、「儲からない」だからです。

では、中央通のお店は50年以上続いているのです。

イトーヨーカドーにできないことを、このまちの中心商店街の小さなお店の皆さんは立派にやっているんです。

ヒゲクマは、このまちが廃れたとか、寂しくなったとか言いません。

ちゃんと、ちゃんとやってくれている皆さんがいるからです。

  

そして、その多くの皆さんが、かつてイトーヨーカドーの出店に反対した皆さんです。

歴史的事実は、政治と行政を動かして力づくで出店したイトーヨーカドーの敗北を証明しているのです。

  

Dscf0926_2 銀座通りとの交差点に戻ってきて北を見ています。とても殺風景、商店の姿が消えてしまっています。

どうしてでしょうか、八番街の再開発計画が頓挫しているせいなのです。

もっと正しい言い方をすると、政治と行政に影響力を持つ人たちが、小さな商店の存在を消してしまったからなのです。

この20年間、どうにもならない再開発事業に誰が責任を持つのでしょうか。

   

今、地方都市は、資本力や政治力で何とかなる時期を通り過ぎたと考えたほうが良いようです。

曽我製粉は、中心商業地の商店に比べれば、たくさんの資産をもっていますから資本力に大きな差があります。

でも、今の曽我製粉は、柱であった製粉部門を栃木の笠原産業に売り払い、実業をやめたただの「資産管理人」になり下がっています。

  

前橋駅前のイトーヨーカドーの跡がどうなっても良いと、ヒゲクマは思います。

ちょいと前まで、倉庫と工場しかなかったところなんですから。

 

そんなところより、50年以上、ちゃんと続いている「まち」が大事だと思いませんか。

このまちで、「儲かる」とか「儲からない」ではなくて、このまちそのものとして頑張っている皆さんと、ひげくまはずっと一緒に暮らして行きたいと思っています。

   

「イトーヨーカドーが閉店する前橋を考える」

第1回は3月21日「百貨店の消えた街」、

「第2回は3月24日「前橋の中心はスズラン百貨店」、

第3回は3月28日「大手流通業者に食い荒らされた街」、

第4回は4月9日「たった23年のヨーカドー、まちには50年以上続く店がたくさんあるぞ」、

第5回は4月18日「前橋サティーの閉店」、

第6回は4月27日「熱血店舗開店支援事業をイトーヨーカドーが撤退した曽我のビルに適用するの?」です。

第7回は5月12日「市民を惑わす前橋街づくり協議会の「駅周辺再生」提案」

全部をお読みになりたい方はコチラからどうぞ

   

ウェブページ『第67回美登利会の舞台写真をご覧ください。』をアップしました。ご覧ください。    

写真はクリックするとポップアップしますよ                               Ccf20080630_00000_2

  

200806072 「ヒゲおじさん厨房に入る」(朝日新聞群馬県版)の次回は、4月17日(土)掲載予定です

    


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ヒゲクマさん、こんばんは (望郷の昔少年)
2010-04-10 21:21:00
ヒゲクマさん、こんばんは

今日は懐かしい地図を見せていただきました。

前橋駅北口(当時は南口はありませんでした)を出て左へ曲がり、ちょっと行ったところの右側に池がありました。
スイレンかハスか、記憶は定かではありませんが、きれいな花が咲いていました。

その先を左に廻ると踏み切り・・・
我が母校、前商に行く時のルートです。

前橋・・・
私の記憶は・・・多分・・・
まだ元気な前橋だったのでしょう・・・

2年ごとの帰郷では・・・故郷前橋を歩きます・・・
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望郷さん (ヒゲクマ)
2010-04-11 10:58:01
望郷さん
そうです、ご記憶に残っている池が「松田の鯉池」です。
私は今、この少しだけ昔の地図の中から、このまちに暮らす私たちが失くしてしまった大事なものを探し続けています。
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