石田明夫の「会津の歴史」

全国的な視野で見た戊辰・会津戦争の歴史です

北の関ヶ原6  母成峠防塁跡

2007年02月20日 | 北の関ヶ原

天地人直江兼続6 戊辰戦争だけでない。直江兼続が築いた母成峠防塁

会津古城研究会長 石田 明夫

福島県猪苗代町・郡山市 母成グリーンラインにある防塁

Photo_27 慶長5年(1600)に上杉景勝は、徳川家康の会津進攻に備え、領国内の会津へ入る主要ルート上にも防塁を築きました。母成峠は、戊辰戦争の激戦地であり、今に残る遺構は、戊辰戦争のものと考えられがちですが、384メートルある遺構の内、150メートルほどは、関ヶ原時代に上杉景勝が築いたものです。残りは、戊辰戦争時に造られたざんごうです。勢至堂峠、馬入峠、白河市南の防塁、日光市の防塁など、構造は同じで、幅7メートルの空掘、高さ2メートルから4メートルの土塁で直線を基本とした織豊的な土塁と堀になっています。

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