石田明夫の「会津の歴史」

全国的な視野で見た戊辰・会津戦争の歴史です

北の関ヶ原14  兼続最後の砦、向羽黒山城

2008年04月08日 | 北の関ヶ原

天地人直江兼続14、直江兼続が家康との対じで最後の砦としたのは向羽黒山城。 

会津古城研究会長 石田 明夫

福島県会津美里町本郷  阿賀川西岸 会津若松ICより15分

060924_064  慶長3年(1598)から5年の2月までの2年間、景勝と兼続は、会津の居城、若松城は改修せず、最後の砦となる山城の向羽黒山城を大改修しました。そのころは、徳川家康との決戦は考えいなかったことから、城は、北側の会津盆地を向いて改修されています。その城は、韓国の熊川倭城を真似て改修されたもので、二重土塁や長大な竪堀、大きな土塁、空掘、堀切、礎石が残されています。面積は50ヘクタールある大規模なもので、国の史跡に指定されています。家康との最後の決戦となるのは、この山城になります。城下には、北に大手虎口があり、町や家臣の屋敷もありました。関ヶ原後に、この城の虎口などは、破城されています。

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