石田明夫の「会津の歴史」

全国的な視野で見た戊辰・会津戦争の歴史です

北の関ヶ原5  白河・石阿弥陀防塁跡

2007年02月18日 | 北の関ヶ原

天地人直江兼続5、白河市街地南(まほろんの南)、関ヶ原の「石阿弥陀(皮籠原)防塁」

会津古城研究会長 石田 明夫

福島県白河市 県文化財センター白河館「まほろん」の南側にある防塁

Scan20001  慶長5年(1600)に上杉景勝は、徳川家康の会津進攻に備え、領国の南側の主要街道に防塁を築いています。白河の南にあるものもその一つ。まほろんのすぐ南の石阿弥陀地区に現在300メートルほど空堀と土塁が残されています。勢至堂峠や馬入峠、母成峠などの防塁と構造は同じで、幅7メートルの空掘、高さ2メートルから4メートルの土塁で直線を基本とした織豊的な土塁と堀になっています。

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